2023年10月09日23時42分掲載
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カルロス・マルテン・ビリンゴ著『ノワール・フランセ』( Carlos Martens Bilingo , Noir Français) かつて暴動が起きたフランス最貧地帯から選挙資金約100万円で国会議員に当選
フランスの最貧地帯に独自のネットワークを築いて、昨年、選挙資金100万円超で国会議員に初当選した黒人カルロス・マルタン・ビリンゴ(32)の奇抜な人生の書。そこから、未知なるフランスが見えてくる。
本書は2022年の選挙で、野党連合NUPESから立候補して当選した現在、32歳の下院議員カルロス・マルタン・ビリンゴ(1990−)の自伝である。所属政党は「服従しないフランス」。『ノワール・フランセ』とは、文字通り、黒人のフランス人ということで、著者の誇りがそこに込められている。コンゴからフランスに移民した両親のもとにフランスで生まれた。だが、生まれながらにフランス国籍ながら、肌の色と郷里の土地から普通のフランス人と見なされることがなかった。フランスで黒人がこの若さで当選し、また彼が生まれ育ったのがフランスでも一二を争う貧困率が最も高いヴァル=ドワーズ県の自治体ヴィリエ=ル=べルだったことが、この自伝を極めて味わい深いものにしている。
ヴィリエ=ル=べルはサルコジが大統領になった2007年秋に暴動が起きた低賃金労働者向け団地HLMが立ち並ぶ「郊外」だ。この街にコンゴ(かつてのザイール)から移民として渡ってきた黒人の両親を持つ移民二世が、いかに国会議員になったかまでの物語である。しかし、単なる成功物語ではない。本書が日本で翻訳される意義は、この自伝を読むと、過去30年間のフランスの歩みが、差別される側の目線から、如実に見えてくることだ。まさにここが日本のメディアでは死角になっていた領域で、郊外の有色人種は「見えない存在」であり続けていた。しかも稀に可視化されるときというのは、自動車が燃やされたり、窓が叩き割られたりしているような暴動のシーンばかりである。しかし、本書を読めば、あの地域で暮らす「普通の」人々がどのように生きてきたのか、その一端がとてもよく理解できるだろう。
五月革命の発端となったパリのナンテール大学で教鞭をとる哲学者のパトリス・マニグリエは「2007年のあの暴動以後、未だに私たちは新しい政治を切り拓くことができていない」と最近、フランスの政治について総括した。本書はその言葉と響きあう。著者のカルロス・マルテン・ビリンゴはまさにその政治を切り拓こうとして歩き出し、スタートラインに立った。とはいえ、彼が国会で初めて演説した昨年11月、極右政党RN(国民連合)のグレゴワール・ド・フルナ議員が「アフリカに帰れ」とヤジを飛ばし、国会が紛糾した。これはTVでも頻繁に取り上げられた。マリーヌ・ルペン率いる国民連合は、2022年の選挙で躍進し、89人の下院議員を生み出す快挙を遂げた。まさに極右政権誕生も間近か、というような時局である。そして党首のマリーヌ・ルペンはフランスの出生地主義を廃止せよ、と主張している。つまり、移民の子供がフランスで生まれたとしてもただちにフランスの国籍を付与することをやめよ、というのだ。カルロス・マルテン・ビリンゴのようなフランス人はもう生み出さないという政策である。これは本書『ノワール・フランセ』の冒頭で紹介されるエピソードだ。そして著者は、そこに至るまでの物語を語り始める。
カルロス・マルタン・ビリンゴの父親はDV男で、母親はいつも殴られていた。しかし、殴られても、殴られても決して離婚しようとしなかった。父はタクシー運転手だったコンゴ時代への追憶を忘れず、母はフランスへの永住を希望した。ジャック・シラクびいきで右派政党の支持者だった父と社会党支持だった母。4人の姉と一人の兄。郊外の低家賃住宅での貧しい暮らし。そんなある時、母は知り合いになったベルギーのカトリックの司祭のもとにカルロス少年を夏休みに送るようになり、そこで彼は非常に優しいもてなしを受けた。司祭とフランス在住の彼の弟と、手助けに来る孤児だった女性。この司祭は植民地時代にザイール(現在のコンゴ)で活動していた。独立後にベルギーに引き上げてきてから、コンゴの人びとに個的に支援の手を差し伸べていた人である。母が乳がんで死に、父も3年後に亡くなり、早くして両親を失ったカルロス少年にとって「第二の父」となったこの司祭とその周りの人びとは、彼にもう1つの「家族」を体験させた。司祭たちの愛と信念が、この自伝の根底に流れており、カルロス少年がぐれずに成長できた理由が実によくわかる。そして、今の時代に、他者に手を差し伸べることがいかに大切か、ということも。
