2021年08月27日16時12分掲載
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検証・メディア
アフガニスタン報道再考・1 大国の「物語」に乗った真実へのテロをゆるすな
タリバン復権後のアフガニスタンをめぐり、藤原辰史氏(京都大学准教授)は「大国の『物語』に乗るな」と題する一文を毎日新聞(8月26日)に寄稿している。タリバンのカブール制圧前後から、一つの報道の型がメディアで繰り返されているからだ。タリバンは女性の権利を奪い、従わない人びとを処刑にするテロリストとされている。藤原も旧タリバン政権下でそのような政治があった事実は否定しない。だから欧米諸国は同政権を打倒し、20年間多大な犠牲を払って民主主義を普及させようとしたとされるが、タリバンは息を吹き返した。なぜなのか? それは、大国つまり米国メディアの情報にわたしたちが依存しすぎ、アフガンのもうひとつの姿が隠蔽されたことが一因ではないだろうか。アフガンをめぐるメディアと権力の関係をあらためて検証してみたい。(永井浩)
▽米国メディアは「愛国」報道一色に
米国のテレビは2001年の9・11米同時多発テロとともに、ニューヨークの世界貿易センターに一機目が激突した直後から中継を開始したCNNにつづき、三大ネットワークのABC、CBS、NBCも次つぎに速報態勢に入った。以後、各局とも、15日の未明まで連続90時間を超える緊急特番をコマーシャルなしで放送しつづけた。事件翌日の9月12日の米国各紙は、「恐怖」(TERROR、HORROR)、「悪夢」(NIGHTMARE)、「邪悪」(EVIL)、「この野郎!」(BASTARD!)、「考えられない」(UNTHINKABLE)、「信じられない」(BEYOND BELIEF)などの見出しで埋められた。ニューヨーク・タイムズは同日付の社説で、「9・11」によって世界はその「前と後」とに分かたれた。すべては変わった」と書いた。
ブッシュ米大統領はテロ発生直後、声明を発表し、「米国の自由が攻撃された。これは単なるテロを超えた戦争行為だ。犯人を捕まえ処罰する」として、国民に団結を訴えるとともに、軍事的報復にむけて断固たる姿勢でのぞむことを強調した。
テロリストから犯行声明は出されなかった。だが、標的そのものがテキストといえた。世界貿易センターは米国の経済力、国防総省は軍事力を象徴する建物であり、彼らが世界の覇権をにぎる唯一の超大国への巨大な憎悪をこのようなかたちで示したことはあきらかだった。パウエル国務長官は13日、アフガニスタンを拠点とするイスラム原理主義過激派の国際テロ組織「アルカイダ」の指導者ウサマ・ビンラディンが同時多発テロの主要容疑者であると言明した。具体的な証拠は示されなかった。
ブッシュは同20日、連邦議会上下両院合同会議で演説し、国際テロ組織の壊滅へ米国は外交、情報、司法、金融などあらゆる資源を使って戦うと総力戦を宣言した。大統領は、アフガニスタンのイスラム政権タリバンをテロ組織をかくまう「殺人者」と名指し非難し、ビンラディンとアルカイダのすべての指導者の即時引渡しを求めた。そして、国際社会には「米国につくか、テロ組織につくか」の踏み絵をせまり、こう強調した。「これは米国のみの戦いではない。これは世界の、文明全体の戦いである」。米政府は、米国は「テロ支援国家」に対して先制攻撃の権利を有すると宣言するとともに、ビンラディンの身柄引き渡しをタリバンに要求するが、タリバンはビンラディンのテロ関与をしめす具体的証拠がないとして突っぱねる。
米国は、同時テロから1ヶ月もたたない10月7日、英国とともにアフガニスタンに対して報復の空爆を開始した。作戦は「不朽の自由」と命名され、テロ組織の壊滅とテロの再発防止が目的とされた。ブッシュは同日のテレビ演説で、「平和と自由が勝つ」と述べ、国民に長期戦への忍耐をもとめた。米国の大手メディアは「対テロ戦争」を正義の戦いとして支持し、テレビには、テロの脅威に国民が結束すべきだとする「愛国」報道があふれた。大手テレビ局はCM枠を返上して、さまざまな人種・民族の米国民が登場して「われわれはアメリカ人」と視聴者に団結を呼びかけるキャンペーンを展開した。CNNとFOX、MSNBはニュース画面に星条旗をあしらった。背広の襟に星条旗のミニチュアをさすジャーナリストもいた。米国政府と米国について語るときに「われわれ」(our、us)の表現が多用された。「米国魂」や「米国は団結する」「立ち上がる米国」などのタイトルロゴが掲げられた。
CBSニュースの看板キャスター、ダン・ラザーは「ジョージ・ブッシュは大統領のなかの大統領だ。彼の言うことに私はどこへもついていく」と述べ、涙ぐんだ。彼は、CNNの番組にも出演し、「ジャーナリストでありながら愛国的な米国人でありたいと思うのに言い訳はいらない」と語った。NBCでは、看板キャスター、トム・ブロコーが「星条旗こそ米国の団結と誇りのシンボルだ。やがて戦争になるかもしれないが、いまは星条旗のもとに団結するときだ」と訴えると、「ミート・ザ・プレス」のキャスター、ティム・ラサートも「ブッシュ大統領は、まさにこの試練のときの最高司令官だ。これが歴史的な試練になることを彼は承知している」と大統領支持を表明した。
