2023年06月19日09時24分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(36)PDFへの期待とうしろめたさの涙 西方浩実

1月26日。悪夢のクーデターから、もうすぐ1年。最近のミャンマーはどうですか、と聞かれると、言葉に詰まる。ヤンゴンは一見、すっかり元どおりだ。市場には色とりどりの野菜が並び、人々は冗談を言って笑い合っている。だけど一人ひとりの肩には、遠くから錘(おもり)を背負って歩いてきたかのように、疲労が蓄積している。同僚に、最近どう?と尋ねてみると「出口が見えない」と泣き笑いのような表情を浮かべた。 
 
出口がない。それは、ミャンマーのことをある程度知っている日本人の間では、クーデターが起きた当初から言われていたことだ。でも周囲のミャンマー人たちからは、私はつい最近までそうしたネガティブな言葉を聞くことはなかった。 
 
もちろん彼らとてこの1年、出口に通じる道がハッキリ見えていたわけではないだろう。それでも「可能性のあることを全てやって、最後には必ず勝つ」と、いつも前向きに語っていた。そうして多くの人が1年間、膨大な時間とお金を費やし、時には命をかけて、必死に軍に抵抗してきたのだ。絶対にあの時代には戻らない、絶対に勝たなければならない、と。 
 
その結果、人々は何を得ただろう。約1500人が殺され、1万人以上が投獄された。数えきれないほどの人が失業したり、身体に障害を負ったり、夢をあきらめたりした。それでも、軍は倒れない。それどころか、弾圧と監視はますます強くなる。 
 
トラックに乗せられた市民は炭になるまで燃やされ、デモ隊は轢き殺された(しかも轢き殺した軍人は昇進した)。制服を着た子どもの姿は街から消え、かわりに銃を手にした兵士が立っている。インターネットや電話の料金が上がり、停電が頻発し、犯罪が増えた。疲れるのが当たり前だ。 
 
「最近NUG(民主派の亡命政府)には、ちょっとガッカリしてるの」と、友人は口を尖らせて言った。国際社会を動かせないから?と聞くと、うぅん、そうじゃなくて、と首を振る。「PDF(国民防衛隊)に、十分に武器が供給されていないみたいなの。せっかく国境地帯に移動して軍事訓練を受けたのに、武器がなくて戦えないPDFがいるんだって」。軍政に対する闘いが、この蔑視への問題意識を高め、今までになかった動きが起きている。 
( 
 
武器が入手できないPDFたちは、手作りの爆弾や銃で、国軍に挑む。3Dプリンターで銃をつくっているなどという話を聞くと、愕然としてしまう。そうした質の低い武器を使っているからか、銃の暴発などで自損するケースも頻発している。 
 
「NUGが何もしていないとは思わないよ。だけどPDFが一生懸命がんばっていることを考えたら、もっとなんとかしてよ、と思っちゃう」。彼女の気持ちはわかるけれど、お金や食料ならともかく、武器を、しかもある程度の量を戦闘地帯に運び込むのは、困難を極めるだろう。 
 
そうだねぇ、でも難しいんだろうねぇ。生返事を返す私に、彼女は再び口を尖らせる。「攻撃されても武器がなくて戦えないから、仕方なく普通の人たちと一緒に避難民になって逃げているPDFもいるの。軍もそれを知ってるから、避難民を見るとその中にPDFがいるんじゃないかと疑って、避難民ごと攻撃したりする。だからPDFと何の関係ない避難民も、軍から隠れてジャングルで暮らしたりしてるんだよ」 
 
国民を守ろうと戦うPDFの存在が、結果的に、守りたい人々の命を脅かしてしまう。このやるせない現状に対する憤りが、NUGに対する失望に形を変えているのだろう。 
 
隣で黙っていたもう一人の友人が、穏やかに口を開く。「それでもPDFとNUGは、僕たちの希望だ。勝てる可能性は、そこにしかない」。軍が自滅する可能性は?と聞くと「うーん、ほぼないだろうな。0.0001%かな」と彼は苦笑した。なぜ?と聞くと、彼は少し考えてからこう言った。「僕たちは軍政下を生きてきたから、それがどんなに起こり得ないことかがわかるんだ」 
 
