2023年04月12日21時36分掲載  無料記事
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真野倫平著『アルベール・ロンドル〜闘うリポーターの肖像〜』(水声社)

  真野倫平著『アルベール・ロンドル〜闘うリポーターの肖像〜』(水声社)は今、メディアをめぐって議論が起きている日本で読まれてほしいタイムリーな企画だ。本書はフランスのジャーナリスト、アルベール・ロンドル(1884−1932)の伝記である。日本ではあまり知られていない名前だが、フランス語圏ではよく知られたジャーナリストで、「アルベール・ロンドル賞」と言えば、その年に最も優れたグラン・ルポルタージュを書いた記者に与えられる登竜門的な賞だという。ジャーナリズム版のゴンクール賞とか、フランス語圏版のピューリッツァ賞という評価まであるようだ。ロンドルはフランスの様々な新聞を舞台に「ルポルタージュ」というスタイルを開拓し、ペンを手に世界を歩き回った精力的なジャーナリストだった。著者の真野氏はアルベール・ロンドルという人間の行動と彼が残した作品の真実に迫っていく。 
 
  第一次大戦から第二次大戦までの戦間期が、ロンドルが活躍した時代だった。取材に彼が選んだ舞台は、それまでの新聞記事ではうかがい知れないフランス内外の世界である。ロンドルは第一次大戦の震源地となったバルカン半島から生々しい現地レポートを送り、また日本や欧米に浸食される中国の情勢、さらに累犯者や重罪犯が送られていたフランス海外領土の孤島での刑務所での恐ろしい実態(これは『パピヨン』というスティーブ・マックィーン主演の映画を思い出させる)、精神病院の真実(治安の見地から精神病院の医師の判断一つで監禁される必要のない人々まで多数閉じ込められていた)、南米に送られるフランスの売春婦とヒモの実像、人種のるつぼで麻薬の貿易港だった港町マルセイユの姿などを生き生きとペンで伝えた。言及されるこれらの記事は、本書の巻末に訳文がまとめて収録されている。これらは後の時代のTVドキュメンタリーの先駆をなすと言ってもよいものだろう。対象も読者の関心を掻き立てる興味深いものばかりだ。特筆すべきは、ロンドルが自分自身を主役=目に仕立てて、現地入りした自分の主観を交えながら現場報告をする、という形で記事をフランスに送ったことだ。これが大変な評判を呼び、新しい叙述のスタイルとして脚光を浴びた。 
 
  「ルポルタージュ」と言えば、私がTVの業界に入った90年代初頭にはまだ、「ノンフィクション」という言葉よりもむしろ使われていた気がする。放送局によって差があるのかもしれないが、私がTBSの番組を作っていた頃、TVの草創期から活躍していたディレクターの吉永春子氏ら古参の人々は「ルポルタージュ」という言葉を使っていた。ルポルタージュは新聞から始まり、ラジオからTVへと発展した。『魔の731部隊』や『天皇と未復員』などの話題作で知られた吉永氏は、草創期はラジオでルポルタージュ番組を作っていた。現場を訪ねて、その臨場感を視聴者に伝えながら、通常のニュースでは描けないデテールまで主観を交えて見つめていくスタイルだ。吉永氏は毎朝、TBSからデンスケと呼ばれたラジカセを携え、前日にデスクと決めた取材現場に出かけた。1日中、マイクを持って現場を駆け巡り、夕方、録音テープを抱えてまたTBSへ帰ったのである。吉永氏によると、当時は記者の主体性が重視された。すなわち記者の目が重要だったのだ。ルポルタージュの命はここにある。 
 
   今日、TVルポルタージュは衰退している。過度の演出や複数で練り上げられた作り物の「主観」など、もはや素の「私」が存在しない程に手あかがついてしまった上に、何かとディレクターの主観や作家性を排除する風潮が強い今日のTVでは難しくなっているからだ。現代では現場を訪ねたこともない「構成作家」やプロデューサーたちが現場の記録を再構成して、失敗しない番組作りが常道になっている。もちろん、複数の目が入ることで勘違いや独りよがりが是正される利点はある。だが、多くの人が入り込むほど「私」という主観から離れていくのは確かだ。そういう意味で、「ルポルタージュ」という表現方式は過去20年〜30年の間にすたれていった。ルポルタージュというスタイルがなくなることは、報道の現場で個の力が弱くなっていることである。 
 
