2022年08月25日13時34分掲載
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アジア
「オールジャパン」が建設のミャンマー経済特区変貌 企業活動落ち込み、軍用ジェット燃料の搬入が増加 宇崎真
日本財団の笹川会長がミャンマーに足を運んだのはクーデターから9か月以上経った昨年11月のことである。12日に丸山大使と会談の後、13日ミンアウンフライン総司令官と首都ネピドーで会談した。国軍幹部らによれば、一年ぶりの再会を総司令官は心待ちにしていて一刻も早く来られるようヘリを手配しようかと会長に提案した。だが、その提案は丁重に断ったようだ。会ったときは「まるで実の父親にでも会うかのように慕っている様子がありありだった」という。
▽日本財団の人道支援地域も空爆
ミンアウンフライン総司令官は全権限を握る独裁者である。全て一存で決めるには時に不安に駆られ、占い師や信仰の対象に頼るというケースは少なくない。総司令官はかつてタイの王室の絶対的な信頼の下、軍と政界に隠然たる影響力を維持したプレム枢密院議長(故人)を「父のように慕っていた」のは広く知られた事実である。ミャンマー国内では特別にひきたててくれたタンシュエ前総司令官は恩人であり、その人の前では息子のように膝まづくという。恐らく笹川陽平氏もその父親代わりの一人なのだろう。総司令官に近い軍高官によれば、「その慕い方は、渡邉会長との親交ぶりとも質が違う」と言う。筆者の見方では渡邉会長との関係はもっとドライでビジネスライク、敢えていえば権力者とクローニーの関係に近いといえるだろう。
その高官はこういう例もあげた。「20年11月の総選挙の前後二回、総司令官と笹川会長の会談がもたれた。選挙2日前と2日後だ。選挙結果が明らかになったとき笹川会長はアウンサンスーチー国家顧問と先ず会い、その後総司令官と会った。総司令官は予想外の惨敗でがっくりと意気消沈、目に力がなくなりまるで笹川会長にすがるような態度だった」
だとしたら笹川+丸山両氏の「独自パイプ」が21年1月の国軍の強硬な発言、揺さぶりも「ブラフにすぎない」と判断してもおかしくはないかもしれない。だがビルマ/ミャンマーの半世紀近い軍政の歴史が示す国軍の強烈なレゾンデートルを見誤っていたのだからやはり決定的な失敗といえるだろう。
この失敗は一時的なものではなく本質的構造的なのと筆者にはみえる。クーデターの後日本のミャンマー外交はほとんどお手上げなのではないか。笹川会長の「人道支援に特化した活動」もミャンマーではクーデター以降実質中断している。もともと人道的援助を基盤にして政治的コーディネートを進める構想で進めてきて、その土台自体が崩れてきているのだ。インド製コロナワクチン2百万回分を国軍支配下のミャンマー赤十字に届けた(22年1月)のを除けば、肝心の少数民族地域への人道支援活動もストップしている。
その典型的なケースを国軍の空爆(21年3月)によって破壊されたカレン族の国内避難民の村レイコーコーに見ることができる。タイ国境から20キロ、日本財団(笹川会長)が家を失ったあるいは弾圧を逃れてきた避難民のためキャンプ家屋を建設した村である。そこを国軍は空爆を加え数千人がタイ国境を越えようと逃げ惑った。20年ぶりの激しい空爆であった。
今年3月、笹川会長はネピドーでミンアウンフライン総司令官と会談したあとチェンマイに向かい少数民族武装勢力と会った。カレン族代表らはその村の復旧という緊急人道支援を期待した。だが断られた。その会合を取材したミャンマージャーナリストらによれば「笹川氏はミンアウンフラインが許可してくれないから無理だと答え失望を買ってしまったのだ」という。
