2020年12月24日06時31分掲載
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コラム
語学の参考書と辞書の関係
今年私は生まれて初めて本の翻訳書を出版したのですが、やってみて初めてわかることがあるものです。まず体験して思ったのは、単語力があればあるほど翻訳は楽になる、ということです。泥棒を捕まえてから縄を綯うということわざがありますが、単語力が倍増すればテキストを初見で見た時の印象も変わるはずですし、辞書を引く手間も省けます。
とはいえ、辞書を引く手間が省ける、ということは1つの単語が持っている様々な意味を全部理解していて初めてできることで、たとえば1つの単語に10個の日本語の意味があるとすると、10個知っておくことが大切です。翻訳をやる前は、2〜3の主要な意味を知っているだけで満足していました。あとの7つは比較的稀な意味であることが多いのです。しかし、翻訳を試みると、あとの7つにもしかすると、よりベターな訳語があるかもしれない、ということが気がかりになってきます。ですから、泥縄式ですが、10個の意味のある単語なら10個辞書を読み通す、ということが大切だと私は思うようになりました。そういうわけで本を出版した後の過去半年ほどはフランス語の辞書を読む毎日でした。50代半ばにして、人生でこんなに単語を真剣に覚えた時期はありません。
もう1つ感じたことは上の事と重なりますが、語学の様々な参考書がかえって学習のマイナスになる可能性があることです。つまり、参考書を読んだだけで満足してしまって、辞書を読むことをしない、という危険性です。参考書で触れられている事例は全体から見るとごくごく一部です。ですから、辞書を全部読み通す、ということの大切さを認識してみると、学習参考書はあくまで栄養ドリンクのようなものであり、辞書は日々の食事に例えられると思います。その逆ではありえません。学習参考書は辞書に道を開くものであるべきだと思います。特に辞書に掲載されている様々な例文は宝です。今回、私が翻訳したマチュー・ポット=ボンヌヴィル氏は哲学者ですが、特に言語に対する認識が深く、辞書にはフランス語の歴史がこめられており、つまりはフランスの歴史、あるいはフランス人たちの何世紀にもわたる生活の経験の歴史がそこに凝縮されているのだ、と翻訳しながら思うようになりました。ですから、辞書を読むことは歴史を読むことでもあると思います。私にとって翻訳体験は辞書を読むことの大切さを理解する良い機会となりました。
村上良太
■再開のための哲学 マチュー・ポット=ボンヌヴィル著「もう一度・・・やり直しのための思索」(Recommencer)
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■日仏会館のシンポジウム 「ミシェル・フーコー: 21世紀の受容」 フランスから2人の気鋭の哲学者が来日し、フーコーについて語った
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