2022年08月06日13時49分掲載  無料記事
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欧州

「パンデミックで悪化した階級間の壁 〜フランスにおける新型コロナ感染症対策の自宅閉じこもり違反者の報道から〜 その2」 ソフィー・ビュニク 

(ソフィー・ビュニクさんの寄稿のつづきです。昨年書かれたものを転載しています) 
 
寄稿:Sophie Buhnik ソフィー・ビュニク (社会学・人文地理学) 
翻訳:村上良太 
 
 
  その反動から、メディアや論説記者たちは急進左翼を活気づけ、またポピュリスト的政党をも持ち上げつつ、ブルジョア階級や経営者たちの利己主義を強く批判した。ブルジョア階級と経営者たちは、大衆が労働に拘束されている中、コロナ対策の自宅閉じこもりからも抜け出すことができた。 
 
  たとえば、最初の自宅引きこもり命令が出される数日前のことだ。最も富裕な家族は〜たいていパリやリヨン、ボルドーなどで賃料が最も高い中心街区に居住しているのだが〜この時ばかりは田舎か、海浜にある別荘へと繰り出したのだった。また田園地域の別荘を借りうけた者すらいた。出発前に自家用車のトランクにインターネットで購入した生活必需品を詰め込んで。政府は地方の公立病院のベッドが満杯になってしまうのを避けるため、普段生活している住まいにとどまって移動を慎むようにと人々に訴えていたにも関わらずだ。彼らは外国旅行をよくすることから、初期の新型コロナウイルスの拡散に寄与したわけだが、これら多数の富裕な家族による「公共性の欠如」がさらに加わった。 
 
 その結果、制約をかいくぐり、さらには、それをあざ笑ってさえいるかのような特権層の個々人の振る舞いに対して、非難の目が向けられた。片や貧しい地域では、監視に当たっていた警察官たちは容赦なく庶民を抑え込んでいたのである。仕事をしなくてはならない貧しい労働者の住宅では、食料や必需品の供給が難しかったが、さらに庭のない狭い家の中に人々が詰め込まれてあえいでいた。これについては、Usulというネームで活動している著名な極左ブロガーがオンライン上にあげた映像で見ることができる。 
 
  こうした文脈の中で、ある話題にSNS上で数多くの議論が巻き起こった。上流か否かはともかく、このような夜の集会に多くの「無責任な」人々が集まり、誕生日やあるいはもっとシンプルにコロナ禍以前の習慣を続けるためにパーティを開いたことが問題となったのだ。 
 
  2週間ほど前、非合法レストランに関する報道で話題は頂点に達した。コロナが広がる前はとてもリッチな場所で操業しており、パンデミック下における顧客の需要になんとか合わせようと試みるレストラン群に、メディアは照準を合わせた。これらのサービスだが、たとえば高級な料理を「プラトー・ルパ」と呼ばれる、機内食的な容器につめて宅配するようなケースでは合法でありえる。 
 
  だが、別のケースでは問題だ。住まいで、もぐりの宴会を開いて、数に多少違いがあれど顧客を何人も同じ部屋に招き、食でもてなすようなサービスだが、これはコロナ禍のもとでは法律で禁じられていることだ。 
 
  このような形でフードビジネスを継続するやり方について、フランスの多くのシェフは承認していない。彼らは、こうしたことをしていればいずれフランスの美食文化が廃れると警告をしている。また同時に、コロナ危機のおかげで食事がもっとシンプル、よりホット、そしてよりアクセスしやすい性質のものに変化する可能性があると考えている。 
 
  フィリップ・エチュベスのようなシェフは、そうしたやり方は経済の基幹部分の一部分を壊し、食通の国フランスのイメージを殺すものだと批判した。さらに、公式統計によれば2020年4月にフランスのコロナによる死者は10万人に達しているが、そのような特殊なやり方ではコロナ感染を防ぐこともできないのだというのだ。 
 
  こうした文脈の中、サントロペのレストラン「ラ・ターブル」の元シェフで人気歌手ジョニー・アリデイの個人シェフでもあった料理人クリストフ・ルロイの行動がM6チャンネルで暴露され、レストラン業界の人々は彼と距離を置くこととなった。4月2日金曜に放送された隠しカメラによるルポルタージュでは、顧客たちが暗証番号を押して、ヴィヴィエンヌ宮に入っていき、トリュフやシャンペン、キャビアなどの非常に高価な食材が使われた夕食会に出席した。 
 
