2022年04月28日00時00分掲載
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欧州
ドイツの公共放送DWが検証したナチズムの始まりの1ページ 「恥の子どもたち」第一次大戦後にラインラントに進駐させられたアジア・アフリカから動員された植民地兵士たちの子どもたちの末路
1年前にドイツで公開された公共放送DWによる優れた検証ドキュメンタリー番組を紹介します。番組は英語です。「恥の子どもたち」がテーマになっており、それはナチズムの始まりに強い関連を持っていた、という結論でした。「恥の子どもたち」とは、第一次大戦後に戦勝国のフランス国家から占領地となった独仏国境地域のラインラントに駐留させられた有色人種の兵士たちが現地のドイツ人女性との間に作った子どもたちを意味します。正確な人数は不明ですが400人から1000人くらいと想定されています。この有色人種とは、フランスの植民地だった国々から動員された兵士たちで、具体的にはアフリカやベトナムなどから動員された兵士たちです。動員はラインラントで戦後処理に対してドイツ人たちが反発した運動を起こした時に、1920年に鎮圧のために駐留させられたのです。
ドイツでは第一次大戦後に王政が廃止され、ワイマール憲法が導入されました。世界一と呼ばれた民主主義が始まりましたが、巨額の賠償金や屈辱から、ワイマール共和国の解体をもくろむドイツ人もすぐに生まれていました。第一次大戦の戦場から帰還したヒトラーもその一人です。そうした人々にとって、1920年に有色人種の兵士たちにラインラントが占領統治されたことは強い屈辱だったらしく、番組では様々なレイシストのパンフレットや作品などが作られていたことが紹介されます。黒人兵が集団で白人のドイツ人女性たちを性的に襲うシーンが数多くのイラストや映画で描かれています。女性の研究者がその大半はドイツ人男性の「ファンタジー」に過ぎないと話していました。個別的に女性を襲った事件があったとしても、集団としてそのような事態があったのではなかったのだ、と。このファンタジーの世界はポルノ映画の妄想とよく似ています。
ハンナ・アレントは「全体主義の起源」の中で、欧州から仕事を求めてアフリカ南部に渡った人々が現地で有色人種を奴隷的に扱うことを学習し、その後、欧州へ引き上げた彼らは、生々しいレイシズムを欧州に持ち込んだと書かれています。この第一次大戦後にドイツのラインラントに駐留した有色人種の兵士たちは、まさにアレントが書いたアフリカ帰りの「モッブ」たちからレイシスト的標的にされたであろうことは想像に難くありません。モッブたちにとっては奴隷的な扱いを学んできた対象である有色人種によって領地を占領されているのですから。ヒトラーはこれもドイツを破壊しようとするユダヤ人の陰謀だと語ったとされます。この時、兵士たちと現地女性との間で生まれた子どもたちは後にヒトラーが総統になって独裁を始めると、集団的に断種させられてしまいました。
この番組は、当時を知る人々や研究者へのインタビューで構成され、当時の動画や写真、新聞などの資料を豊富に掘り起こして、その恐ろしさ、苛酷さ、悪を描いています。今、欧州ではレイシズムが政治の大きな勢力になりつつあります。資本主義の発展の結果としての帝国主義あるいはグローバル資本主義が、レイシズムとどう結びついていったのか、注意を喚起する内容です。そもそも戦勝国フランスがラインラントの占領統治に植民地から有色人種部隊を送り込んだ、というところにも病理を感じます。ドイツの放送人がこの自国の恥の歴史(子どもたちが恥ではなく、臆面もなく差別した人々が恥という意味で)をあえて今、制作して放送したことは勇気のあることだと思います。第二次大戦で亡くなった人もいますが、全員がその処置によって心に大きなトラウマを持つことになったであろうことを語っています。未来を奪われた子どもたちは、みな14〜15歳の思春期の少年少女だったはずです。
■Nazi prejudice and propaganda ・ the racist crimes against the "children of shame" | DW Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=J26kgGn5TdQ
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