PDFとNUG、寄付するとしたらどっち?と聞くと、二人とも「PDF」と即答した。「私たちだけじゃなくて、全体的にPDFに希望を託している人たちが多いと思う」。そうか、PDFは本当にヒーローなんだね、と笑いかけると、当然「うん」と頷くと思っていた彼女は、返事をせずに私の顔をじっと見つめ返した。 
 
「PDFには、申し訳ないと思ってる。私たちは今、こうしてクーラーのきいた部屋で喋ってる。夜には温かい布団で寝る。怪我をすれば病院にも行く。でも私たちが今こうしてる間も、PDFは命がけで戦っているの。いくら応援したり、寄付したりしても、それが何なんだろう。私は何も犠牲にしていない」 
 
彼女の目に、じわっと涙が浮かぶ。思わず視線をそらす。苦しいだろう。 
 
2011年、東日本大震災のあとの日本でも、そんな感情が渦巻いていたことを思い出す。圧倒的多数の、被災しなかった人々は、普通に生活を続けることに言いようのない罪悪感を抱えた。ましてミャンマーの場合は、自然災害からの復興ではない。ふつうの若者たちが、民主化を望む市民の祈りを背負って、命がけで軍隊に挑んでいるのだ。PDFに期待しながら、ヤンゴンで満ち足りた生活を続けることに、後ろめたさを感じるのは当然だろう。 
 
それでも地方からは、威勢のいいニュースが届き、人々を励ます。「PDFが国軍を完全に追い出したエリアもあるんだよ」。そう教えてくれたのは、30歳くらいの青年だ。こうしたエリアは「解放地区」と呼ばれ、主にミャンマーの北部に散在しているらしい。 
 
そうした地域では、クーデター後から閉鎖状態だった学校や病院に、CDMの教師や医師などが戻ってきて、授業や診察を再開しているのだという。えっ、そんな情報が漏れたら、軍が反撃しにくるんじゃない?と心配する私に「具体的な地名は出ていないから大丈夫だ」と彼は胸を張る。 
 
「前に、ミャウンという街でPDFが軍を追い出したんだ。でもその情報がSNSで広まってしまって、結局軍にやり返されてしまった。だから今は、みんなどこに解放地区があるか、具体的には公言しないようになったんだよ」 
 
今どのくらい解放地域があるかはわからないけれど、かなり盛り返していると思うんだ。彼はそう言ってニッコリと笑う。ヤンゴンはどう?と聞くと、彼は真顔に戻った。「ヤンゴンは、今はまだ様子見だよ」。そして、Phyo Zeyar Thaw(ピョーゼヤトー氏)(注) を知っているか、と私に尋ねた。アウンサンスーチー率いるNLD党の議員で、2021年11月に逮捕された男性だ。「ピョーゼヤトー氏は、ヤンゴンのPDF作戦を引っ張っていたリーダーだった。NUGとも連携していた。軍はずっと彼を探していたんだ」。彼によると、ピョーゼヤトー氏の逮捕は、PDFによるヤンゴンでの軍事作戦における大きな痛手だった。ヤンゴンのPDFたちが、芋づる式に逮捕されないよう一時的に身を隠さざるを得なくなったからだ。 
 
こういう話は、つい最近もあった。ヤンゴンで活動する複数のPDFのリーダーなどがオンラインミーティングを開いたところ、翌日に参加者の一人が捕まり、さらに数日中に何人かが連続して捕まったのだ。まだ捕まっていない他のリーダーたちも、情報が漏れた可能性を恐れて、身を隠しているのだという。 
 
