2021年08月02日10時59分掲載  無料記事
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永井浩著『アジアと共に「もうひとつの日本」へ』 「平和国家」日本の漂流と戦時体制への逆流に抗するために 評・里見和男

 凄い本です。敗戦後、これほどアジア諸国との共生、連帯を呼びかけた本はなかったでしょう。アジアを身近に思いながら、台頭する中国と向き合う力をもらいました。 
 先の見えないコロナ時代にあって、日本、日本人はどこへ行こうとしているのでしょうか。筆者は「平和国家」日本をどう捉えてきたか。明治七年の台湾出兵からアジア太平洋戦争の敗戦までアジア支配の七十年戦争、その敗戦から七六年の歴史的現在に立つ時、あてのない漂流を続けているといいます。 
 
▽“米国隷従”からアジア諸国民との共生・連帯へ 
 ミャンマーのクーデター後の四月、外務省前の集会で目にしたプラカード。「日本のお金で人殺しをさせないで!」。日本の平和にひそむ血の匂いをかぎとったといいます。最大ODA供与国日本の資金が国軍に流れているのを承知で、事態打開へ動かぬ菅政権。敗戦の総括をせず経済発展へ突っ走った姿と重なり、日本の立ち位置が問われます。 
 全編を通し強調されているのがアジア諸国への侵略戦争への内実を伴った反省と謝罪の歴史認識です。「村山談話」が反古にされたいま、時の政権まかせではなく、アジアの隣人たちの歴史認識を共有し、アジアの民衆と日本国民一人ひとりが相互信頼を深め共生、連帯することが「もうひとつの日本」を創ることだと知ります。それは米国一辺倒というより、隷従というべき日米関係の変化を意味します。このいびつな関係がどれほどアジア諸国との友好関係を損なってきたか。とりわけ中国、韓国と堅実な信頼関係をつくることができず、「靖国」や「慰安婦」「徴用工」などいまだに解決されていません。 
 
 本書唯一の難であると思わせる長大なプロローグ。もうひとつの日本、平和国家日本を考察するにあたって、七章にわたる問題が連環していること、その巨きな視点、視角について。アジア諸国と共生、連帯するとはどういうことか。人間として連帯する意味について筆者の覚悟が述べられるなど、一語もゆるがせにしない長文になりました。 
 七章にわたる重く、深い論考。 
 侵略戦争、植民地支配という負の歴史と真正面から向き合ってこなかったことによる日韓関係の悪化。支配する側が内的に腐っていく(第1章) 
 米軍のイラク侵攻への新たな加担。憲法上疑義ある「国際貢献」という自衛隊派遣。大本営発表復活を思わせる情報統制。戦闘、銃撃戦の文字あるイラク日報開示と人道復興支援の実態を報道しない共犯者のメディア(第2章) 
 新たな空白を生んだ平成天皇の「平和の旅」。戦争への謝罪スピーチに隠された歴史の事実。韓国を訪問しなかった「なぜ」(第3章) 
 自らの歴史に向き合うドイツと努力を怠った日本。同じ第二次大戦の敗戦国が荒れ野を脱する岐路はどこにあったか(第4章) 
 孫文の中国革命を通し世界革命の理想に生きた宮崎滔天。国家を超えた朴烈との同志愛。命を賭し天皇制反対を主張した金子文子。日本とアジアとの支配、被支配の関係の歴史を克服、あらゆる民族との自主と平等に基づくアジア諸国の平和と発展に寄与した留学生の父・穂積五一。三人の先覚者に学び、「もうひとつの日本」をさぐる(第5章) 
 平和国家再建へ日本国憲法の柱・九条は世界の共有財産となるか。経済協力とは貧しいアジアから収奪して日本が利益を得るためのもの。自衛隊と米軍の地球規模での軍事行動の一体化(第6章) 
 「人間の目」で世界を見る。ベトナム戦争報道が最良のテキスト。その先駆性と現場重視の歴史認識の確かさ。メディアの再生は可能か。真の愛国者、アフガンの農業復興などに尽くした中村哲医師(第7章) 
 
