2020年10月10日11時55分掲載  無料記事
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欧州

イタリア現代史ミステリー 第一弾「イラリア・アルピの死」(その7)〜チャオ!イタリア通信

(前回記事) 
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→(イタリア国営放送局記者のイラリア・アルピの死から26年。彼女はなぜ死ななければなからなかったのか。事件の経過を振り返る) 
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 ボサソに何があるのか。イラリアが残したメモには、「ボサソとガロエを結ぶ道路」と書かれていた。ボサソとガロエという都市を結ぶ道路は、イタリアの経済援助の一環で建設されたが、その道路建設については、ある噂があった。それは、道路建設中に有害廃棄物や放射性廃棄物を埋められたいうものである。また、これだけではなく、イタリアがソマリアに贈り、”Shifco”という名称でソマリアの公共企業によって運営されている船団が、武器売買を行っているという噂もあった。そしてその武器の出どころせは、ソ連からという疑いがあった。 
 
 では、ソマリアへ多額の経済援助をしていた1980年から1990年ごろのイタリアの状況を見てみよう。この時期のイタリア政権は、イタリア社会党のベッティーノ・クラクシ首相が担っていた。クラクシ首相は1983年から1987年に首相を務めている。1994年には、経済援助の資金について会計院による調査を受けている。経済援助資金についての調査は、国会にも委員会ができていた。援助資金をめぐっての不透明な会計や汚職があったのだ。イラリアがソマリアを取材するようになった1992年は、イタリアで「マーニ・プリーテ(清廉な手)」と呼ばれる各地の検察が政界、経済界に蔓延する汚職の捜査を行っていた時期でもあった。この捜査は大規模で、キリスト教民主党、イタリア社会党の崩壊を招いた。クラクシ首相は、「マーニ・プリーテ」の真っただ中にいた。もちろん、イラリアからの取材も受けた。それについて、クラクシ首相は「嘘を書かれた。許しがたいことだ」と発言している。イラリアは、政治家にとっていわゆる”不愉快な存在”であった。これを聞き、イタリアが社会党の首相であったということと、ソマリアへ運ばれた武器がソ連から来ているという先ほどの噂に繋がりを感じる者もいるであろう。企業家で、イタリアの秘密情報機関の元協力者である、フランチェスコ・コルネリ氏は、1990年から1991年にかけて、ソマリア内戦により実権を失っていたバーレ大統領(ソマリ社会主義革命党を率いる)がイタリアの社会党に武器を調達してくれるように依頼したと証言している。その結果、イタリアを介してソ連や東欧から武器が運ばれたというのだ。 
(次回に続く) 


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