「ヤンゴンでは警察の力が強いから、なかなか軍に反撃するフェーズに移れない」と、彼は表情を曇らせる。 
 
PDFはいつかネピトーにも侵攻し、ミンアウンフラインを権力から引きずり下ろすのだろうか。いまいちそのイメージができないんだけど…、と遠慮がちに問うと、彼は「どこまでできるかどうかはともかく」と前置きして、こう言った。 
 
「NUGが国際的に認められるためには、『実効支配』している領土がないといけないんだ。PDFが解放地域をどんどん広げていけば、NUGがミャンマーを実効支配している、と言える状況ができる。そうしたら、国際社会ももっと認めてくれるかもしれない。」 
 
そして、またニッコリと笑顔を見せながら、こう言った。「軍の力が強いいくつかの地域を島みたいに残して、民主派の解放地域が、ミャンマー中に広がったらいいな。」 
 
確かに現状は厳しく、みんな疲れ切っている。それでもミャンマーの人々には、どんな状況の中からも希望の光を捉え、明るい未来を信じる力がある。それはもしかしたら、PDFの攻撃に勝る武器なのかもしれないと思う。 
 
注・元ヒップホップ歌手。2000年に19歳でデビューし、独裁体制を批判するような詞で人気を博した。2007年の民主化運動の際、独裁を糾弾する音楽を録音したCDをカフェなどに配り、逮捕された。3年後に釈放。2012年にNLD党員として選挙に初当選すると、アウンサンスーチー氏の海外歴訪に同行するなど側近として活躍した。2022年7月、軍はピョーゼヤトー氏を含む4名に死刑を執行。国際社会から批判を浴びた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミャンマー「夜明け」への闘い(36)PDFへの期待とうしろめたさの涙 西方浩実 
 
1月26日。悪夢のクーデターから、もうすぐ1年。最近のミャンマーはどうですか、と聞かれると、言葉に詰まる。ヤンゴンは一見、すっかり元どおりだ。市場には色とりどりの野菜が並び、人々は冗談を言って笑い合っている。だけど一人ひとりの肩には、遠くから錘(おもり)を背負って歩いてきたかのように、疲労が蓄積している。同僚に、最近どう?と尋ねてみると「出口が見えない」と泣き笑いのような表情を浮かべた。 
 
出口がない。それは、ミャンマーのことをある程度知っている日本人の間では、クーデターが起きた当初から言われていたことだ。でも周囲のミャンマー人たちからは、私はつい最近までそうしたネガティブな言葉を聞くことはなかった。 
 
もちろん彼らとてこの1年、出口に通じる道がハッキリ見えていたわけではないだろう。それでも「可能性のあることを全てやって、最後には必ず勝つ」と、いつも前向きに語っていた。そうして多くの人が1年間、膨大な時間とお金を費やし、時には命をかけて、必死に軍に抵抗してきたのだ。絶対にあの時代には戻らない、絶対に勝たなければならない、と。 
 
その結果、人々は何を得ただろう。約1500人が殺され、1万人以上が投獄された。数えきれないほどの人が失業したり、身体に障害を負ったり、夢をあきらめたりした。それでも、軍は倒れない。それどころか、弾圧と監視はますます強くなる。 
 
トラックに乗せられた市民は炭になるまで燃やされ、デモ隊は轢き殺された(しかも轢き殺した軍人は昇進した)。制服を着た子どもの姿は街から消え、かわりに銃を手にした兵士が立っている。インターネットや電話の料金が上がり、停電が頻発し、犯罪が増えた。疲れるのが当たり前だ。 
 
「最近NUG(民主派の亡命政府)には、ちょっとガッカリしてるの」と、友人は口を尖らせて言った。国際社会を動かせないから?と聞くと、うぅん、そうじゃなくて、と首を振る。「PDF(国民防衛隊)に、十分に武器が供給されていないみたいなの。せっかく国境地帯に移動して軍事訓練を受けたのに、武器がなくて戦えないPDFがいるんだって」。軍政に対する闘いが、この蔑視への問題意識を高め、今までになかった動きが起きている。 
(写真:Twitter/Sai Latt) 
 