しかし、あの「郊外」には向こうからチャンスが来ることはなかったと書かれている通り、そこによどんでいる限り、多くの住民たちには絶望以外に何もなかった。カルロスは大学を卒業後、鍵の複製の仕事を始めとして、様々な仕事を体験するが、最終的にパリの技術系高校で経営を教える職につくことができた。この仕事をしながら、彼は貧困が隅々まで刻み込まれた郷里ヴィリエ=ル=ベルで様々な催しを起こすようになっていく。「そこには何ひとつ文化がなかった」と書いているのが印象的だ。そこで彼は仲間から募金を集めてレコードを買って音楽フェスティバルを催したり、スポーツ大会を行ったり、会費制のサッカークラブを設立したり、と数十人の仲間を巻き込んで、ヴィリエ=ル=ベルで町おこしを試みていく。こうした地道な作業は、2007年の暴動の資料映像や黄色いベストなどの暴動映像では決して見えてこないリアルなフランスである。極めつけはコロナ禍の中、住人が自宅監禁を命令された時、ヴィリエ=ル=ベルがどのような世界に至ったかである。これは本書のクライマックスでもある。この時、彼は地域の仲間70人を動員して、店店の売れ残った食材を集めて飢えている地域の人々約8000世帯に無償で食料や生活物資を配達する事業に乗り出した。こうした彼の情熱と汗が彼を国政の場へと押し上げていく。まさにどん底の貧困の中でともに生きた仲間が彼を支え、カルロス・マルテン・ビリンゴという議員を生んだ。2022年の国会議員選挙の際、地域の人々が手弁当で懸命に動いたことは言うまでもない。
「政治の選挙のあり方を変えなくてはならない。577人の下院議員の中で、わずか7600ユーロ(約120万円)で選挙を戦ったのは僕だけだろうし、そのうち1400ユーロは僕のポケットマネーだった。僕は銀行から借金をしたくなかった。親友のママドゥ・クリバリがよく言っているように『僕らには金がないが、人々がいる』僕は選挙で支援してくれた仲間たちにどんなに感謝してもしきれるものじゃない」(本書から p146 )
現在の円に換算して120万円程度、というのは、円安以前で換算した場合、アバウトだがたぶん実質は80万円くらいと割り引いた方が良いだろう。彼が臨んだ国会議員選挙の選挙費用総額である。彼が当選できた背景には、社会党と「服従しないフランス」という社会党から分離した左派政党が2022年にNUPESというグループを結成し、左派が票の分散を食い止めたことがあった。こうしたフランス政界の再編の事情とともに、極右政党の台頭についても黒人の目線からその思いが述べられている。彼はまず移民・難民問題に取り組み、欧州各国でたらいまわしにされた難民船オーシャン・ヴァイキング号のケースなどを含め、地中海を渡って来る難民たちへの支援の手を差し伸べるように訴えた。その背後にはサハラ砂漠の砂漠化や気候変動の問題がある。彼は表題のようにフランスで黒人であることについて、何かにつけ<黒人がフランス人にしてもらえたことへの感謝>を要求されがちであることなど、その理不尽さを自分の体験を交えてその考察をつづっている。
「フランスの黒人が大統領に立候補する権利があるだろうか?もちろん、あることはわかっている。クリスチャーヌ・トビラも候補者だった。僕の質問はもっと深いものだ。フランスで黒人が国民全体から見た時に、勝利することを条件と考えた時、いったい大統領選挙に立候補する正統性があるか、ということなのだ。僕の答えは、ノーだ。長い間、僕はこのテーマを避けてきた。何よりも、僕はある部分、ベルギーの白人家族に育ててもらった。だからすべてを肌の色の問題に集約したくない。しかし、他の白人たちがあるテーマについて語った時でも、僕には発言をさせなかった分野があったんだ」(本書から p155 -156)
これらの文章はマイノリティの人生を学ぶ上で非常に豊かな想像力をはぐくむものとなるだろう。そして、彼の心のうめきは過去500年もの間にわたって支配された人々が問いかけ続けたものでもある。その言葉が人々を動かし、世界を変えてきたのだ。本書は新しい政治、新しい社会の可能性を垣間見ることができる、クールな心で書かれた熱い書である。フランスの実像を知るためにも、翻訳書が出ることに期待する。
村上良太
■パトリック・モディアノ著「ドラ・ブリュデール」(邦訳タイトル「1941年。パリの尋ね人」)
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■歴史家アンリ・ルッソ氏の来日講演 「過去との対峙」 〜歴史と記憶との違いを知る〜
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■ロバート・O・パクストン著「ヴィシー時代のフランス 対独協力と国民革命 1940−1944」
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■社会党にかわって新たな野党連合の基軸になった「服従しないフランス」(LFI)の22歳の注目議員
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