米国の主流メディアは、ニュース報道でもっとも重要な要素とされる「なぜ」の問い、「自由」「民主主義」「正義」の総本山とされる自国がテロ攻撃された背景を追究しようとはしなかった。メディアは、権力に対する「番犬」(watchdog)というみずからの使命を放棄し、権力の「ペット」(lapdog)へと変身していった。
ホワイトハウスは米国メディアの戦争取材をきびしく制限した。記者会見は軍の一方的な発表だけで、質問は許されなかった。空爆開始からの3日間に、ペンタゴンはアルカイダの拠点の空撮写真を3枚公開した以外には、戦況のくわしい報告はこばんだ。取材が認められた数少ない例外は、戦場から遠く離れたインド洋の空母からの報告だった。アフガン空爆に向けて空母カールビンソンから米軍機が轟音をあげて次々に飛び立つ映像を背に、ABCの記者ジェフレイ・コフマンは「空爆の成功は永遠に記憶されるでしょう」とリポートした。米国のテレビには連日、空爆に使用される最新兵器のコンピュータ画像や世界貿易センタービル崩壊の場面が流されつづけ、戦場の様子はわからなかった。
▽アルジャジーラのアフガン戦場報道
タリバンは外国メディアの国内取材を厳禁していたが、唯一の例外が中東カタールの衛星テレビ局アルジャジーラだった。同放送局は首都カブールをはじめ国内各地から、戦争の模様を世界にむけて精力的に独占中継しはじめた。国際社会から見棄てられ、欧米メディアがニュース価値を認めなくなった小国に、アルジャジーラは2000年2月に支局を開設していた。タリバン政権からの打診に応じたものだが、それはアフガンの今後の地域的重要性をアラブの新興メディアが的確に判断したからである。CNNはおなじ打診を拒否していた。
空爆が始まった10月7日、アルジャジーラは通常の番組を中断し、カブール支局のタイシール・アッルーニ記者からの中継に切りかえた。現地時間の午後8時57分にアラビア海に展開する米英艦艇から発射されたトマホーク巡航ミサイルに対する、タリバン側の対空攻撃が映し出された。電力供給が停止され、暗闇につつまれた市内のあちこちで大きな爆発音が聞こえ、街を揺るがしている。取材チームの至近距離にもミサイルが落ち、爆風でカメラマンが支局の屋根から吹き飛ばされた。「すみません。カメラマンが消えてしまいました。どこへ行ったのでしょう」とアッルーニ。やっとカメラマンがもどってくると、上空を飛ぶ米英軍の飛行機が映し出され、雷鳴のような爆発音とともに閃光が見えた。
「それが、世界中の多くの視聴者がはじめてアルジャジーラを目にした瞬間だった」と、中東専門家の英国人ジャーナリスト、ヒュー・マイルズは書いている。カブール空爆の模様を伝えるアルジャジーラの映像は、CNNやBBCなど世界各地の夜のテレビニュースで放送された。
ブッシュ大統領は、米英の軍事攻撃開始を発表するテレビ演説でつぎのように述べた。「われわれはためらうことも、たじろぐことも失敗することもない。平和と自由は勝利するのだ」
空爆の翌朝、アルジャジーラのアッルーニは瓦礫の街と化したカブール市内を歩きまわって空爆の被害を伝え、家を失って途方に暮れている住民たちにインタビューをおこなった。廃墟となったわが家のまえに座り込んで、つかんだ土を放り投げて怒りをあらわにする老人の姿や、破壊された家屋の修理を手伝う隣人の姿を、カメラは映し出した。アッルーニは「まだ攻撃は始まったばかりです。今後の攻撃で被害が拡大する可能性もあり、予断を許さない状況です」と述べた。
予想どおり、空爆による民間人の犠牲は増えていった。アルジャジーラは、犠牲となるアフガニスタン国民の姿をつぎつぎに報じた。ほとんどは、テロリストともタリバンとも無関係な人びとだった。空爆で瓦礫と化した住宅から、まだぬくもりの残るこどもの遺体を探しだした父親は「ここにテロリストなどいない」と悲痛な声をふりしぼる。だがホワイトハウスは、これを「誤爆」と弁明した。開戦一週間後、南部の都市カンダハルの病院が爆撃を受けて民間人5人が死亡したと報じたときも、ラムズフェルド国防長官は「ばかげている」と一蹴した。このときアルジャジーラは、病院で全身に焼けどを負った子どもたちがベッドの上で苦しみのあまり泣き叫んでいる映像を放送していた。アルジャジーラはその後も一貫して、現場から戦争の犠牲者たちの凄惨なすがたを流しつづけた。生存者たちは口をそろえて、攻撃があったとき周辺にタリバン兵はいなかったと訴えた。
米国のテレビは対テロ戦争の犠牲となるアフガン市民の姿をほとんど伝えなかった。テロリストとは誰のことか、も問おうとしなかった。民間人の犠牲者の映像はほんの一瞬紹介されても、あとはCGを使った偉そうな専門家らの軍事解説や、9・11の映像の繰り返しばかりとなった。やがてアルジャジーラの独占映像の一部が放映されるようになると、かならず司会者が「この報道については別の情報筋による確認はとれていません」という断りを入れた。アルジャジーラはまっとうな報道機関かどうか疑わしいという疑念を言外ににおわせていた。
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