武器が入手できないPDFたちは、手作りの爆弾や銃で、国軍に挑む。3Dプリンターで銃をつくっているなどという話を聞くと、愕然としてしまう。そうした質の低い武器を使っているからか、銃の暴発などで自損するケースも頻発している。 
 
「NUGが何もしていないとは思わないよ。だけどPDFが一生懸命がんばっていることを考えたら、もっとなんとかしてよ、と思っちゃう」。彼女の気持ちはわかるけれど、お金や食料ならともかく、武器を、しかもある程度の量を戦闘地帯に運び込むのは、困難を極めるだろう。 
 
そうだねぇ、でも難しいんだろうねぇ。生返事を返す私に、彼女は再び口を尖らせる。「攻撃されても武器がなくて戦えないから、仕方なく普通の人たちと一緒に避難民になって逃げているPDFもいるの。軍もそれを知ってるから、避難民を見るとその中にPDFがいるんじゃないかと疑って、避難民ごと攻撃したりする。だからPDFと何の関係ない避難民も、軍から隠れてジャングルで暮らしたりしてるんだよ」 
 
国民を守ろうと戦うPDFの存在が、結果的に、守りたい人々の命を脅かしてしまう。このやるせない現状に対する憤りが、NUGに対する失望に形を変えているのだろう。 
 
隣で黙っていたもう一人の友人が、穏やかに口を開く。「それでもPDFとNUGは、僕たちの希望だ。勝てる可能性は、そこにしかない」。軍が自滅する可能性は?と聞くと「うーん、ほぼないだろうな。0.0001%かな」と彼は苦笑した。なぜ?と聞くと、彼は少し考えてからこう言った。「僕たちは軍政下を生きてきたから、それがどんなに起こり得ないことかがわかるんだ」 
 
PDFとNUG、寄付するとしたらどっち?と聞くと、二人とも「PDF」と即答した。「私たちだけじゃなくて、全体的にPDFに希望を託している人たちが多いと思う」。そうか、PDFは本当にヒーローなんだね、と笑いかけると、当然「うん」と頷くと思っていた彼女は、返事をせずに私の顔をじっと見つめ返した。 
 
「PDFには、申し訳ないと思ってる。私たちは今、こうしてクーラーのきいた部屋で喋ってる。夜には温かい布団で寝る。怪我をすれば病院にも行く。でも私たちが今こうしてる間も、PDFは命がけで戦っているの。いくら応援したり、寄付したりしても、それが何なんだろう。私は何も犠牲にしていない」 
 
彼女の目に、じわっと涙が浮かぶ。思わず視線をそらす。苦しいだろう。 
 
2011年、東日本大震災のあとの日本でも、そんな感情が渦巻いていたことを思い出す。圧倒的多数の、被災しなかった人々は、普通に生活を続けることに言いようのない罪悪感を抱えた。ましてミャンマーの場合は、自然災害からの復興ではない。ふつうの若者たちが、民主化を望む市民の祈りを背負って、命がけで軍隊に挑んでいるのだ。PDFに期待しながら、ヤンゴンで満ち足りた生活を続けることに、後ろめたさを感じるのは当然だろう。 
 
それでも地方からは、威勢のいいニュースが届き、人々を励ます。「PDFが国軍を完全に追い出したエリアもあるんだよ」。そう教えてくれたのは、30歳くらいの青年だ。こうしたエリアは「解放地区」と呼ばれ、主にミャンマーの北部に散在しているらしい。 
 
そうした地域では、クーデター後から閉鎖状態だった学校や病院に、CDMの教師や医師などが戻ってきて、授業や診察を再開しているのだという。えっ、そんな情報が漏れたら、軍が反撃しにくるんじゃない?と心配する私に「具体的な地名は出ていないから大丈夫だ」と彼は胸を張る。 
 
