2020年10月08日03時16分掲載  無料記事
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アンドレ・バザン著「映画とは何か」(岩波文庫 上下二巻)  今、ヌーヴェルヴァーグの原典に触れる

  フランスのヌーヴェルヴァーグの映画監督たちの父とも言われる映画評論家がアンドレ・バザン(1918−1958)で、その影響はフランスのみならず日本やアメリカなど世界に及んでいます。そのバザンの主著が「映画とは何か」で、5年前に野崎歓・大原宣久・谷本道昭の3氏による翻訳が出ました。過去にも別の翻訳者による翻訳があったそうですが、ともかく、この岩波から出た「映画とは何か」は読みやすくてありがたい本です。そして、映画の著作権の有効期間が公開から70年だとすると、バザンが本書で語っている映画の多くもすでにパブリックドメインになっていて、今日、かつてよりも本書を読むための環境が整いつつあるのではないでしょうか。 
 
  私の場合、フランスの原書も持っていますが、なかなか読めないまま積んでいました。というのも、たとえば本書で語られているロベルト・ロッセリーニ監督の「ドイツ零年」とか、ロベール・ブレッソン監督の「田舎司祭の日記」などをなかなか見るチャンスがなく、やはり見ていない映画について語られても困る、というところがあります。でも、そうした映画も最近、見ることができ、本書でカバーされている映画のかなりをすでに見ることができましたので、今更なんでしょうが、読むには良い時期であると思います。 
 
  学生時代に映画評論家の佐藤忠男氏の著書の中の解説で、ヌーヴェルヴァーグの考え方、たとえば、パンフォーカスとか、屋外での撮影の重視とか、そういった基本的なことは学んだのですが、それらの発想のもとになったバザンの原著を読むと、日本における解説では触れられていないバザン特有の思考の筋道をたどることができます。フランス最高のエリートを輩出するパリ高等師範学校出身のバザンの文章は、翻訳では読みやすくなっていても手ごわいところが多々あります。カトリックの思考やベルクソンの哲学なども絡んでいます。さらに映画だけでなく、芸術史全体も視野に入れています。じっくり考えないと理解できないところがあるのです。とはいえ、そうしたことこそが原典に当たる醍醐味でもあると思います。たとえば日本で政治学の教科書でロックの政治哲学の解説を読むのと、ロックの著作を読むのとでは全然、異なる体験です。それと同じことが、こうした本についても言い得て、原著にはそれを著者に思考させ、書かしめた火があります。 
 
  バザンの「映画とは何か」は上下二巻になっていて、どちらかと言えば上巻の「禁じられたモンタージュ」「映画言語の進化」に彼のもっとも特徴的な思想が凝縮されているように感じられました。一方、下巻ではイタリアのネオレアリズモと呼ばれる、ロッセリーニやデシーカ、フェリーニなどの映画の解説をしている下りが核になるのではないかと感じます。バザンはリアル、ということにこだわっています。何をもって、リアルとするかは人によっていろんな考え方もあるでしょうが、今の時代に、映画のみならず、TVも含めて、もう一度、制作者も観客や視聴者も、ともに考えるべき重要なポイントだと思います。 
 
 (映画ではなく、TVの場合に顕著ですが、TVニュースでは映像が細切れになってモンタージュされ、しばしば為政者に都合のよいナレーションがつけられますが、YouTubeなどではノーカットの映像がUPされます。このことは「映画とは何か」におけるモンタージュ論からパンフォーカス(画面の手前から奥までピントが合っており、全体像を1カットで見せることができる)への「進化」とともに今一度考えるべきではないでしょうか。ここで語られているモンタージュではカットとカットを細かく切り張りして作り手が見せたいように映像を構成しますが、一方、手前から奥までピントが合うパンフォーカスの映像には「曖昧さ」があり、画面の中のどこを中心的に見ても良い、というように見る人が主体的に見ることのできる余地が生まれるのです。このことはニュースや記録動画に関しても、視聴する人が一連の長々しいアクションの中から、作り手ではなく、見る人自身が自分で意味をも読み取りたい=つまりはどこが大切で、どこはカットしてもよい、というようにあたかも自分で編集するかのように見たい、という欲求が今日高まっていることとも併せて考えたいところです。) 
 
  しかし、本書は体系だった著作物ではなく、バザンが時々に書いた文章を後で編集してまとめたものであり、西部劇や探検映画、エロティシズムの映画、演劇や絵画との比較など、映画をめぐる様々な思索が詰め込まれています。バザンがどういうプロセスで、モンタージュからパンフォーカスという、よりリアルな映像設計の考え方へと進んで行ったのか、その道筋が本書を読み込むとより詳しくわかってくるところが、その結果だけを解説したものよりも数段、面白い。映画がサイレント映画からトーキーに移行した1930年代から40年代にかけての時期に、「市民ケーン」(1941)のような新しい発想の映画が生まれてきたのですが、その流れは一筋縄ではいかない様々なことが関係しあっています。 
 
  本書を読む前に、偶然、今年、アンドレ・バザン著「ルノワール」を手に入れることができて読んでいたのですが、ジャン・ルノワール監督に対するバザンの見方が本書「映画とは何か」と通底しています。ルノワールの映画では暗い物語でも、その映画の中には光が満ちていて、常に希望が語られている、というところがルノワールの映画の特徴であり、その特徴は今のような時代において貴重な資質ではないか、と思えるのです。 
 
 
※Apostrophes : Francois Truffaut parle d'Andre Bazin | Archive INA (INAのライブラリーから。アンドレ・バザンについて話す映画監督のフランソワ・トリュフォー) 
https://www.youtube.com/watch?v=ra_vj6oPpDQ 
有名なエピソードだが、感化院に収容されていた映画好きのトリュフォー少年を自宅に引き取って、映画について教えたのはアンドレ・バザンとその妻ジャニーヌ(1923-2003)だった。トリュフォーはロッセリーニやルノワール、ブニュエルなどの映画をバザンと一緒に見ながら、その見方を教わったのである。文字通りバザンはヌーヴェルヴァーグの父だった。トリュフォーの出世作「大人は判ってくれない」の撮影初日にバザンは40歳の若さで亡くなり、トリュフォーはその作品をバザンに捧げた。 
 
 
※Apostrophes : Francois Truffaut raconte Alfred Hitchcock | Archive INA(こちらがINAのライブラリーから、ヒッチコックの映画について語るトリュフォー監督) 
https://www.youtube.com/watch?v=QxBJ3F_GxOY 
トリュフォー監督にはサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコックへのインタビューをまとめた本がある。 


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