2021年05月31日15時15分掲載
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アジア
日本ミャンマー協会会長渡邉秀央氏よりの「記事撤回及び謝罪請求」に対する本紙の見解
前掲の日本ミャンマー協会会長渡邉秀央氏よりの本紙掲載記事の撤回と謝罪請求に関し,本紙編集委員会は執筆者永井浩記者とともに、下記のような見解を取りまとめました。以下掲載します。(日刊ベリタ編集長大野和興)
記事撤回と謝罪請求への回答
永井 浩
この記事は、冒頭にあるように4月16日のミャンマー人らの日本ミャンマー協会(以下「協会」)へのデモをうけて書かれたものです。今回の文章によると渡邉会長(以下「会長」)は、日本とミャンマー両国の今後100年の大計と将来のため、私利私欲や権力欲ではない様々な活動に邁進してきたと述べています。ではそのような活動にミャンマー人らがなぜ、この時期に抗議の声を上げるのか。その疑問を解くのは、ジャーナリストの当然の仕事であり、それが両国の相互理解と真の友好のために不可欠だと私は信じています。そこで何人かの内外ミャンマー人、日本人らに取材し、いくつかの資料も入手して記事をまとめました。
以下、ご指摘の点について反論します。▽が会長の主張、▼が私の反論です。
1.「渡邉会長は、日本のODA(政府開発援助)ビジネスの黒幕とみられている」
▽日本のODAビジネスの黒幕ではありません
▼会長がミャンマーの国軍関係者と太いパイプをもち、日本のODAビジネスに大きな影響力を発揮できる存在であることは内外のミャンマー人、ミャンマーでビジネスに関わっている日本人、長年ミャンマー情勢を追っているジャーナリストらの一致した見方です。
会長のそのようなうごきに注目したロイター通信記者が、ヤンゴンと東京で多くの関係者に取材して、ティラワ開発における会長の大きな役割をクローズアップした記事(2012年10月)を配信しました。そのなかで、Watanabeは日本の「power broker」(黒幕)、Watanabeの「brokering diplomacy」(黒幕外交)、Watanabeの「personal diplomacy」(個人外交)と記されています。Brokerには、政財界の「黒幕」とともに「大物調停者」の訳語もあります。(『リーダーズ英和辞典』)
またこの記事はミャンマーの民営週刊新聞が翻訳して掲載したため、国内でも大きな話題となったことは、私の記事でふれました。
私も今回の記事を書くにあたり、会長がミャンマーへの貢献者(債務帳消しやティラワ経済特区の裏の立役者)として自慢話を夜の飲み会でミャンマーの要人たちに常に話していたという情報を得ました。
つまり、「私は黒幕ではありません」と主張されても、周囲からは「黒幕とみられている」のは動かしがたい事実なのです。ですからアウンサンスーチー国家顧問も今年1月に、会長との会見をもちかけてきたのではないでしょうか。
会長はこのロイターの記者にも、訂正と謝罪を求めたのでしょうか。
2.「スーチー氏とは今回初めて」会った。「スーチー氏に好感を抱いていないとみられていた」
▽事実に反する
▼スーチー氏とは今回初めて会ったのではないと言うのでしたら、それ以前のいつ、どのような形で彼女と会ったのかを明らかにしてください。公式の会見は初めてであり、だからミャンマー国営紙も1面で大きなニュースとして載せたものと、私は理解しておりますし、ミャンマー情勢に詳しい方々もその事実に注目したわけです。
「スーチー氏に好感を抱いていないとみられていた」というのは、会長のこれまでの言動を直接、間接に知る立場の人たちの証言です。
これを否定するなら、会長のスーチー氏に対する率直な認識をはっきりと表明していただきたい。協会のホームページの会長の発言は、スーチー氏本人に対するものではないが、彼女が率いる民主化運動を評価していません。
「ご挨拶」では、1988年の民主化運動は「内乱の拡大」であり、「国内治安安定のためやむをえず軍政になった」とされています。日本財団(笹川陽平会長)と協力して2014年からはじめた自衛隊とミャンマー国軍将官級交流プログラムの歓迎レセプションでは、会長は「ミャンマーの民主化は革命ではなく、軍がみずからの手で実現した。この点は正しく評価されなくてはならない」とミャンマー軍将官たちを激励しています。
