2024年03月09日21時42分掲載
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ファーストシーンがすべてを語る ハンセン病をこんなに明るく語れるとは 『かづゑ的』(監督:熊谷博子) 笠原眞弓
私にとって、衝撃の映画だった。「らい」「らい病」は昔の言い方だ。中学生のころから、この言葉にはなじみがあった。毎朝夕に読む聖書には、随所に出てくるから。でも聖書に書かれたこの言葉の意味をしっかりと理解したのは、この映画のパンフレットでだった。目からうろこだった。
ところで、私には「ハンセン病」に対してきりきりと胸の痛みを伴って思い出すことがある。だから、この病から逃れられないのだ。
電車通学の高校生の頃、その先にはハンセン病療養所があった。その頃はもう治療薬が日本でも認可されて治る病気だったが広く周知されず、長年の隔離生活や後遺症で、施設外での生活は困難ということも知らなかった。
ある日の車内で同級生が、その療養所の話を持ち出し、電車で通院している人もいるらしいから、吊り輪にさわると感染するかもしれないと言った。その時、よく解らなくて同調も、反論も、注意もできなかった。数日後に先生がこの病について話をした。怖れる病気ではないと、淡々と話してくれた。車内にいた方が、これは問題だと学校に知らせたのだと思った。
それ以来、ハンセン病と聞くと、分かりもしないのに反応してしまう。瀬戸内にある療養所での展覧会に行ったり、当の療養所(コロナで展示館しか入れなかった)を訪ねたりしているのは、この経験があるからだと思う。
さて、映画の紹介をしたい。
予備知識として、かづゑさんの「明るさ」「屈託のなさ」は感じていたが、その初っ端から彼女の「覚悟」にただ驚かされたのだ。呼応する熊谷監督の声もやさしいのに印象深く打ち込まれる。
熊谷監督も言っているように、初撮影で入浴シーンも撮れというのだ。その声は、大決心の硬いものではなく、柔らかいのにゆるぎない決意が感じられた。驚きつつもそれを受け止める監督の声も、素晴らしい。ここでこの映画のすべてが決まったと思った。
この映画撮影チームは4人だったという。自然体で撮られていく画面は見ているものの「構え」を取り払い、涙しながら共感していた。柔らかくて、それでいて意志のはっきりしたかづゑさんの声と見守るお連れ合いの孝行さん、それをふんわりと受け止める監督の声。視力の低下など、あちこちに機能障害を持ちながら、なくなってしまった5本の指に工夫の道具を括りつけ、文字を書き、絵を描き、パソコンを打つ。そこには「悲壮感」はみじんもない。
70代終わりに友の死をきっかけにパソコンを覚える。なんと彼女は、子ども時代に同病の子どもにいじめられ、読書に埋没したというが、その読書量が、エッセイを書く力となったのか、2冊の本(『長い道』『私は1本の木』)を出版した。
さあ、1928年生まれの彼女は、今日2024年3月5日、みんなに愛され、ご健在だと監督は言う。 (映画紹介:笠原眞弓)
熊谷 博子:監督
2024年3月2日(土)よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー 他全国順次公開
<コピーライト表記>
(c)Office Kumagai 2023
<公開表記>
2024年3月2日(土)よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー 他全国順次公開
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