2023年10月13日01時09分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202310130109015

国際

戦争に抗して考える  アリーヌ・パイエ(Aline Pailler ; ジャーナリスト)Penser contre la guerre

  ハマスの攻撃による民間人の恐怖に直面して、私たちにできるのはイスラエル人とパレスチナ人の双方のために、民間人への攻撃を拒否すること。そして公正で尊厳ある平和を求める運動を、心に怒りを抱きつつ毅然と行うことのみだ。もちろん、民間人の殺害は文字通りどちらの側においても耐え難いものである!しかし、プロパガンダを良しと感じるような短絡は、私たちの思考を妨げ、当り前に感じるような感情だけに私たちを縮減してしまう。 
 
  フランソワ・オランド元大統領は10月9日、フランス・インテルで、シオニズムに対する反対を反ユダヤ主義と同一視したばかりか、さらにイスラエルの消滅を望む願望とも同一視した。これは元大統領にふさわしくない発言だ! 
 
  サラ・マーシャ・フェインバーグ(国防と安全保障の専門家、イスラエル国防省の元戦略顧問、テルアビブ大学の研究責任者兼研究員)は、フランスキュルチュールの「討論の時間」という番組で、ハマスの攻撃は実際には「イランが西側に仕掛けた戦争」でしかないと強く主張し、数十年にわたって植民地を占領してきたイスラエルの役割を考慮することを拒否し続けた。イスラエル極右政府による占領政策を敷物の下に隠してしまうのはかくも簡単だ! 
 
  非常に控えめではあるが、私はハマスによるこの新たな攻撃があった翌日に、いくつかの私の考えと情報を並べてみようと思う。ただし、この戦争はハマスの「予期せぬ」「予想外の」攻撃によって始まったわけではない。 
 
  まず、この攻撃が単独で攻撃を主張することに関心を持っているハマスによる唯一の責任ではなく、PFLPや他の複数のパレスチナ抵抗組織が行ったことでもあることを忘れないようにしよう。 
 
  ガザ地区では200万人以上の人々が1つの地域に閉じ込められ、その約3分の1が難民キャンプに住んでいる。人口の60%は18歳未満である。そんな彼らが、ほぼ毎日爆撃やその他の虐待を受けているなら、いずれ怒りと反乱に酔いしれるだろうと、誰であれ〜モサドですら〜想像しないでいられるものだろうか。 
 
  ガザに対するイスラエルの暴力と権力の証拠が必要であるとすれば、それはガザにおける水道、ガス、電気を遮断するというイスラエルの応酬を見ればよい。これはガザの人々が水と電気という基本的かつ国際的な権利への自由なアクセスすらできないことを、現実を見たくない人々に示しているのだ!! 
 
  ガザは「時限爆弾」だったという警告をあちこちで耳にした。しかし、国際的なレベルではイスラエルに対する不処罰が続いた。世界はそのことに気も留めず、人々はそのことを忘れていた(フランスにおけるパレスチナへの支援、あるいはイスラエル占領者の暴虐を非難するデモへの参加者数の少なさを見よ)。一方でイスラエルの若者の一部は、「厳戒地帯」の反対側で何気なくパーティーを続けた。 
 
  確かに、ハマスはイスラム主義組織である。しかし、残念ながらパレスチナ人の目には、自分たちの権利と抵抗のために信頼できるごく少ない組織の一つであるように見えるのだ。 これは誰のせいなのか? 
 
  パレスチナ人は基本的に、世俗派にも、キリスト教徒にも、穏健派イスラム教徒にも支持されてこなかった。学校は大学と同様に大部分が閉鎖され、教育はしばしば地下における抵抗ということなった。 極右とユダヤ人至上主義者のイスラエルの閣僚たちは、パレスチナ人民の政治的な抵抗運動家たちよりもむしろハマスを好んだ。彼ら閣僚たちは、世俗的で平和の指導者の男女(マルワン・バルグーティ、フランス・パレスチナ人の弁護士サラ・ハモーリなど)を投獄し、様々な政府が行っている植民地化と占領政策に反対するイスラエル人をも迫害した。そのため多くが亡命した。 しかし、誰がそれについて話すのか? どのメディアが報じるのか? レジスタンス戦士がいた場合は「テロリスト」について話す方が好まれる。かつてマンデラが、アンジェラ・デイビスが、FLNが、フランス・レジスタンスが、彼らが戦っていた勢力によって「テロリスト」として扱われた。 
 
