2021年08月23日21時05分掲載  無料記事
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ホロコーストは過去ではない 『アウシュヴィッツ・レポート』  笠原眞弓

 何度もナチスの時代のホロコーストの映画がつくられてきた。ごく最近でも、昨年の11月には『アウステルリッツ』という、『群像』3部作の中の1作と、現在上映中の『復讐者たち』という作品を観た。続けて『ホロコーストの罪人』が控えている。なぜ作り続けられているのか。その意味はなにか。忘れたい、別の記憶に変えたい人々がいるからと、『アウシュヴィッツ・レポート』の監督ペテル・ベブヤクはいう。そうし「過去を忘れるものは、かならず同じ過ちを繰り返す」ので、そのようなことがないように真実を見つめ続けること必要だとの人々の思いなのだろう、次々と角度を変えてこの時代の映画がつくられ、検証されていく。 
 
 1942年にユダヤ人の強制収容所の一つ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所に連れてこられたスロバキア人のアルフレートは、入所と共に他の人々と同様に丸裸にされて名前を剥奪され、番号で呼ばれるようになる。名前を失うということは、自己をもぎ取られることでもある。ところがこの映画に出てくる人たちはしっかりとした自己を持っている。 
 
 毎日3千人以上が殺されるその記録係のアルフレートとヴァルターは、自分の命が助かることではなく、ここで何が行われているか母国スロバキアに知らせたい、また他の収容者の同じ思いを彼らに変わって遂行したいがための脱走だ(感が鈍い私は、脱走して3日も収容所内に隠れていた理由がわからなかったが、二人が収容所の外に出た時にやっと分かった)。そして驚きは残された収容者が過酷な罰を受けているのに、決して彼らのことを語らなかったことに、強い意志を感じる。彼らは話しても話さなくても、ここにいては死ぬだけと達観したのだろう、脱走を成功させることで後に続く人たちの命を守ることを選択したのだ。 
 
 国境を超えるまでの様々な試練を経て、二人とも無事にスロバキアの赤十字職員に分厚い報告書を渡す。当初はにわかに信じないものの、次第に話に耳を傾けていく。それまで積極的にユダヤ人などを送り込んでいたのをやめたのだ。およそ12万人が助かっただろうという。 
 
 エンドロールに次々現れるネオナチなど、極右派を連想させる短いメッセージが、強烈だった。ヨーロッパでのユダヤ人に対する差別は、なんと2000年前からのものと聞く。ローマ帝国に滅ぼされて国を追われた人々はイスラエルを建国し、パレスチナを攻める。その矛盾に、弱い人間の性を感じる。 
 
 最近の某氏のホームレスに対する発言にも、ユダヤ人を殺害する根拠とした同様の意味の言葉があった。それにウィシュマさん死亡事件に象徴される入管の人権無視対応なども、故のない差別が見え隠れする。さかのぼれば関東大震災の朝鮮人の虐殺があり、連綿と現在にと続く。韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチも同根ではないのか。決して遠いヨーロッパの事ではなく、我が身の事であり、忘れてはいけないことだから、このような映画で自己の人間性の弱さを認識しなければならないのだ。 
(レイバーネット日本より、加筆・転載) 
 
監督:ペテル・ベブヤク  94分 
ヒューマントラストシネマ有楽町など全国公開中 


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