2022年01月30日10時04分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー民主化とともに「もうひとつの日本」へ 広がる両国市民の連帯

 ミャンマーの国軍クーデターから2月1日で一年になる。民主主義の回復をもとめる広範な市民の非暴力「不服従運動」への国軍の弾圧は残虐さを増すばかりで、これに対抗する民主派武装組織と国軍との戦闘も激化している。この間、欧米諸国はミャンマー国民の側に立つ姿勢を明確にしているのに対して、日本政府はいまだに曖昧な態度をとりつづけている。それはなぜなのかを問うとともに、私たち市民のミャンマー民主化支援のあり方を考えてみたい。(永井浩) 
 
▽日本政府の「独自パイプ」の正体 
 米国や欧州連合(EU)諸国、英国などはクーデター直後から、国軍の暴挙をきびしく批判し、アウンサンスーチー国家顧問らの即時解放と民主主義の回復要求に応じない国軍への経済制裁を強化した。しかし日本政府は、わが国は欧米とは異なり、国軍とスーチー氏の双方に「独自パイプ」があるので、それをいかして平和的な解決に努力すると主張した。日本は最大の政府開発援助(ODA)供与国であるにもかかわらず、自由、民主主義、人権の尊重をうたう新ODA大綱の精神を踏みにじる国軍に抗議してODA停止に踏み切ろうともしなかった。 
 だが、独自パイプはいっこうに機能しないし、このパイプが具体的にどのようなものなのかも明らかにされない。マスコミも政府の主張をオウム返しに垂れ流すだけである。その正体を明らかにしてくれたのが、クーデターから1ヶ月半ほど経ってミャンマー人らが東京の日本ミャンマー協会前でおこなった抗議デモである。日本ではほとんど知られていない民間組織になぜ彼らが抗議の声を上げたのかを知ろうと思って、私は取材を進めた。 
 その結果わかったのは、日本ミャンマー協会とは、日本のミャンマーへの経済進出の政官財が一体となった窓口組織であるという事実である。協会会長の渡邉秀央氏は元郵政相、最高顧問の麻生太郎副首相・財務相を筆頭に、副会長には大手商社の元トップ、理事には自民、公明、立憲民主の与野党の現・元衆参国会議員、関係省庁の事務次官経験者、大手企業の役員らがずらりと並ぶ。顧問は歴代の駐ミャンマー大使。正会員は日本を代表する大手企業127社(2021年3月現在)。協会は日本株式会社の縮図といえる。 
 渡邉会長は、ミャンマーが2011年に民政移管になったとき、軍人出身のテインセイン大統領の意向をうけて、同政権が計画していた最大都市ヤンゴン郊外のティラワ工業団地の造成に巨額なODAを供与する黒幕役を果たした。テインセイン政権の国家事業への貢献をつうじて、氏は国軍とそのクローニー(政商)との関係を築き、さらにクーデターの首謀者ミンアウンフライン総司令官と親密な関係となった。同工業団地を突破口に日本企業の進出ラッシュがはじまり、ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と称されるようになった。 
 同工業団地のティラワ経済特区を13年に訪問した安倍晋三首相は、これを「日本とミャンマーの協力の象徴」と称賛した。16年にスーチー政権が発足する直前には、約210㌶の団地への入居を決めた外資は13ヶ国・地域から56社に上り、うち29社が日系企業だった。今回のクーデター発生時には、ミャンマー日本商工会議所の会員企業は400社を超え、業種も建設、製造業、金融業など幅広い分野におよんでいる。 
 進出日系企業のすべてが日本ミャンマー協会の会員企業というわけでないが、会員の大手企業各社は同協会をつうじてODAビジネスだけでなくさまざまな経済進出の便宜を図ってもらう。その結果、合弁相手は同協会と関係のある国軍系の複合企業とその傘下の国軍系企業が多くなる。これが、日本政府のいう「独自パイプ」の正体といえる。だから日本政府は、民主化支持で国軍の機嫌を損ねビジネスチャンスを失うことはできないし、国軍トップらも日本の足元を見透かし、どうせ日本は欧米のような経済制裁には出られないと踏んでいる。渡邉氏はクーデター後も2回にわたりミャンマーを訪問してミンアウンフライン氏と会談し、国軍の行動への支持を表明している。 
 いっぽう多くのミャンマー国民には、こうしたビジネス利権でむすばれた日本とミャンマー国軍との関係はすでに周知の事実だった。だから、クーデターから二ヶ月後の4月1日、東京霞が関の外務省前でおこなわれた在日ミャンマーたちの「ミャンマーの平和と民主主義を求める集会」で、参加者らは「日本のお金で人殺しをさせないで」「国軍に流れる公的資金を止めて」と書かれた小さなプラカードを胸の前に掲げたのである。外務省にODAの停止を訴えた参加者のひとりは、「何人(なにじん)であろうと、殺されているのに黙っているのは本当に恥ずかしいこと。命が奪われているのに何も行動しない日本政府は、人間として恥ずかしい」と発言した。 
 彼らは日本の経済進出のすべてを否定しているのではない。日本の経済、技術協力と投資がミャンマーの経済インフラの整備や雇用創出に貢献していることを理解している。だが独自パイプをつうじて日本政府は、民主化をもとめる国民を武力弾圧する国軍に直接手を貸しているわけではないが、公的資金をつうじて国軍に利潤をもとらすことで残虐な弾圧に加担している、と彼らはみる。また少なからぬ日本企業は国軍系企業と手を組んで経済的利益をあげている。そのような目先の利益よりも、民主化による健全な経済発展をめざす勢力を支援して、ミャンマーの未来に投資してほしいと、圧倒的多数の国民は望んでいるのである。 
 
