2020年12月26日09時20分掲載  無料記事
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コラム

かつての安倍政権と2022年から訪れうるマリーヌ・ルペン大統領の時代

  フランスにとって2021年は運命の年になるのではあるまいか。それはCOVID-19による危機、というよりも、むしろ2022年の大統領選の前哨戦という意味である。2017年に大統領選で決選で戦ったエマニュエル・マクロンとマリーヌ・ルペンが、もしもう一度決選投票になった時、マリーヌ・ルペンが大統領に選出される可能性は高まっていると聞く。もはや2002年のジャック・シラク対ジャン=マリ・ルペンの時のような、極右のルペン一族の政治に対する圧倒的な危機感はフランスにはない。では、もしマリーヌ・ルペンが2022年に大統領に選出され、さらに2027年に再選されて、10年間、ルペン時代が続いたら、フランスはどうなるだろうか。 
 
  以下は私の想像と仮説に過ぎない。フランスでキリスト教が国教化する可能性である。国教とまで指定されなくても、フランスは伝統的にキリスト教国家であると規定して、フランスに入国する外国人も国民もフランス文化を尊重せよ、という規則。これは「私はシャルリ」と掲げて風刺漫画を擁護した人々の勢力が現在、切り崩されつつあり、宗教を冒涜するな、という方向性がやがては向かっていく帰結であると私には思える。つまり、それは一見ムスリム擁護の動きに見えて、実際にはその帰結は、宗教を尊重することは大切だから「フランス人の伝統的な宗教を移民たちも尊重せよ」という方向に向かうリスクである。 
 
  そこからの、さらなる帰結として、基本的人権は国家があって初めて存在するのであり、天賦人権論は成り立たない、とマリーヌ・ルペンが主張し始める可能性と恐れである。これは日本の自民党で改憲を主張する人々と通底するところだが、私はマリーヌ・ルペンの究極の方向は革命前のレジームへの回帰ではないか、と見ている。そのことが私には安倍首相が提唱した「戦後レジームからの脱却」と相似形に見える。もし基本的人権が国家に依存するものであるなら、国家からにらまれた人々、国家から排除される人々には基本的人権はなく、拷問も死刑も復活するだろう。また、だからこそ人種を理由とした国家からの排斥も可能となる。マリーヌ・ルペンはそこまで明確に主張していない。しかし、これまでの一家の言論を通して、将来、そういう方向性を持つのではないか、と恐れているのだ。 
 
  では、もしそういう方向にフランスが進んで行った場合、世界に視野を広げると、フランスから知識人が退避して、アメリカに渡っていく可能性はある。1930年代から40年代初頭にかけて、ナチスを逃れて多くの文化人が欧州から渡米したが、その相似形である。フランスの1930年代〜40年代にも極右勢力は存在し、彼らはやがて覇権を握ったナチスと協力関係を結んだ。その結果、ナチスから米国に逃れた欧州の文化人によって戦後の米国は軍事的・経済的にだけでなく、文化的にも圧倒的な力を持つことになった。もし、今、それが繰り返されれば、2001年9月のニューヨークの同時多発テロ以後、文化の面で著しく後退した米国が再び、リベラル勢力の文化的中心に返り咲く可能性がある。その意味で、米国にとってマリーヌ・ルペンの台頭は米国の文化的覇権の復活に有利に作用するだろう。私には通貨の面におけるユーロ対ドルの闘いと相似形で、文化的覇権におけるフランス(欧州)対アメリカの闘いが水面下で進行している気がする。 


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