2022年08月28日10時59分掲載  無料記事
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検証・メディア

コンテンツとストラクチャーの違い  報道のストラクチャーの民主化こそが重要

  今、TVでは日本テレビやTBSが旧統一教会をめぐって優れた報道をしており、素晴らしいことだと思います。これを否定するつもりはないのです。ただ、ここで指摘したいのはメディアではコンテンツとストラクチャーの違いを無視することができません。すなわち、コンテンツとは具体的な取材メニュー、番組、テーマといった例えていえば皿に盛る具体的な中身、料理です。今、それらの放送局ではこれが充実してきたことを意味します。 
 
  一方、ストラクチャーは先ほどのたとえで言えば、料理を盛るお皿でしょう。皿がなければ料理を盛ることができません。このストラクチャーが堅固であるかどうかが、最も大切です。ストラクチャーが堅固であれば、やる気のある取材者、能力のある製作者はたくさんいるのです。しかし、ジャーナリズムを可能にするストラクチャーが不安定だったり、そもそも欠落していると、そうした人々は活躍の場がありません。 
 
  本来、資本主義の世界であれば、よい報道をすれば視聴率も上がり、スポンサーも金も集まり、利益が配分され、さらにそれが投資されてさらなるコンテンツの製作へ、という風にプラスのスパイラルを描くはずです。しかし、過去10数年、この構造が日本で機能しなくなっています。この分析はいろんな知恵を持つ方の分析が必要でしょうが(たとえば教育やグローバリズム、社会の格差なども関係しているでしょう)、私が考えるに根本にあるものは、スポンサーの大企業や政府(与党)による放送局へのプレッシャーだと思えます。もう1つは、調査報道は金がかかるために、2008年のリーマンショック以後、あるいはもっとさかのぼれば1990年代のバブル崩壊後、調査報道の番組枠が縮小してしまったことにあります。 
 
  調査報道に携わる人材を育成するには手間暇がかかりますし、それを回収するにはコンテンツではなく、ストラクチャーが健在でなくてはなりません。放送局の幹部ひいてはその背後の大物たちの意思一つで番組枠が飛んでしまったり、番組が没になったり、選挙結果次第でスタッフが解雇されたり左遷されたりするようでは安心してコンテンツを作ることができません。放送業界は通常のビジネスマンの世界に比べると労働組合も未熟で、スタッフの生活は多くの場合、不安定なものになっています。それゆえに、この調査報道の分野は、ハイリスクの業界になっていると思われます。 
 
  報道は政権が右派であれ、左派であれ、権力を監視する任務が重要であり、それは政権がどんな勢力であれ、基本形は不変であるべきです。右派のファシズム政権であれ、左派の全体主義政権であれ民主主義とは異なる政権は常に報道に圧力をかけ、自由な報道を禁じてきました。であるがゆえに、選挙結果次第で、報道チームが入れ替えられたり、番組がなくなったり、ということは望ましくないものです。政権がなんであれ基盤が揺るぎないものであれば、携わるスタッフもそこに経験と知識を積み上げ、チームをより充実したものにしていくことが可能となります。第二次安倍政権の初期にNHK会長に抜擢された元商社マンの籾井氏は「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」と語りましたが、まったく誤りです。こういう放送局であれば選挙結果次第で、ころころキャスターが変更になったりスタッフが左遷されたり、制作会社が疎んじられたり、番組の基準が突然変わったり、時には番組自体がなくなったりしてもおかしくはありません。つまり、これがリスクの高さになります。 
 
  安倍首相暗殺後の報道によれば旧統一教会による霊感商法の実態や、政界への浸透はおそらく切れ目なく近年続いていたのでしょうが、7月11日になるまでその報道はストップしていたと言って過言ではないでしょう。これがストラクチャーの問題です。番組を作れと言えば、今活躍中のジャーナリストなどに協力を求めれば安倍政権時代であっても、すぐに番組を制作できていたはずです。それができなかったことこそが、真に問われなくてはならないテーマだと私は思います。そして、今も、番組で取り上げられにくいテーマは多々あるのではないか、と思います。旧統一教会の報道一つとっても安倍首相の存命中と死後で、これほど報道の質も量もこのテーマに関する限り異なっているのです。いったいなぜ、安倍首相の存命中にできなかったのでしょうか。私はコンテンツが変化したとしても、ストラクチャー自体には変化がないと考えています。元首相が暗殺される、という大事件が起きてしまったために、もう隠せなくなった結果、これについては報道が解禁となったと見ることもできるのです。 
 
  経済学者の伊藤元重氏は「入門 経済学」の中で、資本主義世界がソ連や東欧などの社会主義圏に勝利できた大きな理由として、情報が自由に流通するために、無駄が省かれたことが大きな原因としてあると説いていました。政府が国の中央から計画を一元的に立てて、いろんな指令を津々浦々に発信しても、現実の需要とは大きく乖離していることが無駄の原因だというのです。私はこれは正しいと思いますが、さらに、これまでいわゆる社会主義圏では報道が抑制されるのが一般だったために、社会の不正が指摘されないため、修正できなかったことが資本主義圏に敗北した理由であろう、と思います。社会主義圏には報道の民主的なストラクチャーが欠落していたのです。その結果、腐敗した政治家や官僚が居座り続け、経済は無駄が多いものになり、さらに人権侵害が減ることはありません。日本は資本主義圏に属しているものの、この10年近くを振り返ると、情報の流通が発展しない、ストラクチャーの棄損が激しい、という点で、かつての社会主義圏に日々似てきているように思います。それは資本主義の危機でもあると思います。 
 
  放送局の収入源には事業の多角化によって様々なものがありますが、スポンサー企業からの収入が最大のものでしょう。視聴者からの収入に依存しているのではありません。視聴者にはスポンサー企業が広告宣伝費のために売り上げから使う構造です。ストラクチャーを健全にするためには、スポンサー企業、代理店、放送局、国家、視聴者、消費者これらの関係を民主主義国において正しいものにする必要があります。ストラクチャーが民主化されていなければ、いつでもコンテンツは権力によって締められ、統制されます。これは日本史においても幕府が時々の時局を見ながら、統制を締めたり緩めたりしたのと同じストラクチャーと言えます。こうしたストラクチャーは民主主義の報道のストラクチャーとは言えません。一貫して、むらなく、必要な情報が、適切な時点で報道される、それが民主主義のストラクチャーです。そのストラクチャーが健在であればコンテンツも健在になるのです。そして、それは放送局の幹部にいい人がいたとかいなかったといった属人的なことではいけないのです。政治家や社長、会長、経営委員長次第でぐらつくものであってはならないはずです。ストラクチャーとコンテンツを違いを意識し、報道のストラクチャーを健全かつ民主的にするために何が必要か?その実現こそが日本の繁栄と安全に必ず寄与するはずなのです。 


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