2022年07月08日23時47分掲載
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コラム
安倍晋三が殺されたことに関連して思ったこと 大野和興
安倍晋三が殺されました。横で連れが、「右傾化が一挙に来るよ、といっています。ぼくは芥川龍之介が自殺に際して書いた「ただぼんやりとした不安」という言葉を思い出しています。今回の参院選を選挙公報を見たとき、カルトと宗教と何となく右翼、同じく何となく左翼、保守という名の極右、等々がならぶ誌面で感じた「いやな感じ」とも重なります。これは一体何なんだ。
ぼくは今、柳田国男の日本回帰のついて考えているところですが、それは農や食をめぐる議論が次第に国家とか国土とかと接近していることと重ねているからです。
昭和恐慌下の昭和の初め、柳田は急激な思想の転回を遂げます。初期柳田を特徴づけていた多様な列島の民の像は姿を消し、稲作と祖霊信仰が彼の民俗学の中枢に座ります。その主体に常民が据えられる。民俗学者赤坂憲雄は昭和3年に上梓された『雪国の春』に柳田の思想的展開を見出します。それはこの年、「昭和天皇の稲の祭=大嘗祭挙行された」ことと無縁ではないし、「日本の大陸への侵略、植民地支配、国策としての満州移民といったひと連なり政治の所産ではなかったか」と赤坂は書いています。(『柳田国男を読む』)
いやな時代の始まりです。ついこの前までの大正デモクラシーはどこへ行ったのか。そういえば中村隆英の『昭和史』は第1章ひよわなデモクラシーで始まっています。
食料自給は国家単位ではなく世界に連関する民衆連携として考えなければならないし、食糧安保論には平和を対置しなければいけない、こんなことをしきりに考えているところです。ぼくは思い立って、「現代史の中の農と食」(「農と食の現代史」ではない、念のため)を最後のテーマにしようと米騒動から書きはじめ、昭和恐慌のところで早くも行き詰まり、柳田がなぜ転向したのか、20代のころそろえた柳田国男選集を引っ張り出したりしているところです。
日本回帰、ナショナリズム、農本思想とファシズム。農と食はいつもその境目でうろうろと危うい足どりをたどります。小農論の現代版としての家族農業論、有機農業、食の安全、種を守れ、自給、食の安全思想。思想的に鍛えられていないこれらの潮流は、かつて平和の思想だった農本思想があっという間に絶対主義天皇制にとりこまれていったように、国家主義の一翼を担うことなってしまうかもしれない。
「そんな事グダグダ言っている暇はないよ」、と横で連れが口をはさみます。
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