3.「この会談が注目されるもうひとつの理由は、それから間もなく国内では国軍がクーデターを起こすのではないかという噂が飛び交うようになった」
▽「黒幕」の記述とともに、渡邉が国軍による政権奪取にかかわっているかのような印象を与え、事実に反し、公正な論評とはいえない
▼理解に苦しむ曲解あるいは誤読といわざるを得ません。この一節は、会談が行われた当時のミャンマーの政治情勢を記しただけで、なぜそれが会長と国軍の政権奪取とむすびつく印象を読者に与えるものなのか。もう少し詳しく説明してください。日刊ベリタ(と転載先のニューズウィーク日本語版サイト)の読者からは、そのような指摘は一切受けておりません。
4.「中曽根内閣の副官房長官としてネーウィン政権政権(後)のマウンマウン首相と軍人たちを招いた」
▽副官房長官としてマウンマウン首相を招いた事実はなく、軍人たちを招いた事実もない
▼やや舌足らずの表現だったことは認めますが、中曽根内閣がマウンマウン首相らを招き、会長が副官房長官として彼らの世話に当たったことは事実であり、会長がそのように記されています。
5.ティラワの経済特区について、渡邉が「大統領の提案を前向きに検討することを約束し」「少なくとも180億ドルの援助と投資、それに約50億ドル(約5000億円相当)の債務帳消しの保証を政府と民間機関から取りつけた」
▽あたかも渡邉が個人的に行ったような内容になっているが、事実に反する。日本政府と外務省が、テインセイン大統領の要請を受けてミャンマーに対する経済支援を主導してきました。ロイター記事を引用した「黒幕による個人外交」も、事実に反する
▼その経緯は、先述のようにロイター記事でさまざまな関係者の発言によって確認されています。「Watanabeの個人外交についていくために、日本の外務省はきりきり舞いさせられた」(ロイター記事)とも記されています。そのようなご自分の功績を、なぜいま否定する必要があるのでしょうか。
6.「日本ミャンマー協会の会員各社は同協会をつうじてミャンマー側のODAビジネスの便宜を図ってもらい」「その差配人である会長・理事長の渡邉に頭が上がらない」
▽事実に反する
▼これについては、次の指摘とまとめてお答えします。
7.「日本の公的資金が投入されたプロジェクトの国軍系の企業に流れていることがはっきりした」、「そのODAビジネスの巣窟とも見られる日本ミャンマー協会」
▽この記述は、渡邊が巣窟(悪者のかくれが)の主のような印象を与え、事実に反する
▼ミャンマー人が協会に抗議デモをした最大の理由は、ここにあります。
デモの参加者も参加しなかった者も、協会の活動をミャンマーと日本の真の友好を損なうものと見ています。軍と強いパイプを持っていること、日本の大手企業が会員となっていて、ミャンマーと日本のビジネスに関して避けて通れない窓口的な存在感をもっていることは、在日ミャンマー人はほぼ全員知っていることだとも言います。
ミャンマーでのビジネスに参加している日本企業の多くが協会の会員企業であることは、まぎれもない事実です。さらにそのなかには、国軍系企業と提携している企業もあります。一例をあげれば、クーデター後にミャンマー国民の不買運動に直面しているキリンホールディングスも協会の会員企業です。
今回のクーデターとそれに抗議する国民への軍の残虐な弾圧に対して、協会が声明文ひとつ出さなかったことは、日本政府と日本の投資家に誤ったミャンマー情報を与えているとも、彼らは言います。だから、協会の「悪事」に抗議するのだとも主張します。
協会ホームぺージに載っていた役員の名簿が最近削除されたことにも、ミャンマー人たちは首をかしげています。これまで、麻生太郎副首相・財務相はじめ、協会が政財界とのつながりを積極的にアピールしてきたことをふまえると、非常に不可解な行動であり、協会が「ODAビジネスの巣窟」というミャンマー人たちの疑いを深めています。
その後さらに、会員企業の名簿も消えてしまいました。なぜなのでしょうか。
もし協会が「ODAビジネスの巣窟とも見られる」というのが事実に反すると主張されるのなら、このような疑問について、会長が直接ミャンマー人らの声に耳を傾け、真摯に対話をする場を設けられてはいかがでしょうか。それこそが、「両国の今後100年の大計と将来のため」に喫緊の責任であると、私は思います.
