2023年01月27日16時20分掲載
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コラム
戦後民主主義も憲法の素晴らしさも実感が持てない世代と圧倒的にリアリティを感じられた世代の間に体験の格差がある
「戦後民主主義も憲法の素晴らしさも実感が持てない世代と圧倒的にリアリティを感じられた世代の間に体験の格差がある」このようなべたなタイトルを掲げたのは、昭和と平成の間で社会・政治・経済・世相の革命的な変化が存在しており、それを体験した人としていない人の間で、同じ日本語を使っていても、意味概念あるいはそのイメージがまるで共有できていない、ということが存在しているように私には思えるし、そのことが今日の自民党政権の改憲運動や憲法違反の法令に対する反対の運動にも大きな障壁となっていると思えるのだ。
2002年のドイツの映画『グッバイ・レーニン』は、心臓病の母にショックを与えないために、息子がベルリンの壁崩壊後さらに統一後のドイツであるにもかかわらず、偽りの東独の生活を維持するのだが、総合的に見れば日本における変化もそれくらい大きな変化だった。格差が開き、工場は移転し、未来に希望が持てなくなり、若者たちは就職が難しくなった。そればかりか、昔は当たり前だった正社員になることがエリートの証にもなった。最低賃金レベルのパートの仕事を掛け持ちしている人々には、労働基準法すら当てはまらない暮らしを強いられている人が多く存在していると私は思う。
問題はここからだ。この平成以後の激変した社会の状態が、戦後憲法のもとで進行してしまった事実である。もちろん、それと闘った人々は多かった。それでも力が足りなかったのだ。そんなに素晴らしい憲法があるのに、このクソ社会はなんだ、と思った若者も多いと思うし、思ったとしても無理はない。過労で死んだ若者もいる。昭和から平成に移ったのは1989年であり、34年前である。ということは30代以下の世代は昭和時代の繁栄など理解できないだろうし、戦後民主主義の素晴らしさも理解できないだろう。50代以上の世代の人々が守りたい理想的な価値がどのようなものかが、まったく理解されていないであろうことが問題なのだ。生まれた時から、素晴らしい憲法とクソ社会だけ見せられた多くの比較的若い世代、あるいは中堅以下の世代には、憲法が何をしてくれるのか?と疑問を持つ人は多いだろうと思うのである。派遣労働を含めた非正規労働者が4割にも達しているのである。実際には憲法のおかげで最悪の手前でとどまっているのだ、としてもだ。
そして、その憲法に対する見方の最大の違いは、年長の世代の周りには圧倒的多数の戦死者・戦没者・戦災障害者が身近に何人も存在していたことである。それは理念の問題以前に肉体レベルの痛みであり、痛みへの想像力だった。この悲痛な体験が戦後憲法へのありがたさを保証するものだったのだが、戦争が遠くなったために、そしてそのような人々の存在が遠くなったために、若い世代にとっては戦争が肉体とは切り離された単なる概念でしかなくなった。だから、その悲痛な体験を繰り返さなくては、憲法の素晴らしさへの実感を持つことができないであろうことは、距離を置いてみれば、悲劇を越えて人類が繰り返してきた普遍的な喜劇と言えよう。
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