2023年10月10日22時05分掲載  無料記事
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検証・メディア

テレビにおける啓蒙と野蛮 〜テレビ改造論その1〜 チャンネルを分割して社会貢献している様々なグループに隔年入れ替えで託す 

  私はテレビの問題点を書いてきましたが、TVシステムの根底にある問題が人間疎外を引き起こしていることにあると思っています。忖度とか、癒着といった各論的問題も重要ですが、構造的な問題に迫る必要があるのではないでしょうか。それはTVの放送局が1社で1日中、百貨店のように様々なジャンルの番組を作って放送するのはもう時代遅れではないか?という認識です。もう1つは、スポンサー企業が基本的に資金力のある大手企業(その多くが経団連)ばかりで、今日のように大企業と中小零細企業の間で不公平が広がっている上に中小零細企業で働く人の方が国民の圧倒的多数であるという不具合です。そして、さらにより本質的なことですが、テレビの視聴者は受け身であり、テレビの中の人々を仰ぎ見るような一方通行的な構造になっていることです。 
 
  こういったことを解消して、新しいテレビのシステムを作るための一案としては、放送局を時間帯や曜日で多数に分割して、制作・運営主体を多数化することです。そして、2年か3年ごとに、優れた動画を作っているインターネット企業から地上波テレビに参入できる企業を選び、入れ替えていくというものです。地上波から撤退する企業はまたインターネットで、再起を測ればよいでしょう。そして、地上波の時間帯を一定量受け持つことになった企業は国や自治体から公共性・公平性を条件に一定額の補助金を受けても良いでしょう。補助金はシステム的に保証するもので、時々の与党に忖度する必要はない性質です。スタジオの機材なども共有すればよいでしょう。そして、これまでのような放送局と制作会社を分離するのではなく、小さな企業が双方をまとめて行い、制作予算も補助金を含めてそれぞれが自主的に得る、というシステムにすれば、これまでのような中抜きがなくなるので、スタジオ維持のための共益費を差し引くと、収益が制作者に丸ごと落ちることになります。また、予算規模もどんな活動を行いどんな番組を作るかで異なっていても良いのです。巨大な広告代理店の影響力も排除できるはずです。 
 
  その制作主体の中には、一定の割合で社会運動に取り組んでいるNPOのようなグループを混ぜておくとよいのではないでしょうか。たとえば性差別反対の取り組み、環境問題への取り組み、社会的に孤立した人々や貧困に苦しんでいる人々などを手助けしているグループ、地方の文化を守っているグループ、地方議会をウォッチしているグループなどです。こうしたグループがチャンネルを持てば、双方向的な番組が可能になるはずです。いろんな人が番組に参加できるチャンスが増え、人間疎外を克服するという点でもテレビのあり方を変える可能性があると思います。すでにローカルネットワークなどでは行われているのではないかと思いますが、地上波でも展開すべきでしょう。大切なことは自分自身が討論に参加したり、時には番組の作り手になったりというように参加できることです。地方選挙や国政選挙の際も、党派を超えた討論会をもっとやるべきだと私は思います。そして、初めてテレビに参入するグループやNPOに対しては、テレビ番組制作の際に必要になる取材方法や番組の作り方などのノウハウを教える教習もつけるようにすれば、社会全体でメディアへのリテラシーが高まっていくのです。 
 
  ニューヨークタイムズでたまたまインドのラジオ放送局の記事*を取り上げていて興味深く読みました。 
  (いかにインドの地域のラジオ局がリスナーの参加を促す放送を行い、女性たちを励ましているか〜インド・ハリアナ州のコミュニティラジオ局が家父長制社会を克服するのを助けている) 
 
*ニューヨークタイムズの記事 
https://www.nytimes.com/2023/10/10/world/asia/alfaz-radio-mewat-nuh-india.html 
  この記事では家父長制社会の問題を、コミュニティのラジオ局が克服する運動をしていて、それを自治体がラジオ局に補助金を与えて、多くの女性当事者たちが発言できる参加型番組を作っているというものです。これまでの政治・経済・マスメディア、様々な問題が今露呈しており、変革の必要があります。しかし、変革の方向性を間違えないことが大切です。 
 
  テレビの変革は、「公共性」を人々が取り戻せる方向で行うことが大切でしょう。そのためには、テレビが消費至上主義から切り離されなくてはならないはずです。ドイツの哲学者ハーバーマスは『公共性の構造転換』の中で、かつて18世紀から19世紀にかけて市民社会にはブルジョワを中心にカフェなどで新聞を読み、互いに議論する習慣があったが、のちに新聞やラジオ、さらにはテレビが発達して大衆社会を形成するにつれて、そうした公共性は変質していったことを記しています。 
 
  「カフェは、まったく私的なものであり、しかもそれは、現実の社会的再生産から分離されている。そのことが、私人を公共性へと引き込む役割を果たしたのだ。カフェのなかでは、彼は生活から離れた一人の人間であり、その人間としての公共的責任を果たすために、政治的にもなる。しかし、ハーバーマスは、現在の消費社会では、このカフェというものですら、たんなる娯楽産業の一環となってしまったと嘆く。現在の都市のなかには、こうした公共性を育てる場所が存在しない」(土屋恵一郎著『正義論 / 自由論』) 
 
  テレビはかつて存在したこのカフェ〜娯楽産業の装置に転じる前のカフェ〜のような機能を担うことはできないのでしょうか。テレビがそのような公共性を取りもどすとき、それは真の政治性をも取りもどすことでもあり、その時初めて受け身ではない双方向性のコミュニケーションの回路が生まれ、テレビは疎外を乗り越えることができるのではなかろうかと思います。それはテレビがこれまで位置づけられていた「私作る人、僕食べる人」(CM)みたいな固定された役割や序列や差別を容認するシステムの一環から自らを解き放つことでもあるのです。 
 
 
●提案 
  参政権を行使するためには国内と国外の情報が不可欠であり、その意味で国民は情報を得る権利がある。その情報は企業の営利で 
取捨選択されるべきものではなく、国民が政治について判断を下すうえで必要かどうかという選択の基準で行われるべきである。その意味で、情報へのアクセス権は水や空気へのアクセス権と同じである。 
 
 
■パリの「立ち上がる夜」 フランス現代哲学と政治の関係を参加しているパリ大学の哲学者に聞く Patrice Maniglier 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605292331240 
 
■「レ・タン・モデルヌ誌」(Les Temps Modernes) サルトル、ボ―ヴォワール、メルロー・ポンティらが創刊 今も時代のテーマを取り上げる パトリス・マニグリエ(Patrice Maniglier パリ大学准教授・哲学者) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606241454415 
 
■現代人が筆をとるとき 〜なぜ書くことを人に勧めるのか〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201612190140401 
 
■地域の子供に無料の作文教育を 子供の教育を変えたサンフランシスコの ”826 Valencia” , One-on-one tutoring can help students make great leaps in their writing skills and confidence. 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201702080540363 
 
■私はなぜ刑務所の民営化と闘ってきたか  元受刑囚で「刑務所法律ニュース」のジャーナリストに聞く  Interview : Alex Friedmann , Managing Editor of "Prison Legal News." 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201612081813454 
 
■真野倫平著『アルベール・ロンドル〜闘うリポーターの肖像〜』(水声社) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304122136053 
 
■安倍政権の「ニュースピーク」 〜特定秘密保護法の「又は」と「かつ」〜 自民党と官僚の日本語に対する攻撃が続く 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401130707231 


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