筆者はミャンマー辺境の少数民族地帯の取材で「Japan Foundation」「Sasakawa」の名を各地で聞いた。よくこんな奥地にも入り込んでいるものだと感心もし、ラカイン州シットウエーからチャオピュー島への移動に「日本援助のフェリー」を使ったりもした。その社会貢献はアウンサンスーチー氏も評価し期待していたことだ。だがクーデターで国軍と国民の間に越えがたい敵対性が生じた状況では笹川氏の大看板「人道支援」も実質ゲームオーバーとなっている。氏の発言から国軍批判は一切なく、かつて時折のぞかせたアウンサンスーチーと彼女が率いる国民民主連盟(NLD)批判は氏の立場をおのずと語っている。
▽日本ミャンマー協会から有力企業の退会続く
渡邉日本ミャンマー協会会長の「国軍担当」は既に破綻している。同協会の加盟各社のなかからキリン、トヨタ自動車、三菱商事、川崎汽船、伊藤忠商事、東京海上火災などの有力企業の退会が続いている。ミンアウンフライン総司令官と渡邉氏との「親交」は利害の一致から生まれたものであり、クーデター後は渡邉会長が国軍の「対日スポークスマン」になったのかと思わせるほどである。日本外務省もさすがにこのパイプはあまりに国軍一辺倒で都合が悪いと判断し距離をおいている。
渡邉会長が先鞭をつけ成功したティラワ経済特区は「現在113企業中45企業のみがフル稼働、27工場が5割生産に落とし、残りの41工場が操業停止している」(22年8月14日付イラワディ紙)。クーデター後国軍はこの経済特区管理委員会の責任者を逮捕、新任を影響下におき実効支配を強めてきた。経済特区に隣接する港湾ターミナルも支配している。
地元住民の目撃談によると、クーデター以降航空燃料を運ぶ中国タンカー、国籍不明のタンカーのティラワ入港が目立つようになった。軍用機用のジェット燃料輸送時には空軍、海軍兵士らの物々しい警戒体制が敷かれるからすぐに判るという。ヤンゴン港、ティラワ港へのタンカー入港を調べている人権団体等によれば、軍用ジェット燃料がシンガポール、マレーシアの精油施設を経て搬入され国軍の空爆作戦にも使われている可能性が極めて高いとみている。
ミャンマーナウ紙(21年7月28日付)は「パナマ船籍Santya名のタンカーが日曜早朝(7/25)ティラワに入港 海軍兵士が警備 港湾関係者によるとこのタンカーはしばしば入ってきており、ENECOS Ocean Shipmanagement が運航している」と報じた。要するに新日石グループ傘下の石油タンカーである。国際海事機関のデータを調べると、Santya号は2013年広島県尾道で建造、全長160m積載重量1万9千トンでシンガポールのジュロン島とミャンマーのティラワ港を繰り返し行き来している記録がある。
「オールジャパン」で急ぎ建設したティラワ経済特区・工業団地も国軍にとって大いに利用価値のあるプロジェクトに変わりつつあるようだ。
日本ミャンマー協会を率いる渡邉会長、その息子の渡邉裕二事務局長は「国軍支持」を謳ってはばからない。ティラワ経済特区の変貌をどのようにみているのだろうか。
だがそういう状況下でも、日本の内閣官房の審議官が渡邉氏と一緒に軍政閣僚と会談をおこなっている。その審議官は「自由で開かれたアジア太平洋構想」の担当だという。外務省の線では軍政への露骨な接触はまずいが、政府の基本方針であり安倍元首相の執念で立ち上げた構想を棚上げしていく訳にはいかないということか。加盟企業数が減り続け日本ミャンマー協会の予算も大幅減となっているが、それを日本財団が資金面で下支えするという構造もある。
笹川会長は今年3月以降再びミャンマーに関して「沈黙」している。「人道援助」を第一に掲げる氏が、国軍によるクーデターと反対勢力への弾圧、抹殺行為に一言の批判もせず、
民主活動家4名の死刑執行(1976年以来46年ぶり)に対しても何も発言しなかった。
クーデターは国軍の素性と素顔を明らかにした。そして日本の「独自パイプ」の本質をもさらしてしまったのだ。渡邉秀央氏の言葉「いかに日本外交は貧弱か」はその一点だけにおいて正しいといえよう。 (つづく)
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