2023年03月04日10時57分掲載
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アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(18)CDMから武装組織へ合流する若者も 西方浩実
「ミャンマーは内戦状態なの?」と聞かれることがある。私がヤンゴンで見ている答えは、NOだ。内戦どころか、銃声さえ聞かない。戦車も見ない。抑圧下で静かに暮らしている。ただ、街から軍の姿が消えることはない。
▽女子大生への性的暴力に抗議デモ
数日前にショッピングセンターに行った時、ふと窓の外を見ると、高架下に警察車両が数台並んでいた。うわ、検問かな・・・帰りはあの道は通らないようにしよう。そう思って買い物を済ませた1時間後、そこにはもう軍の姿はなかった。移動しながら、市民生活を監視してまわっているのだろう。なんとなく感じる、じめっとした不気味さ。
市内には何ヶ所か、軍のバリケードによって通行止めになっている道がある。当然バリケードの向こうでは兵士がうろうろしている。別に危害を加えられるわけではないのだが、条件反射で身構えてしまう。場所によっては「ちょっと通して」と頼めば、端っこを通らせてくれたりするらしいが、個人的には、とてもそんな気にならない。ぐるりと回り道して歩く。
数日前、たまたま通りすがった道すがら、山のように土嚢袋を積み上げた厳重なバリケードを見かけた。夕暮れの薄暗い空気の中、土嚢袋の向こうには、大勢の兵士がうようよしている。すでに、一見何事もなくなったような街の中で、1カ所だけ「えっ、何ここ」と思うような異様な空気。
びっくりして一瞬足を止めそうになると、監視役の兵士がヌッと立ち上がる。いかんいかん。興味を失ったふりをして、その場を立ち去る。あとから聞いた話では、何者かがここに先週、爆弾での攻撃を仕掛けたのだという。今さらバリケードを張っても、、、と思うが、攻撃を受けた以上、何も対策しないわけにもいかないのだろう。
そんなヤンゴンに今日4月26日、なんとデモ隊が戻ってきた。仕事中、ミャンマー人の同僚が声をひそめて「今日からまたデモが始まるよ」と教えてくれた。「え、危なくないの?」とアホみたいな質問をすると「危ないに決まってるじゃない!だからゲリラ的にやるの」とのこと。
なるほど、24日開催のASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会談(注1)に関する抗議デモか、と思いきや、彼女によると別の事情があるらしい。「この間逮捕された女子大生が、取調室で性的暴力を受けたの。昨日、家族が彼女に面会したときに、取調室で女性器を蹴られた、と証言したんだって。ミャンマーでは過去にも、民主化運動のたびに軍による女性のレイプが起きている。だから、そういう野蛮な行為はもう許さない、という抗議の意を示すのよ」
帰宅してSNSを開くと、そこには確かにデモをする若者たちの姿があった。同僚のいうとおり、たった数分のゲリラ的な抗議デモだ。通行人のふりをして集まり、デモをするときだけ路上で横断幕を広げ、数分間シュプレヒコールをすると、急いで撤収する。街中に散在する兵士たちが、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくる前に。
以前に比べたら、決して大きなデモではない。でも、自由を、人権を、決してあきらめない。命がけで闘う、優しい人たち。どうかその命が守られますように、と祈る。
▽正月に防空壕を掘る
4月26日、カレン州に住む友達から「家の庭に防空壕を堀った」と聞いた。まさか「お正月休み、何してた?」という世間話の返事に、こんな前時代的な答えが返ってくるとは思わなかったので、とっさに返事ができず、まごつく。近所もみんな掘ったというから、彼の家だけが大袈裟なわけではないのだろう。
確かにカレン州では、3月27日(国軍記念日)に空爆が始まって以降、数万人の避難民が出ていると報道されていた。SNSには、のどかな田舎の村が戦闘機からの空襲を受ける映像。突如ボカンと火の手があがった家から、身一つで飛び出し、走って逃げる村人たち。戦争映画のワンシーンのような映像に、これは本当にこの2021年に撮られた映像なのだろうかと、思わず疑ってしまう。
カレン州の友人のことも心配で「そっちは大丈夫?」とたびたび電話をしていたのだが、そのたびに「うちの村は大丈夫だよ!」と明るく返されるので、いまいち深刻度がつかめなかった。今日も「防空壕を掘るなんて、どんなに怖い思いをしていたのだろう」と思いきや、「これでもういつ攻撃されても大丈夫だ」と笑う。
どうしてそんなに平然としていられるの?と聞くと「僕たちはカレン族だ。こういうのに慣れているんだよ」と言う。どこか自慢げにすら聞こえる彼の言葉に、思わず天を仰ぐ。「慣れている」。そう言えてしまうような事実が、確かにミャンマーにはある。
ミャンマーの少数民族地域では、独立以来、実に70年以上ずっと軍と武装組織との武力衝突が続いてきた。クーデターが起きる前から、世界で一番長い内戦を戦っている国なのだという。今回のクーデター後も、翌日にはすでにカレン族やシャン族をはじめとする複数の少数民族の武装組織が、軍事クーデターに反対する姿勢を明らかにしていた。(注2)
実は3月末頃から、都市部でデモをしていた若者たち、いわゆる Z世代の中から、そうした少数民族の武装組織に合流し、軍事訓練を受ける人が出てきていた。軍事訓練を受けているといっても、彼らには今のところ「首都を急襲してミンアウンフライン(国軍総司令官)を暗殺」などという具体的な計画があるわけではなさそうだ。ただ、非暴力で自由を叫び続けても凄惨に殺され続け、国際社会は口先で軍を批判するだけで具体的なアクションを起こしてくれない。そのうち人々が諦めてしまえば軍事独裁が定着し、未来を失ってしまう。その焦りが、若者を山岳地帯に向かわせ、武器を手に取らせている。
実はこの連載(15)に登場した大学生も、ヤンゴンを離れ、武装勢力に合流した。CDM(市民不服従運動)の力を信じ、最後までヤンゴンで抗議し続けていた青年だ。CDMや抗議活動では事態を打開できないと、希望を失ってしまったのだという。小柄で優しそうで、とても人に銃口を向けることなどできなさそうなのに、本当に引き金を引き、人を殺すのだろうか。
この先もし本当に武装蜂起をして軍の兵士を殺したら、彼らは加害者になる。だけど、彼らは本来加害者になるべきではなく、ひたすら一方的な軍の被害者であったことを、そしてこのクソみたいなミャンマー軍にはっきりNOを突きつけられない国際社会の犠牲者であったことを、少なくとも私は覚えていようと思った。
軍事クーデターが奪ったのは、政権だけではない。民主主義を、自由を、若者の将来をごっそりと奪い、ミャンマーの未来を傷つけ続けている。
<注>
1・インドネシアで開催されるASEAN首脳会談に、ミンアウンフライン国軍総司令官が出席することになり、国内では「ASEANはクーデター政権をミャンマーの正式な代表と認めるのか」という怒りの声が上がっていた。
2・例えば、ミャンマーでもっとも歴史の古い反政府武装組織であるカレン民族同盟も「クーデターは民主化の道のりを妨げ、国の未来に深刻な影響を及ぼす」と軍政を批判。武力で国軍を攻撃することはなかったが、軍への抗議デモを行うカレン族の住民らが弾圧されないよう警備にあたるなど、民主派と協力体制を築いていた。
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