  この特殊なホテルはピエール=ジャン・シャランソンの所有する物件で、彼はナポレオンの遺品のコレクターとして名が知られている。疑いをかけられた主要な二人(オーナーとシェフ)は事実を否定した。とはいえ、クリストフ・ルロイは「私的なクラブ」であるパリの「ルロイ・ビジネス・クラブ」をオープンしたことは認めた。そこは入場料だけで最低130ユーロ取られるクラブなのだ。 
 
  しかしながら、8週間ほど前にルロイのインスタグラムに掲載された写真群では、ピエール・ジャン・シャランソンや他の人々がヴィヴィエンヌ宮に入っているところが写され、「ルロイ・ビジネス・クラブ」の最高の食事と記されていた。ルロイはM6を訴えると語った。一方、パリの検事は「他者の人生にリスクを与えたことやもぐりビジネスを行ったこと」などの件で調査を始めた。 
 
   他に論争を呼ぶ点は、閣僚や政府高官たちが(たとえば元欧州議会議員のブリス・オルトフーのような)この類の夕食に参加し、あるいは少なくとも定期的にこうしたソワレ(夕食会)に招かれた場合のことだ。後者の例では、政府スポークスマンのガブリエル・アタルのケースがあげられる。女性の権利大臣をつとめたマルレーナ・シアパの場合は政府に投げられた中傷に言及し、政府のすべての人間は政府が出した命令に則り、最大限、厳格な日々を送っていると断言した。 
 
 左派の人々は、このようなスキャンダルは格差の拡大の中に刻印されたものだと考えた。さらに、新自由主義時代の下で税金を通した富の再配分が減少したことで富裕になったニューリッチたちの家族は何をしても許されるのだ、という感覚を抱くようになった。こうした視点を抱き、さらに以前から続いてきたスキャンダルを考慮すれば、政府高官たちが経済界のエリートたちと腐敗した関係を持ったとしても、なんら驚くべきことではないように思われる。そこから、違法なレストランへの黙認も起きたのだろう。 
 
 一方、右派の人々は逆にこの手の報道が成功した人々への「憎しみ」を掻き立てているとして非難した。さらに、若い世代を富裕層と同じ行動に走らせるとも批判した。とはいっても、右派の人々もまた簡単に、外国出身の人々に対して、フランス国家に対して分離主義的企てを起こしているとか、フランスの伝統を重視しないなどと批判しているのであるが。右派論客たちはそれを、イスラム主義者たちの組織が復讐と称して名乗りを上げている、フランスで最近増えているテロ行為と結びつけているのである。極右の論説記者であるエリック・ゼムールは、「フランスの自殺」という著書で知られるが、彼はまさにこうした姿勢を示している典型的な人間の例であり、経営者側に立っているのと同時に、ナショナリストでもある。 
 
   最後に、この件について最も興味深く、真相暴露的だったのはインターネットユーザーたちが作った料理のパロディだった。スキャンダルで一番衝撃を与えたものの1つが、料理の値段とメニューとの乖離である。個人用の昼食か夕食のメニューで、1食分が飲み物なしで450ユーロ(約58000円)まで。しかもシェフのクリストフ・ルロイが運んでくる料理というのがまた醜いのだ。インスタグラムの写真で見ることができたなら私の言っていることが信じていただけるだろう。約20年来、ある程度は日本の懐石料理の成功の影響もあろうが、またケミカルな食材を含んだものやオーガニックな食材を使ったスペインのシェフアドリア・フェランによる料理などのおかげをもって、星つきのフランスのレストランは伝統料理も新しい創作料理も、その皿の上の並べ方( あるいは「ドレサージ」(組み立て)に異様な努力を費やしてきた。富裕層の人々の味覚への期待は「食餌療法」の基準に移行しており、彼らの購買力がUPすることによって、メニューの価格も高騰しているのだ。もはや単なる食事ではなく、体験(それは「リッチな体験」と呼ばれている)が問われているのである。こうした進化に比べてみると、ベルエポック(1880-1910)の間に確立されたフランスのビストロ料理は、カロリー的にも視覚的にも重く見えた。 
 
 素晴らしいレストランはますます洗練された準備や調理技術を使用するチームの助けを借り、メニューを1枚一枚の皿における一連の「パフォーマンス」に変えた。星つきレストランで撮影された料理の写真がインターネットで拡散され、国際的な競争も激化した。2010年代にはこうしたメニューが市場で飽和状態にまで達したのだった。 
 