▽「小さな物語」から「大きな物語」へ 
 では、私たちはこのようなアジアの隣人の声にどう応えて、彼らの民主化の闘いを支援したらよいのだろうか。 
 日本が平和と民主主義を尊重する国であるなら、まずその一員である私たちが、為政者たちが国を間違った方向に導こうとするのに待ったの声を上げることが大切である。またメディアには真実の報道を要求しなければならない。それとともに、もうひとつ見逃してはならないことがある。それは、ミャンマーの民意を反映しない独裁的権力者らに肩入れすることで、日本の政府と企業が彼らと分かち合う経済的利益の一部が私たちの豊かな生活を支えているという現実である。つまり私たちの平和と経済発展には、アジアの隣人たちが流す血の匂いが潜んでいることに気づかねばならないだろう。 
 だがこの一年、ミャンマー情勢は大きなニュースとして報じられつづけながら、メディアとそこに登場する識者らの基本的姿勢は対岸の火事視だった。その悲劇に日本がどのように関わっているのかは、ほとんど論じられることがなかった。ミャンマーの人びとが直面する問題の解決はまず彼ら自身の手でなさなければならないが、その問題の一端に私たちも無関係ではないことがわかれば、黙っているわけにはいかないはずである。それにきちんと向き合わないのは、先の在日ミャンマー人の言葉を借りれば「人間として恥ずかしい」ことである。 
 現状を見るかぎり、残念ながらミャンマーの民主化の勝利への道は険しそうだ。だが同時に、彼らの闘いを支援する国際社会のうごきは衰えていない。そのなかで私たちは、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(日本国憲法前文)という目標と理想に一歩でも近づく努力をつづけていきたい。そして、ミャンマーの人びとにこれ以上多くの血を流させず、また日本が血の匂いをぬぐいさった平和と豊さを手に入れるために、共に力を合わせるにはどうしたらよいのかを考えながら行動をつづけたい。 
 さいわい私たちのまわりには、志をおなじくするミャンマー人たちが多くいる。彼、彼女たちと対話を重ね知恵を出し合いながら、一人ひとりが新しい「小さな物語」を紡ぎだしていこう。そうすれば、それらがかならず、ミャンマーの人びとがもとめる民主主義と正義という「大きな物語」へと発展していくに違いない。そこには、この小さな国を自国の経済的繁栄のための市場としか見ないような日本ではなく、一人ひとりの人間の尊厳を尊重する「もうひとつのミャンマー」と「もうひとつの日本」が姿をあらわしているはずである。またこれまで経済のメガネだけでしか見てこなかった東南アジアの国に、豊かな仏教文化が息づき、こころ優しい人びとが暮らしている姿を発見できるにちがいない。 
 そこへむけて、この一年に学んだことをいかして、次の一歩を踏み出していこうではないか。 


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