2023年05月19日20時13分掲載
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検証・メディア
「捜査関係者」とはどういう人? 江戸川殺人事件にみる犯罪報道のゆがみ
マスメディアは同じ過ちを何度繰り返せばわかるのか、テレビや新聞報道を見るたびにそんなことを考えている。江戸川殺人事件のことである。これまでの報道はほとんどが「捜査関係者に取材してわかった」ということで確証も物証もないまま捜査側のリークで容疑者が次第に犯人になるという経過をたどっている。その手法は過去のえん罪事件をそのままなぞっているように見える。えん罪事件は例外なく捜査当局のリークによる誘導にメディアが乗って作られてきた。この事件がえん罪であるかどうかは問わない。いえるのは、メディアが捜査側に誘導されて犯人を作るという行為が、何の反省もなく繰り返されているということだ。(大野和興)
事件が起こったのは22年2月24日午後6時半頃。都内江戸川区に住む契約社員山岸正文さん(63歳)が自宅で何者かによって刺殺された。約15ヶ月後の今年5月10日、尾本幸祐容疑者が逮捕された。区立中の特別支援学級教諭で、逮捕早々の報道では優しい先生として生徒に慕われ、教育実践でも頼りがいのある教師と校長のお墨付きをもらう人だった。その人柄については、近所の評判も上々だった。
容疑者は事件への関与を最初から否定、その後一貫して黙秘を続けている。そして、冒頭でも述べたが、「捜査関係者に取材してわかった」報道がマスメディアによって垂れ流されていく。物証も確証もない情報が、捜査関係者という曖昧な人物(本当に実在する人物かどうかも確証も物証もない)の話として、メディで報道されることによって、「真実」に変貌していくのだ。尾本容疑者は住宅ローンを抱え、投資に失敗、それを取り返そうと競馬に手を出し大負けしたと「捜査関係者」が記者にしゃべり、それを受けて「容疑者の裏の顔」と書く報道もみられた。
物証として、被害者宅から容疑者のものとみられる血のついたマスクと眼鏡がみつかった、とこれも「捜査関係者からの取材」ということで報道された。あくまで「みられる」ということで、なぜそう「みられる」のかという説明は一切なく、何を根拠に「捜査関係者」がそう言ったのか、という説明もない。
そもそも「捜査関係者」とはどういう人を指すのか。この表現はこのごろ犯罪報道で多用されているが、「関係者」というのはどのくらいをさすのか。捜査に携わっている警察官をいっているのか、それともその外側にいる警察官なのか、それとも民間人も含むのか。 例えば、刑事が近所を聞き込みに歩いて、話を引き出すために、その相手に「どうやら借金があるらしい。競馬ですったという話もあるが、そんな話を聞いているか」としゃべったとする。その人が記者の取材を受けて「警察はどう言ってましたか」と聞かれ、「何でも競馬ですって借金があると刑事さんが話してました」といったとする。これだって「捜査関係者の話」といえなくもない。ネタに困った記者は、その話に飛びついて「捜査関係者に取材してわかった」という記事を書く。それが事実として一人歩きする。
さすがに、こうした報道手法はおかしいと気付いた記者がいるようだ。東京新聞5月17日付けの「江戸川殺人 教諭逮捕から1週間」は、そのことを示唆している。この記事は「捜査関係者」ではなく「捜査幹部」という表現を使い、血のついたマスクの件について「捜査幹部は『あまりにも不自然だ』と話す」と書く。
また、これまでの報道は、容疑者が金に困り山岸さん宅に窃盗に入って殺した、という筋書きを作り上げているが、これについても、同記事は「別の捜査幹部は『周囲に裕福に見える住宅も多い。窃盗目的だとすると、なぜ山岸さん宅をねらったのかが分からない』と首をひねる」と書いている。
マスメディアは「捜査関係者」などという訳の分からない主体を作り上げて、捜査当局に都合のよい報道をするのは、もうやめた方がよい。捜査側の証拠ねつ造を裁判官から指摘された袴田事件の例もある。先にも書いたが、これは尾本容疑者が真犯人であるかどうかとは関係ない、報道における人権の扱いという基本に関わる問題なのだ。
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