2022年08月30日20時41分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202208302041042
みる・よむ・きく
戦争がもたらす理不尽を正視してこそ 『失われた時の中で』 笠原眞弓
なんということか!坂田雅子さんの枯葉剤に焦点を当てた前2作『花はどこへ行った(2008年)』『沈黙の春を生きて(2011年)』とは全く違った重みで迫って来た。まるで坂田監督の夫、ベトナムに派兵された写真家グレッグ・デイビスへの鎮魂歌でもあり、これまでの彼女の心の旅の一つの区切りのようでもあった。映画を撮り始めたきっかけと、撮影しながらも聞こえてくるデイビスの声に励まされて完成していく愛の作品でもある。
ベトナム戦争といえば、いくつかのキーワードがある。その中でも「枯葉剤」は大きな意味を持つ。
この戦争で使われた枯葉剤の実際の被害者とその家族を長期にわたって訪ねていることから、成長に伴った問題点や、複数の障害者を抱えて高齢になった親が看取っていく困難さ、彼らの不安をカメラは遠慮なく映し取っている。
家庭で育てられない子どもたちを引き受けている施設の一つ「平和村」が、近々閉鎖されるという。身体欠損の障がいしかない人は、自立して巣立っているが、多分そういう人は少数なのだろう。彼等入所者の行き先は、全く決まっていないのだ。
ベトナム戦争で枯葉剤を大量にまかれた地域では悲しいかな、もう戦争が終わって50年近くなり4世代目になる現在でも障がいを持った子どもが生まれているということだ。世代を超えて引き継がれる様子とそれを誰も責任を取らない無責任を告発している。それは、今起きている現実のフクシマと同様に思えて神経がビリビリする。加害者や行政は悠々としているのに、被害者たちは大きな権力の前で、できるわけがないし、筋違いでもある「自立」を模索させられているということだ。
では、アメリカは彼らにどんな補償をしているのか。被害者がアメリカを相手取り訴訟を起こしても、国際法では戦争の終結時点で枯葉剤は、禁止化学兵器として未承認であったから、原告側が因果関係を証明しなければ補償の対象にならないということで棄却している。もしこれを認めれば、この製薬会社は確実に倒産することを視野に入れてのことだ。司法が感情に左右されてはいけないとは思うが、こうして目の前の苦しむ人を見捨てられる冷たさ。これは世界共通なのか?
子どもが枯葉剤による被害者であるフランス籍のベトナム人ジャーナリストは、フランスで裁判を起こす。ここでもアメリカの企業を裁く権限はないと訴訟は受理されない。しかし彼女はこのことが広く知られたことに意義があると述べ、これからも運動を続けると宣言する。巨象に挑むアリのようでもある悲壮感に満ちたその姿に、それでもわずかな希望を見出した。
(笠原眞弓)
監督:坂田雅子 60分
ポレポレ東中野(9/1まで)ほか第七藝術劇場、第七藝術劇場、京都シネマなど全国短期間の劇場上映。お見逃しなく。ご確認ください。公式ホームページ:
http://www.masakosakata.com/longtimepassing.html
-------------
坂田雅子さんたちは、枯葉剤被害者への支援、第七藝術劇場、を続けている。下記にホームページ作成ドレスを示す。
枯葉剤被害者への支援(http://www.masakosakata.com/longtimepassing.html)
⼝座名:ベトナム枯葉剤被害者の会 代表 坂⽥雅⼦
三菱 UFJ 銀⾏ (0005)⻘⼭通り⽀店(084)普通:0006502
※お振込いただいた際は、masakosakata@gmail.com までご⼀報ください。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。