2022年02月03日16時29分掲載  無料記事
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農と食

分断とすれ違い、国家の政策と農の現場

 農と食について、現在ほど生産現場、消費現場、政策形成者ありていにいうと政治家や役人の思惑がずれてしまっている時代はないのではないのか、そんなふうに言いたくなるほど三者の関係はずれまくっています。いま、生産現場にとって最大の課題は生産物であるコメや野菜、果樹、畜産物等の価格と生産状況の不安定さです。農業を支える根っこのところが揺らぎまくっています。そのことが、あとで述べますが農業生産の基盤を揺るがし、このままでは再生産不能という事態の追い込まれかねない懸念の最中に農民はいます。(大野和興) 
 
 消費現場の人たち、一般的な消費者は上記のことにはあまり関心はありません。消費者とひとくくりでよく言われますが、ここにも深刻な分断があります。コロナ禍で職を失い、食の欠乏に陥る人が増える一方で、食の安全にのみこだわる市民層もまたたくさんいます。しかし政策形成側は、食えない人々への関心はほとんどなく、食の安全についても安全性に懸念が出されているゲノム編集食品の商品化や農薬の規制緩和を進めるなど、両者のずれはむしろ拡大している現状があります。 
 
 政策形成者のほうはといえば、関心はもっぱらデジタルと生命操作技術によるイノベーションでの生産性向上に向いていて、生産や消費への配慮はまるで感じさせない状況が、深まるばかりです。以下、切り捨てられる農の現場からの報告です。 
 
◆暴落する生産者米価 
 
 行く先々に迷惑をかけないよう細心の注意は払っていますが、コロナ禍にもめげず、東北と新潟の村を歩いています。話題はもっぱら生産者米価の暴落です。 
 生産者米価は90年代からじり安が続いてきていたのですが、新型コロナが始まった2020年から顕著に下がり始め、同年秋の新米価格は前年の15%安で始まり、そのままじり安を続けて2021年秋にはさらに前年の2割安ほどにもなりました。 
 農林水産省のコメ生産費調査では60キロ当たり玄米の生産費は1万5000円ほどです。これに対して昨年秋の新米を卸が買い上げる値段は1万円を切りました。ここから流通手数料や包装代などを差し引いた農民手取り価格は産地銘柄ごとに異なりますが、8000円から9000円になります。生産費の6割ほどしかカバーされないのです。 
 
 米価低落の直接的な原因はコロナによる業務用米(主として外食)の需要減ですが、その背後にはコメ消費の減退という事実があります。コメ消費の減退はずっと続いていて、今に始まったことではないのですが、近年の消費減の要因として貧困化があることを見逃すことは出来ません。 
 非正規労働者が増え、賃金が不安定な上に下がり続けています。この国の勤労者の貧困化が進んでいます。消費者が買うコメの値段はパンなどと比べ別に高くはないのですが、コメを買うには数千円のまとまったお金がいります。それが出せない。また、コメを買い、炊飯し、おかずをつくり、食卓を囲むという、かつてだったら当たり前の一連の作業が、非正規就労でいくつもの仕事を掛け持ちして働かなければならない今の労働事情の中でかなわなくなったという事情もあります。 
 
 試しにスーパーをのぞいてもらうとすぐわかります。買い物かごのなかはカップラーメンの山、時間が経過して値引きシールが貼られたとたんにさっとなくなる弁当類。これが日常の風景です。「不安定就労―不安定・低賃金―食の貧困」の連鎖が目の前で繰り広げられているのです。 
 
◆田園荒れる 
 
 食の貧困は農の貧困に連鎖します。いま村を歩くと、小規模で兼業でコメを作っていた農家は、いつコメをやめるかという決断を迫られています。これまで、兼業からの収入や年金を補填して小規模コメ作りを維持し、ご先祖から受け継いだ田んぼを維持していたのですが、それが出来なくなった。こうして小規模農業がいま米価安の中で続々と農に現場から離脱しています。 
 
 では政府の政策に沿って大規模化してきた稲作経営は安泰かというと、小回りのきく小規模農家より危機感が高まっています。いま、低米価に加え、生産に必要な生産資材は軒並み値上がりしています。このままでは経営がもたないと、法人化した大型稲作経営体は規模縮小に動き出しています。昨年秋、新米の収穫を終えたばかりの秋田県のコメどころ雄勝平野に衝撃が走りました。地域で規模化拡大の雄だった稲作経営が耕作面積を80ヘクタールから一挙に半分に減らしたのです。これ以上いまの規模で経営を続けていたのでは赤字が重なりもたなくなるという判断でした。 
 
 これまで稲作地帯ではコメ作りをやめる農家の田んぼを引き受けてくれていたのが規模拡大農家でした。その田んぼを返されても、返された方の元農家も困ります。もう自分では作れないから放置するか太陽光パネルでも設置するかしかありません。やはりコメどころの山形県置賜地方の大型稲作法人の代表も同じことを話してくれました。その法人は60ヘクタールほどの田んぼを地域の農家から引き受け稲作経営を発展させてきたのですが、「圃場整備が進んでいない条件の悪い田んぼは地主の元農家に引き取ってもらわないと、こちらがもたない。しかしそれでは返された方も困るし」と頭を抱えていました。このままでは各地の稲作地帯で耕作放棄された田んぼが続出しそうです。 
 
 同じ地域で中規模の酪農をしている人にも会いました。堅実な経営で農業一筋を生きてきた50歳代の酪農家です。ここでも飼料値上がりと乳価の低迷で、いつまでもつかわからない、という話でした。 
 
◆農民のいない農業 
 
 政府の方はいま農の現場で起こっていることにあまり関心はないようです。農民運動団体が米価の是正と市場でだぶついている流通在庫の市場からの隔離を要求していますが、ほぼゼロ回答のまま事態は進んでいます。政府が事態を静観しているのは、村があまりにも静かだからです。存続の危機にあるはずの農民のはずですが、ひっそりと静まりかえり、動きはありません。村の友人に聞くと、「みんなあきらめているんだよ」という答えが返ってきました。米価が低落するのも、自分たちが農業を続けられなくなるのも、自己責任なのだと、まわりも当人も思い込んでいる、長く続く新自由主義の下でそうなってしまった、と彼は補足してくれました。 
 
 農民の営農存続を考える代わりに、いま政府が農業・食料政策の中心に置こうとしているのが「みどりの食料システム戦略」というものです。昨年3月に農林水産省が中間報告という名の試案を出し、いまや農林水産予算の柱に位置付けられ、注目を集めています。2050年に有機農業の面積を全耕作面積の25%、100万ヘクタールにするというのがうたい文句です。 
 このことを取り上げてこの「みどり戦略」を持ち上げる声も少なくなくありませんいが、その中身を子細に見ると、AIとバイオテクノロジー(遺伝子組み換えとゲノム編集)を軸とするイノベーションで実現することになっていて(それを次世代有機農業と呼んでいる)、そこには有機農業が本来持っている“自然との共生”という思想は見当たりません。当然、このみどり戦略の主体は農民ではなく、こうしたイノベーションを駆使できる資本と先端技術をもつ事業体だということになります。 
 
 結論からいうと、政府の農業・食料戦略に、もはや農民が存在する余地はない、ということなのです。政府がいま農の現場で起こっていることに関心をもたない理由がうなずけます。 
 
(初出 『まなぶ』2022年2月号) 


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