2023年05月26日10時27分掲載
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アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(34)Freedom from Fear 西方浩実
12月11日。ヤンゴンの片隅で声を上げた若者たちが、軍に轢き殺された。逃げまどう若者に、冷酷なスピードで突っ込む軍の車。瞬間、音もなく転がる細い身体。友人から送られてきた動画を見ながら、えっ、うそ!と叫んだ。心臓が嫌な感じに波打った。吐き気がする。クーデター後、もう何百回この吐き気を味わっただろう。どうして・・・どうして、こんな惨いことができるのだ・・・。
その後、若者たちが掲げていた横断幕に【FREEDOM FROM FEAR】と書かれていたことを知った。アウンサンスーチー氏の言葉だ。『私たちをとじこめる監獄は、自分の中にある恐怖心。その恐怖心から自分を解き放つことこそ、本当の自由』。
あぁ、と思わず顔を覆った。彼らが掲げていたのは、軍を攻撃するメッセージではない。軍政への批判ですらない。彼らは、ただ多くの人々に訴えていたのだ。恐れるな、自由であれ、と。
彼らが手にしていたのは、銃ではなく、花だった。
その日の午後、すでにその虐殺の映像が拡散されていたにもかかわらず、ヤンゴン各地でゲリラ的な抗議デモが続けられた。夜8時には、鍋の音。軍に人生を奪われ続けた人たちが、命がけで叫んでいる。
Freedom from Fear。
市民によるミャンマープラザ(市内で最大規模のショッピングモール)のボイコットも続いている。2週間ほど前に、ミャンマープラザの中で横断幕を掲げて抗議の声を上げた若者を、警備員が暴力的に取り押さえたからだ。その日のうちに、ボイコットを呼びかける投稿がFacebookに溢れた。
ミャンマープラザはすぐに謝罪のコメントを出し、警備員をクビにした。あれは提携していた民間警備会社なのだと説明し、自分たちは民主側だとまで言った。それでも人々はボイコットを続け、多くの店が営業を中止している。
なんだかミャンマープラザがかわいそう・・・という気分になっていた私に、友人は「それでも私は行かない」と断言した。「ミャンマープラザが嫌いなわけじゃないよ。彼らが2月に、警察に追われたデモ隊をかくまってくれたことを、私たちは覚えてる。だけど大事なのは、軍政に加担することは絶対に許されない、と示すことなの。」
またある友人はこう言った。「僕らには、思ったことを口にする自由があるはず。軍政は嫌だ、と言う権利があるはずなんだ。それが暴力で封じられたということに、僕たちは抵抗しなきゃいけない。ミャンマープラザはお金のためのビジネスだけど、僕らは人権のために戦っているんだよ。」
タクシーの運転手も、得意げに話してくれた。「僕たちもボイコット中だよ。お客さんの行き先がミャンマープラザだったら、ごめん、行けないよ、って断るんだ。Grab(配車アプリ)でミャンマープラザに呼ばれたときも、すぐにキャンセルしてる。」
軍は、ミャンマープラザの店舗オーナーたちを呼び寄せて、店を開くように命令した。そのニュースを聞いて、友人は笑った。「オーナーに命令して店を開けさせることはできても、私たちに命令して買い物に行かせることはできないわよ。」
国家や法律を思いのままに変えることはできても、人々や社会を思い通りに操ることなどできない。彼らはそれを証明し続けているのだ。
「ミャンマープラザのボイコットは驚かなかったけど、鍋叩きが再開したのは正直驚いたな」と、同僚は言った。デモ隊が無残に轢き殺されたあの日の夜から、ヤンゴンの一部では、再び夜8時に鍋の音が聞こえてくるようになっていた。
「最近は、誰がどこで見ているかわからないだろう?ダラン(軍への情報提供者)もいるし、私服警官もいる。だから僕らは、道端でのおしゃべりにも気をつけなきゃいけない。そういう点では、ボイコットは簡単だよ。買い物に行く先は個人の自由だから、ミャンマープラザに行くのをやめたところで、誰に咎められることもない。でも、鍋叩きは違う。明らかな反軍政の行為だ。しかも、音の発信源で家がバレる。これはすごく勇気のいることだよ」
友人の話によると、その日、『鍋叩きをやろう』という事前の呼びかけはなかったそうだ。軍の蛮行に怒った誰かが最初に鍋を叩き始め、周囲がそれに共鳴した。最初は、ほんの数ケ所で。翌日はそれが、ヤンゴン全体にまばらに広がった。以前のような、街中が鍋の音で覆われるような壮大なスケールではない。とても小規模で、散発的な鍋叩き。
それでも、それは確かに「Freedom from Fear」のメッセージだった。だれかが命がけで発信し、だれかがそれを受け取り、まただれかに伝えていく。
アウンサンスーチー氏には、禁固2年が課された(注。いちど禁固4年の有罪判決が課されたあと、2年に減刑されたんだよ、と私に説明しながら、同僚たちは笑う。「軍は、私たちが『やったー、50%オフ!』と喜んで、軍に感謝するとでも思っているのよ。どうせこれから他にもいくつも濡れ衣を着せて、どんどん刑期を延ばすくせにね」。同僚の一人が笑いながら叫ぶ。「軍に感謝なんて絶対しないからねー!」
アウンサンスーチー氏の判決について、国内でのリアクションは薄かった。有罪判決が出ることはわかりきっていたからだ。「アウンサンスーチー氏を無罪に!」などという無意味なアクションは起こらなかったし、判決後に市民が怒りのデモをする、みたいなことにもならなかった。「興味ないよ」とはっきり言う人もいた。
友人は、淡々とこう言った。「たとえ何百年の刑が課されても、僕らがやるべきことは同じなんだ。僕たちは民主化を目指して戦う。軍が倒れれば、彼女は助かる。それだけだよ」
友達が以前、アウンサンスーチー氏について、こんな風に話すのを聞いたことがある。「昨年11月の選挙で圧勝したあと、彼女は自分が軍に捕まることを覚悟していたんじゃないかな。もしかしたら、殺されるかもしれないことも。そういうリスクを覚悟の上で、それでも選挙はやり直さない、と正義を貫いたんじゃないかな」
もしそうだとしたら、それはまさにFreedom from Fearだ。この国の誰もがスーチーさんを支持しているわけではない。でも彼女のこの言葉は、ミャンマー市民の心にしっかりと深く根を張っている。
注・2021年12月6日、軍が設置した特別法廷は、アウンサンスーチー氏に対する非公開の秘密裁判で、社会的不安をあおったなどの罪で禁固4年の有罪判決を言い渡した。しかし判決直後、ミンアウンフライン国軍総司令官は、2年減刑の恩赦を与えた。その後もアウンサンスーチー氏は、密輸された無線機の所持や、新型コロナウィルス対策法の違反、賄賂の受け取りなどで、2022年6月までに計11年の刑期が課されている。さらに、他にも選挙不正や国家機密法違反など多くの罪に問われており、すべて有罪になれば刑期は100年を超える。一連の裁判は、国連やNGOなどから不公正だと批判されているが、軍は正当な裁判だと主張している。なおアウンサンスーチー氏はすべての罪状を否認している。
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