2023年06月11日13時57分掲載
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ナチ犯罪を振り返るドイツ映画『アイヒマンを追え!』(2015),『顔のないヒトラーたち』(2014)
最近、私はamazonのprimeビデオで、ドイツ映画を何本か見ました。いずれもナチスに関連した映画でした。中でも強い印象を与えられたのは、『アイヒマンを追え!』(2015)と『顔のないヒトラーたち』(2014)でした。これらはドイツの敗戦直後に連合国によって行われたナチ戦犯を裁いたニュールンベルク裁判(1945−1946)とは異なり、ドイツ人が自国でナチ戦犯(アウシュビッツ強制収容所の看守など)を裁いた1963年から1965年にかけてのヘッセン州(フランクフルトがある)における裁判を描いた現実に基づくドラマです。ドイツ人は自国で戦争犯罪を裁いたということで、そうした裁判を自主的に行い得なかった日本とは歴史に対する責任の取り方が決定的に異なり、歴史認識の差を象徴するものでもあります。
とはいえ、これら2作品においても、もしユダヤ人の検事長フリッツ・バウアーのような卓越した検事がいなかったら、裁判が実現したかわからないことを示しているのです。両作品ともにバウアー検事長は重要な位置にありますが、ドイツでは〜日本と同様に〜冷戦構造の中でナチ戦犯や元親衛隊員、ナチ党員らの公職復帰が現実的にはあちこちで行われていており、ナチ戦犯訴追でも妨害工作が頻繁に行われており、また南米などに逃走している元ナチ戦犯たちに捜査情報を極秘に伝えて逃亡を手助けする、ということが普通に行われていたようです。アドルフ・アイヒマンの逮捕も、もともとバウアー検事が情報を握っていたにも関わらず、ドイツ国内外で復活した旧ナチ勢力網のおかげもあってドイツでの訴追が極めて困難だったために、イスラエルの諜報機関モサドに託したとされています。バウアーの希望ではアイヒマンをドイツで裁きたかったことが映画で描かれています。
検察におけるバウアーの部下たちは、途方もない資料の山からアウシュビッツ強制収容所における看守などの加害者を割り出し、聞き取りなどを通して容疑を1つ1つおさえていきました。これらバウアーの検事の部下たちにおいても、この作業は辛いものでもありました。家族や恋人、親族や周辺に元ナチ関係者を抱えており、そこに踏み込もうとすると必ず、自分自身がどのような立場にあるのかということを問われ、葛藤することになったことが映画では描かれています。
とはいえ、ドイツでこの裁判が行われたということが、ドイツの戦後の大きな一歩になったことは間違いないでしょう。日本ではこの一歩を踏み出すことができなかったのです。このことこそ、冷戦終結後の日本にとって、大きなマイナス要因となっていると私は思っています。日本は第二次安倍政権下で、「積極的平和主義」という名目で、世界で戦える軍隊の再編を目指してきました。しかし、ドイツのように自らが犯した過去の戦争犯罪と主体的に決別できなかったことが、自民党がもくろむ海外で戦える日本軍の再建に対して、日本国民が一丸となって賛成に至ることは不可能であろうことを意味していると思えるからです。そのような政策を目指すなら、まずは自国の過去と厳しく向き合うことが不可欠です。現在の歴史というものは、すべてが過去から演繹されたものである限り、現在の状況を創り出した責任から日本人が目を背けることはできないし、もし、それができないのであれば、その解決を現在、行うにもふさわしい立場であると自ら主張することは難しいのです。
このヘッセン州におけるナチ戦犯裁判について、立命館大学の本田稔教授(刑法)が、「フリッツ・バウアーとアウシュヴィッツ裁判――「刑法による過去の克服」が提起する理論的課題――」という論考を発表されています。
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/19-56/015honda.pdf
バウアーはアウシュビッツの看守たちに対しても共同正犯として起訴していたそうですが、最終的には幇助罪が適用されたとされます。ナチの大物たちが裁かれたニュールンベルク裁判とは違って、ヘッセン州での裁判は、言わば立場が低かった者たちばかりであったがゆえに、むしろ市民に近い人々の罪に光が当てられたとも言えるのです。このことが大きな意味を持つと私には思えます。本田教授はその判決について、次のようにつづっています。
「1871年制定の刑法では,謀殺罪は熟慮による殺人,それ以外の殺人は故殺罪と規定されていた。それが独ソ戦が開始される1941年の刑法改正によって,例えば人種憎悪などの「下劣な動機」から人を殺した場合にしか謀殺罪が成立しなくなるように改正された。従って,「下劣な動機」に基づいていたことが証明されなければ,謀殺罪にはあたらない。そのような場合,単独で行った場合には故殺罪が成立するか,または(いわゆる「故意ある幇助的道具」として認定される場合には)謀殺罪の正犯への幇助としての責任が問われるだけである。党幹部には「下劣な動機」があったので,彼らには謀殺罪の正犯が成立するが,強制収容所の看守たちにそのような動機があったことが明らかでなければ,法的評価としては謀殺罪の幇助犯しか成立しない。フランクフルト州裁判所が,バウアーが主張したような被告人の個々の行為を強制収容所の全体的計画に関連させて,謀殺罪の共同正犯を認める方法を斥けたのは,このような立法上の事情があったからだと思われる。被告人たちの行為は,その階級・序列,その行為の特徴を強制収容所の全体計画において位置づけ,その役割の程度と意味合いを踏まえなければ,法的に評価することはできず,それを踏まえた結果,謀殺罪の幇助犯の成立を認めたものと思われる」(本田稔教授著「フリッツ・バウアーとアウシュヴィッツ裁判――「刑法による過去の克服」が提起する理論的課題――」から抜粋)
日本では日中戦争、植民地支配、第二次大戦を責任ある立場で行った人々の子孫たちが何人も二代目、三代目の政治家として世襲しています。朝鮮戦争を契機とした戦後の逆コースはドイツでも同様でしたし、むしろドイツの方が東西に分裂していた分激しかったでしょうが、西ドイツはそれをはね返してフランクフルトの裁判を実現しました。戦前・戦時中の戦争遂行勢力がほぼそのまま存続し、その子孫が日本の政界の最高権力を今日も握っていることを考えた時、冷戦終結から過去およそ30年における一連の法制度がどこに向かっているか、今こそ、精査すべき時であると思わずにはいられません。その意味では入管法改正もまた、こうした歴史の文脈で光を当てることができると思います。
村上良太
■フランクフルト学派の研究者、マーティン・ジェイ教授(歴史学) 科学や技術が進化しているのになぜ人は幸せになれないのか
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