またそのような公開の場には日刊ベリタだけでなく多くのメディアが取材に駆けつけ、日本のミャンマーに対する今後の外交姿勢と世論に少なからぬ影響を与えるでしょう。
8.「国軍関係者の情報によると、クーデターの前々夜、ミンアウンフライン総司令官の側近との会合で、渡邉氏は総司令官に次の伝言を側近に託したという。/渡邉「民主化を後戻りさせないようにしてほしい」/総司令官の側近はこれに返事はせず、ニヤッとしただけだった」
▽日時、出席者、内容すべて事実に反する。
▼記事の事実を否定する具体的な根拠を示してください。
9.渡邉氏の帰国前日のフェイスブックの内容(「渡邉という人物は「ミンダマ」という場所の軍所有地20エーカー(約8万平方メートル)の利権を得ている」「政界を退いたと言っても日本の政界と政府に対してある程度の影響力を持つ人々が(軍の)司令官を守っているから、日本が沈黙を貫いている」)と、それを受けた「氏は民主化勢力を支持していたのではない。NLD政権であれ軍政であれ、日本のビジネスにとって安定した投資環境を保障してくれる政権ならどちらでも歓迎なのである。つまり、勝ち馬に乗ることが最優先課題なのである。だから、総選挙後に情勢がふたたび険悪化しはじめた時期にミャンマーをおとずれ、両勢力のトップに顔つなぎすることで、形勢がどちらにころんでも対応できるような布石を打った」
▽この記述も事実に反する。
▼記事にあるように、会長と国軍との深い関係はミャンマー人が注目しており、クーデター後にそれに関する真偽を確認できない情報やうわさが流れています。フェイスブックの投稿もその事実の一端を紹介したまでです。投稿者は、「ひと伝えに聞いたところ」「確かな情報ではないが」と前置きして発信しています。
「渡邉という人物はミンダマという場所の軍所有地の利権を得ている」という情報が間違いなのなら、会長がそれを否定する発言を明確な証拠とともにおこなっていただきたい。そうでないと、ミャンマーの人たちの疑念をさらに深めるおそれがあります。
また後段の私の記述は独断ではなく、一連の流れを観察してきた者なら同じような見解を示すであろうという一例をご覧ください。
「日本の価値観外交はミャンマーで座礁」と題する、テンプル大学ジャパンキャンパスのジェフ・キングストン教授が2月22日にFORSEA (Forces of Renewal for Southeast Asia)に寄せた以下の論稿です。
「日本政府は民主主義や人権に反対はしないが、それを支持するために自らが何かを犠牲にする危険を冒そうとはしなかった」。クーデター後のミャンマーに対しても、その基本姿勢は例外ではなかった。クーデターの直前に、国軍と長年にわたり経済的関係と密接な協力をつづけてきた日本ミャンマー協会の渡邉会長が、スーチー国家顧問とミンアウンフライン総司令官をおとずれ、日本のミャンマーへの投資促進を話し合ったのは不思議ではない。氏や多くの日本人は同国への中国の影響がこれ以上強まるのを懸念し、それに対抗するために経済関係の拡大に熱を入れようとした。軍政と日本政府にとって、渡邉氏はうってつけの裏工作のチャンネルだったが、氏がミャンマーにおける民主主義体制への移行を促進しようとしたとか、民主主義の逆戻りを阻止しようとする努力を支持するという形跡はまったくみられない。「日本の経済界はミャンマーをアジアの最も有望なフロンティアと見ていて、そこで金儲けさえできれば、政治状況はどうでもよいのである」。
以上から、私の記事に対する会長のご指摘は事実に反する的外れなものであり、訂正と謝罪をする必要は認められません。
ただ、一点、会長名を「渡邊」と誤記したことについてはお詫びいたします。
私は日本とミャンマーが歴史的な分岐点に立っているいまこそ、両国民の健全な関係を発展させていくための今後100年の大計が必要だと思っています。そのためには、まず相互理解を深めることが第一歩です。協会とミャンマー人たち、メディアとの間にも誤解や認識不足があるかもしれません。その溝をなくすには、自分の言い分だけを正当化して相手を一方的に批判するのは得策ではありません。日本が民主主義社会であり、協会と会長がミャンマーの民主化を望んでいるのなら、客観的な事実にもとづいてオープンな意見交換をすることがもとめられます。
その目標にむけて、私は一市民ジャーナリストとしての発信をつづけます。
とりあえず思わぬ形で日刊ベリタと私の基本姿勢を述べる機会を与えていただいたことに、感謝します。さらに反論があれば歓迎いたします。お互いの議論を読者に判断してもらうことにします。
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