 これらの要求に直面し、インターネットユーザーたちが笑ったように、クリストフ・ルロイが販売する料理は醜さによって際立った。コショウの真ん中の乾燥したウミヒゴイ、トリュフのスライスは大まかに切られ、他の非常に高価なものの上に置かれていた。たとえばクリーミーなソースに溺れたロブスターなどなど…その後、学生や若年労働者たちは、以下に示すように、同じくらい食欲をそそる自家製のパスタを100ユーロ(約1万4千円)または150ユーロ(約2万円)で販売すると申し出た。 
 
https://twitter.com/TomMcfly1955/status/1380848125569605633 
 
https://twitter.com/AdrienGron/status/1380586303851483140 
 
https://twitter.com/Tnerolfueven/status/1382040184242511874 
 
 ここで批判されているのは、政府の方針に逆らってオープンしていたこれらのレストランにやって来た客たちの下品さである。客たちは結局、風味の乏しい料理に対して法外な料金を支払う心構えができていた。というのも彼らにとって大切だったことは、エリートの一員であることを示すことだったからだ。彼らはますます多くのフランス人が陥ることになった空腹には知らんふりだった。 
 
 最も裕福な1%の人々の不道徳について今、議論する際に、しばしば浮かんでくるのは、基本的に1789年の夏に先立つ飢饉と怒りの時代の記憶の影だ。これらの議論には、クリストフ・ルロイのプライベートクラブのメンバーよりも貧しくても、必ずしも学歴が低いとは限らないフランス人たちによって行使された復讐という印象もある。「お金ですべてを買うことができない、特に趣味は」という格言はフランスで今日も人気がある。この格言は、フランスでは優雅であるための、そしてファッショナブルであるための方法と結びつけられて語られる。有名な「パリのシック(粋)」という言葉は、所有や、最も高価な物を身に着けているということに断固として依存しない。むしろ、材料を使いこなしたり、ノウハウを習得する能力に依存するのである。 
 
 こうした見方に立てば、富裕層であろうが中流であろうが、またプロレタリアであろうが、社会階級が持つ機能の複雑さが問われることになる。というのも、それぞれの内部にも開きが生じてきているからだ。「労働者階級」と一口に言っても、今日、非常に多様な状況と広がりが存在している。同様に「裕福な階級」という言葉にも、もはや均一性は失われているのである。 
 
  クリストフ・ルロイは成功した歌手ジョニー・アリディ(1960年代に「イエイエ」という音楽ムーブメントでスターになった)に親しかった。パレ・ヴィヴィエンヌの非常に豪華な装飾や記念写真用に客たちが選んだポーズと服… これらは否応なしに「ニューリッチ」という言葉を放っている。あるいはフランス語の「成り上がり」という言葉の通りの印象を与える。今回のケースでは、団塊世代の彼らの両親が戦後、起業家になって富を増やした結果、彼ら自身、多かれ少なかれ事業の出発時に不動産か金融資本を保有でき、それらを元手に、透明性にはばらつきこそあれ、彼ら自身も利益を得た可能性はある。彼ら、新興エリートたちは、米社会学者のリチャード・フロリダが記した知的ブルジョアジーからも、さらに「創造的な階級」からさえもほど遠く、むしろIT業界におけるスタートアップに結びついている。彼らは、ここまで俗悪な夜会にあまり精神的でない人たちと出向く、ということに嫌悪感を感じていた可能性もある。しかし、これは新しいことではない。小説「失われた時を求めて」では、ヴェルデュラン家の夫婦は、その莫大な富にもかかわらず、古いサンジェルマンの貴族のサロンほど有名な社交界のサロンを開催することができなかった。すでに第一次大戦前にはサンジェルマンの貴族は衰退こそしていたのだが、それでも良い趣味を示すことができたのだ。 
 
 
(終わり) 
 
 
ソフィー・ビュニク(地理学者) 
 
Sophie Buhnik 
 
翻訳:村上良太 
 
 
■「パンデミックで悪化した階級間の壁 〜フランスにおける新型コロナ感染症対策の自宅閉じこもり違反者の報道から〜 その1」 ソフィー・ビュニク 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202208061311386 
 
■フランスの社会学者メラニー・ウルスさんの見つめる日本の「貧困」 
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