 だが、かつては確かに日本にはルポルタージュは存在したし、存在したどころか、大きく発展したジャンルだった。新聞報道でも、朝日新聞の本多勝一のルポは大きな話題を呼んだ。『カナダ・エスキモー』や『中国の旅』は私にとっては高校生の頃、同時代的に世に出ていたものだ。そして、読者は主人公=目と耳である本多勝一氏の行動と思考を通して、未知の現場に分け入っていったのである。朝日新聞にもそのような時代があったのだ。当時は、80年代半ばのような世界旅行が大衆化した時代ではなかったからこそ、読者は未知の世界に対して、衝撃を感じながら真剣に読んだ。今日、世界中でビデオカメラが普及し、携帯電話1つで動画が撮影でき、SNSにすぐにUPされる。だが、その大半はルポルタージュにはならないだろう。ルポルタージュはある謎を解明するものだからだ。漫然と撮影したり、記載したりすることとは異なる。 
 
  著者の真野倫平氏は、本書を書くにあたって、主人公たるロンドルをいたずらに英雄視せず、彼の限界を注意深く随所で記しているところがとても良いと思った。アルベール・ロンドルは当時としてはいわゆるリベラルな人間だったろうが、それでも欧州の白人としての偏見や優越感から逃れられたわけではなかった。また当時、フランスの資本家が動かしていたフランス帝国主義に真っ向から反対することを避け、むしろ大枠は体制に寄り添いつつ局地戦で真実の描写を行っていた。 
 
  19世紀を中心としたフランスの文学と歴史学の研究者である南山大学教授の真野氏はイヴァン・ジャブロンカ著『歴史は現代文学である』の翻訳者でもある。フランスの気鋭の歴史家で、ノンフィクション作家としても活躍しているジャブロンカは、歴史学者は「Je=私」をしっかり書き込んでいけば、論文とは別の、真実を探る物語が創造できると説く。真野氏が研究したフランスの歴史家ジュール・ミシュレの叙述スタイルもまた、歴史学と文学の境界領域にあった。真野氏が本書を書こうとした動機には、ジャーナリズムと文学の境界領域を、ロンドルを通して探ろうという意図があったと思われる。 
 
  私は来日したイヴァン・ジャブロンカの講演を東京の日仏会館で聞いたことがある。彼は現代の歴史学が客観的記述や科学性を重視するあまり、干からびた面白くないものになりつつあることに危機感を抱いていた。そこで、彼は歴史研究の傍ら、一度も会ったことのないアウシュビッツの収容所でナチスに殺された祖父母の人生を徹底調査で描き出したノンフィクション『私にはいなかった祖父母の歴史』(翻訳:田所光男)や、一人の少女が惨殺された事件を通して家父長制社会の歪みをあぶり出した『歴史家と少女殺人事件〜レティシアの物語〜』(翻訳:真野倫平)などの傑作を自らの手で生みだした。ジャブロンカの翻訳を行った真野氏の手がけた次の作品が本書である。 
 
  今日、日本では新聞が販売部数を減らし、週刊誌も売り上げを減らしている。この10数年の間に消えていった雑誌も多い。かつてアメリカから大波となって襲いブームとなった「ニュージャーナリズム」もすっかり衰退している。そんな中、ジャブロンカは窓を開け放って外から風を吹き込むように「真実を中心に据えた新しい文学の太陽系を作ろう」と語りかけた。真野氏は衰退するジャーナリズムの中に、文学や人間の息吹を取り戻そう、というジャーナリズムのルネサンスを願っているのだと私は読んだ。それには一人一人の記者が企業の序列や社会の権力構造から己を独立させ、忖度しない人間になることから始めるしかない。その意味で、激変する時代の波にもまれつつも、勇気をもって時代を駆けたアルベール・ロンドルの伝記はヒントになるだろう。 
 
 
村上良太 


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