  私は人民の絶望とハマスの台頭の中で、パレスチナのブルジョワジーもファタハも無罪にするつもりはない。しかし、抵抗勢力の暴力を理解するには、アムネスティ・インターナショナルの最新報告の一つを引用することしかできない。 
 
  「74年前*、1948年のイスラエル建国につながった紛争中に、70万人以上のパレスチナ人が家、村、町から大量に追放された。それ以来、パレスチナ人によってアラビア語で『ナクバ(大惨事)』として知られるこのエピソードは、パレスチナ人の集団意識に刻まれている、絶え間ない剥奪の物語として。 
 
  追放から74年が経った今も、パレスチナ難民の苦しみと避難は日常生活に残っている。 国際法の下では、イスラエルとなった領土内で逃亡したり、家から追放されたりしたパレスチナ人には帰還の権利がある。 しかし、彼らが家に戻ることを許される希望は事実上まったくない。彼らの家の多くがイスラエルにより破壊されたし、彼らが出てきた村や都市もそうなのだ。イスラエルは決して彼らの権利を認めはしなかった。 
 
  パレスチナ人から住居を奪うことは、イスラエルがパレスチナ人に課しているアパルトヘイトの核心である。 パレスチナ人からの剥奪は止まらず、ナクバはこの住民が何十年も毎日犠牲となっている抑圧の象徴となった。 現在、560万人以上のパレスチナ人が難民であり、帰還の権利を剥奪されている。 それ以外の少なくとも15万人は、住宅破壊や強制立ち退きという暴力的なイスラエルの行為により、実際に家を失い、立ち退かされる危険にさらされている」 
 
  私はまた、「世界の医師たち」の報告を引用することもできる。しかし、メディアや政治の領域では、イスラエル国民に対して行われた恐ろしいことを伝えるだけで、パレスチナ人やその子供や老人に対して行われたことは全くか、あるいはごくまれにしか伝えられない!この歴史の中でパレスチナ人は虐殺に苦しんできたし、今も苦しんでいる(レバノンのサブラとシャティーラをこの人々の記憶から消すことはできない!)。 
 
  これらすべての死は、それがどこでであれ、私に憤りを与え、私を絶望させる。なぜなら、戦争は権力者が人々に対して行う下劣な行為であり、戦争から逃れるためには誰もその責任を免除されてはならないからである。 
 
  人々を絶望に追い込み、青少年から将来や希望や基本的権利を奪い、彼らを世界やその歴史から切り離すことで、平和が築けると信じることを何よりもやめなければならない。 
 
 
*訳注:ナクバ(NAKBA)はイスラエル建国前(1948年5月)の1948年であるので、現在の時点から見れば75年前となるだろう。 
 
 
アリーヌ・パイエ(ジャーナリスト) 
 
 
 
●国務大臣のほか、欧州議会議長を務めたシモーヌ・ヴェイユにインタビューした時のパイエ氏(Regards de femme:女性の眼差し) 
https://www.amazon.com/placeholder_title-John-Doe/dp/B09KCPJ69Z 
 
 
■パリで難民支援運動「紅茶と珈琲を難民に」を立ち上げた女性に聞く アリーヌ・パイエ氏、放送ジャーナリスト・元欧州議会議員 Interview : Aline Pailler 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201701161355511 
 
■パリで難民支援運動「紅茶と珈琲を難民に」を立ち上げた女性に聞く アリーヌ・パイエ氏、放送ジャーナリスト・元欧州議会議員 〜私はなぜ今年は投票しないか〜 Interview : Aline Pailler #2 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201701161956361 
 
■パリの難民支援の輪  「紅茶と珈琲を難民に」(The et Cafe pour les refugies ) その2  衛生用品、パン、生きるための諸情報 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201701131702075 
 
■パレスチナの演劇人と共同制作の舞台 「ミラー」 9月9日から上演 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201609031841516 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。