▽メディアは「人間の目」を持て 
 「もうひとつの日本」の考察で見逃せないのが昭和天皇の戦争責任の免責とイラク戦争報道をめぐるメディアの役割についてです。 
 GHQのマッカーサーは、天皇の権威を利用して占領政策を進めるために戦争責任を免責にしました。これがどれほど大きなことであったか。天皇が法的にも道義的にも追及されないことを受け、「これで責任は果たされた」との思いから日本の指導者、国民まで自らの責任、謝罪の気持ちが薄れました。これに輪をかけたのが平成天皇のアジアをはじめとする侵略戦争の謝罪表明の「平和の旅」だったと指摘します。正しい歴史認識に基づく国民同士の相互理解と和解を意味しなかった。天皇が述べた「戦争のない時代」が平成のキーワードになりましたが、平成の三十年間、国際貢献の名のもとに自衛隊の海外派兵が拡大されたことを忘れることはできません。 
 
 イラク戦争報道はどうだったか。「泥と炎のインドシナ」に代表される日本メディアの報道は米国はじめ各国で評価され、べ平連など国内の反戦機運を盛り上げました。だが、イラク戦争報道はすべてにわたり正反対の体たらく、と手きびしい。なぜか。現場主義の軽視、米国視点への偏重、歴史認識の欠如、平和と人権メッセージの希薄による米日権力層の設定した戦争の枠組みを疑わない報道の展開、この戦争について国民一人ひとりがきちんとした判断を下すのに不可欠な多様で多元的な情報、言説の提供を怠ったといいます。 
 メディアの再生は可能なのか。試金石は対テロ戦争の検証報道だといいます。ニューヨーク・タイムズとワシントンポストは大量破壊兵器がなかったことに謝罪し、検証記事を掲載しますが、日本のメディアはその外電を転載するだけで、自衛隊派兵は国際貢献との政権の言い分をそのまま報道したことの検証をすることはありませんでした。 
 
 悪法極まる法案を次々に成立させ、憲法改悪をにらみ、戦時体制への流れを強めた小泉、安倍政権をまるごと継承したのが菅政権です。平和国家日本が変質しようとしているいまこそ、時の権力に対峙できるのはメディアしかなく、米国に偏向しないグローバルな世界認識と、アジアのみならず、世界と日本との関係への正しい歴史認識に立って報道することの重要性を強調します。それは「人間の目」をもち、複雑な国際関係を読み解く「鳥の目」と地を這い肌で感じとる「蟻の目」の複眼作業であり、「国家利益を超えたウルトラ・インターナショナルな、ヒューマニズムの立場」を貫く大森実の姿勢に通じるといいます。 
 そして「日本人としての目をもって世界をどう見るか」という大切さは「過去の間違いを繰り返してはならないという戦後日本の平和と民主主義の精神が原動力になっている」と筆者の決意と覚悟が述べられます。 
 本書は新聞人として苦労し戦後を生き抜いてきた人たちばかりではなく、ジャーナリストとなった若い記者たち、これから、日本の姿、形を学びメディアに生きたいと願う若者たちにぜひ読んでもらいたい優れた「メディア論」である。 
 
 筆者は自ら主宰する「日刊ベリタ」に渾身の「ミャンマー民主化運動伴走記」を連載し共感を広げています。そこへ四百社を超す現地日本企業を代弁する「日本ミャンマー協会」から記事撤回と謝罪要求がされます。きっぱり反論しますが、なにより恐れるのは厳しい論考はもちろんですが、永井浩さんが民主化運動で亡くなった尊い命、魂を背負っているからでしょう。その死を悼むとともに、無念の遺志を生かそうとしているからです。それはアジア太平洋戦争で亡くなった三百万の日本人、数千万人のアジア人死者の思いともつながります。 
(社会評論社 2200円+税) 


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