2021年11月30日00時41分掲載
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政治
野党共闘の伸び悩み 2 改憲派を育てた平成時代
前回、野党共闘が期待されたほど伸びなかったばかりか、票を減らす結果になった背景について書きました。左派陣営がエリートと非エリートに分断され、それまで左派政党に投票していた貧しい労働者が反発を感じ、極右政党にシフトする傾向がアメリカでもフランスでもあり、日本でも起きているであろうことです。
1930年代のナチスの台頭を振り返ると、ナチスは国民「社会主義」を掲げていました。「1つのドイツ」というスローガンは生活が崩壊に瀕している人々にとっては胸に突き刺さったでしょう。正規労働者と非正規労働者に労働者が二極化してしまった今日も、極右政党が「日本人は1つ」と語れば、下積みに敷かれた労働者たち、あるいは二級市民扱いをされていると思う労働者たちに強く訴えかけるのではないかと思います。まして極右政党が教育費を無償にするとか、国民全員に最低の生活費を保証するなどと訴えれば、強い訴求力を持っても無理がありません。
このことは若い世代の中に改憲を望む人が多いことと関係していると思います。日本国憲法を守りたいと思っている人の根底には、この憲法によって平和と繁栄がもたらされたという圧倒的に強い実感があると思います。それは戦争体験者の苛酷な経験に多かれ少なかれ、直接間接に触れる体験が昭和時代には多かったことです。しかし平成になると、戦争から遠くなり、体験者も亡くなっていったことで、若い世代にとっても、一部の中高年にとっても、戦争が遠い昔の出来事になってしまいました。
同時に平成時代には、バブル崩壊の影響で年間3万人が自殺する時代が続いたことと、就職氷河期という形で若い世代に景気後退のしわ寄せが行われてしまったことです。平和と繁栄の象徴のはずの日本国憲法のもとで、一部の人々は命を投げ捨てざるを得ない時代が続きました。実際に鉄道に身を投げたり、ビルから飛び降りたり、首を吊ったりです。精神を病んでしまうケースもあります。また学校を卒業しても行き場のない若者たちが放置されてしまいました。日本国憲法のもとで、繁栄から置き去りにされた人々が少なからず存在していたことは、それだけ日本国憲法の価値が擦り減っていた、と言ってよいのだろうと思います。
近年、安倍首相が登場したから改憲派が勢いづいた、というよりむしろ、日本国憲法は内部から腐食し、日本国憲法の高邁な理念の恩恵にあずかれない人々を大量に作り出してしまったことが問題です。それは憲法が悪いのではなく、憲法の精神を活かすことができなかったことが問題なのです。しかし、結局は、憲法を活かせないということは、憲法の価値が下がってしまったのと実質的には同じなのです。単純な言い方になってしまいますが、一言で言えば、自分が食っていくために他人を見殺しにしてしまったのです。このような社会に民主主義も憲法も無力です。
さらに労働組合が非正規雇用を、正規労働者の生活保障の基盤に構造的に組み込んでしまったことも、日本国憲法の腐食を一段と深めたのではないかと思います。これらを考えると、極右運動が決してすごいのではなく、護憲派と言われる人々もそうではない人々も憲法の精神を活かせなかった平成時代の30年間を顧みる必要があるかと思います。労働者の差別を容認してしまった労働組合に憲法を守れるわけがありません。自分からどぶに投げ捨ててしまったのです。
そんなに素晴らしいのであれば、なぜ日本国憲法のもとで母子家庭に飢えがあるのか、家に何十年も引きこもらないと過ごせない人がいるのか、なぜ過労死が起きるのか、なぜ非正規労働者が4割にも達するのか、なぜ自殺者が何万人といるのか、あるいは過去に年間3万人を超えてしまったのか。これらのことと日本国憲法はどんな関係があるのか、そのあたりをもっと考えたいと思っています。
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