2023年07月17日16時39分掲載  無料記事
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サム・メンデス監督『1917 命をかけた伝令』 全編ワンカットに見える驚異の戦争映画

  「全編(ほぼ)1カットの戦争映画」ということで近年、映画界で話題を呼んだサム・メンデス監督の『1917 命をかけた伝令』を見た。製作は2019年だから、私の想像では、この企画は第一次大戦(1914−1918)から100年という節目ということで進行したと思われる。実際、2014年から2018年にかけて第一次大戦を振り返る記事も欧州でしばしば出ていたと記憶する。 
 
  1カットという売りだったが、実際には地下壕で黒味になった瞬間とか、爆発の瞬間などで、おそらくカットをつないだのではないか、と私は推察した。しかし、たとえそうであったとしても相当の長回しで様々なシーンがつながれていることには驚異を感じた。まずそういう着想に驚いたが、それと同時に、「1カット」という売りによって、おそらくは大戦を扱う戦争映画としては比較的低予算で作られたであろう映画への関心を高めたのではないだろうか。というのも、ハリウッド大作で出てくるような戦車や戦闘機、爆撃機などはほとんど出てこないからだ。もちろんこれは第一次大戦なので第二次大戦よりは近代兵器はまだ少なかっただろう。しかし、それでも「敵」の陣営は撤退した、ということで大量の敵兵をエキストラで雇う必要もなかったし、戦車を配置する必要もなかった。よくありがちな戦争映画では神のような高みから、2つの敵対しあう軍の戦闘を俯瞰のロングショットでおさえることが多いが、そういうものはこの映画にはない。すべてはネズミのような地べたに近い目線から描かれるのみである。 
 
  全編見えるのは荒涼としたフランス辺境の寒村や平原、塹壕である。そこを重要な伝令を任務とした2人の若い英国兵が少し前に敵が撤退したばかりの地平を横切って、別の部隊に向かうのである。カメラはこの2人につけて地平から塹壕までを描いていく。戦場を描くには、極めて秀逸な着想である。しかも、どのシーンをとっても見事な充実した内容が俳優たちの抑制された演技を通して盛られているのである。先ほど、地べたに近い目線から描かれるのみ、と書いたが実際に、その1つの視点に統一し、様々な場所が編集される通常の映画のモンタージュを使わなかったことで、この映画の独特のリアリティが生まれている。たとえば、伝令兵たちが最初から空腹に襲われており、時折、ポケットから腐敗しつつあると思われるサンドイッチの残りを取り出して、くちゃくちゃ噛んでいたり、平原に残された牛乳の缶に口をつけたり、廃墟となった家屋に入って食品を探したり、と兵士たちの日常の飢餓や渇きなどの生理が描かれていることである。さらに、撃ち殺された牛たちや雨の跡のぬかるみなども生き生きと映し出される。 
 
  モンタージュという方式は、画面内の情報量で考えればおびただしい情報の足し算あるいは掛け算である。シーンが別の場所に飛べば、すさまじいビジュアル的視覚データがそこにはあるのだ。しかし、1カットで全編映し出していくことは、そうした掛け算のデータでは見えなかった細部まで目が届くことを可能にするのであろう。最近、フィルムからSDSなどの記録媒体の変化で、従来より低額でおびただしいフッテージを記録することが可能になってきたが、そのためにちょっとした撮影でも多数のカメラを同時に回してカットを編集で次々と切り替え、視聴者を飽きさせないように、そしてチャンネルを替えさせないようになってきている。しかし、そうした傾向に対して1カットで全編統一して見せる場合は、ビジュアル的情報量の総体的な少なさを逆手に取る演出が必要だ。日常の生理や地面のぬかるみ、空の色などに観客が目を止めることができるのもモンタージュをあえて使わない、ということと関係していたと思われる。 
 
  それともう1つ、この「戦闘シーンの(ほとんど)ない」映画で出色なのは、平原を進んでいく二人の兵士(後には一人になる)の視界に常に死体が目に入ることである。あるものは砲撃の跡にできた水たまりから体の一部が露出していたりする。あるいは川に多数の死体が浮いていたりする。匂いまでは映画では表現できないが、すさまじい腐臭あるいは死の匂いが満ちていたいたであろうことがわかる。こうした死体は、今日、戦場報道でも、被災地の報道でも画面から外されたり、ぼかしを入れたりして視聴者の視界から外すことが恒例になっていることを考えれば、そうした映像文化に対する反逆と思われた。つまり、映像のリアリズムである。悲惨だからということで戦場から死を排除することは、戦争そのものを直視することを不可能にするだろう。 
 
  1カットという表現形態は、映画のパワーの源であったはずの 
モンタージュを使わないという選択である。モンタージュを使わず、しかも舞台芸術と違って、主人公の移動に沿ってカメラを進めれば、様々な状況を映し出すことが可能になる。これによって「編集」とは違った場面転換が可能になる。そこには古来の劇作法と同様の時の一致が守られ、主人公の心理は「意識の流れ」を重視したジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』のように継続するのだ。数時間前の映画の始まりには、空腹でくちゃくちゃサンドイッチを咬んでいた伝令兵は映画の最後に至って、部隊の兵員食堂に招かれても食欲は消えており、木陰に一人身を寄せ、郷里英国の家族の写真を見つめる。サム・メンデスの演出の核は、この意識の流れを1カット映像の方式で描き出すことにあったと思われ、主人公の伝令たちが次々と体験する出来事も注意深く計画されている。明け方に主人公が部隊に到着した時に聞こえていた歌も、主人公の意識の流れの節目として印象深い。この映画は、戦争映画というカテゴリーを越えて、今日の映像文化に様々な挑戦を突きつけた。 
 
 
*1917 - Official Trailer   トレイラー 
https://www.youtube.com/watch?v=YqNYrYUiMfg 
 
 
 
■フランチェスコ・ロージ監督『遥かなる帰郷』(1997:原作はプリモ・レーヴィ作『休戦』) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306270918342 
 
■戦後憲法の生成を批判的に描いた『日本独立』(2020) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306220217104 
 
■ナチ犯罪を振り返るドイツ映画『アイヒマンを追え!』(2015),『顔のないヒトラーたち』(2014) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306111357060 
 
■ナチ犯罪を振り返るドイツ映画『ヴァンゼー会議』(2022) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306121623511 
 
■ナチ犯罪を振り返るドイツ映画『ヒトラー最期の12日間』(2004) 〜ブレヒトを越えた群像劇〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306131704382 
 
■日本政治を描いた日本映画『はりぼて』(ドキュメンタリー)と『新聞記者』(ドラマ)〜 敵は何なのか?〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306171236246 
 
■敗色濃い日本軍を描いた米映画『硫黄島からの手紙』(2006) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202306191635231 


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