「前に、ミャウンという街でPDFが軍を追い出したんだ。でもその情報がSNSで広まってしまって、結局軍にやり返されてしまった。だから今は、みんなどこに解放地区があるか、具体的には公言しないようになったんだよ」 
 
今どのくらい解放地域があるかはわからないけれど、かなり盛り返していると思うんだ。彼はそう言ってニッコリと笑う。ヤンゴンはどう?と聞くと、彼は真顔に戻った。「ヤンゴンは、今はまだ様子見だよ」。そして、Phyo Zeyar Thaw(ピョーゼヤトー氏)(注) を知っているか、と私に尋ねた。アウンサンスーチー率いるNLD党の議員で、2021年11月に逮捕された男性だ。「ピョーゼヤトー氏は、ヤンゴンのPDF作戦を引っ張っていたリーダーだった。NUGとも連携していた。軍はずっと彼を探していたんだ」。彼によると、ピョーゼヤトー氏の逮捕は、PDFによるヤンゴンでの軍事作戦における大きな痛手だった。ヤンゴンのPDFたちが、芋づる式に逮捕されないよう一時的に身を隠さざるを得なくなったからだ。 
 
こういう話は、つい最近もあった。ヤンゴンで活動する複数のPDFのリーダーなどがオンラインミーティングを開いたところ、翌日に参加者の一人が捕まり、さらに数日中に何人かが連続して捕まったのだ。まだ捕まっていない他のリーダーたちも、情報が漏れた可能性を恐れて、身を隠しているのだという。 
 
「ヤンゴンでは警察の力が強いから、なかなか軍に反撃するフェーズに移れない」と、彼は表情を曇らせる。 
 
PDFはいつかネピトーにも侵攻し、ミンアウンフラインを権力から引きずり下ろすのだろうか。いまいちそのイメージができないんだけど…、と遠慮がちに問うと、彼は「どこまでできるかどうかはともかく」と前置きして、こう言った。 
 
「NUGが国際的に認められるためには、『実効支配』している領土がないといけないんだ。PDFが解放地域をどんどん広げていけば、NUGがミャンマーを実効支配している、と言える状況ができる。そうしたら、国際社会ももっと認めてくれるかもしれない。」 
 
そして、またニッコリと笑顔を見せながら、こう言った。「軍の力が強いいくつかの地域を島みたいに残して、民主派の解放地域が、ミャンマー中に広がったらいいな。」 
 
確かに現状は厳しく、みんな疲れ切っている。それでもミャンマーの人々には、どんな状況の中からも希望の光を捉え、明るい未来を信じる力がある。それはもしかしたら、PDFの攻撃に勝る武器なのかもしれないと思う。 
 
注・元ヒップホップ歌手。2000年に19歳でデビューし、独裁体制を批判するような詞で人気を博した。2007年の民主化運動の際、独裁を糾弾する音楽を録音したCDをカフェなどに配り、逮捕された。3年後に釈放。2012年にNLD党員として選挙に初当選すると、アウンサンスーチー氏の海外歴訪に同行するなど側近として活躍した。2022年7月、軍はピョーゼヤトー氏を含む4名に死刑を執行。国際社会から批判を浴びた。 
 
 
11月半ばに逮捕されたピョーゼヤトー氏には、わずか2ヶ月後に死刑判決が出された。司法も軍の手中にある今、まともな裁判はなかっただろう。ミャンマーには死刑制度はあるものの、数十年間にわたって執行されたことはなく、この死刑判決も人々のモチベーションを下げるのが狙いだろうと言われていた。しかし死刑は半年後に執行された。(写真:Reutersより) 
 
Bama(ビルマ族)優越主義を終わらせようと声をあげる、ビルマ族の人々。公式に認められているだけで135もの民族がいる超多民族国家のミャンマーでは、多数派のビルマ族の中に、少数民族に対する差別意識があり、過去にも問題になってきた。(写真:Twitter/Sai Latt) 


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