2024年03月18日20時11分掲載
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三上智慧監督『戦雲―いくさふむ』 単純に反対派・賛成派なんかで括れない哀しみ 笠原眞弓
この映画を思い出すたびに浮かんくるのは、沖縄の島々に伝わる伝統的な祭りを楽しむ人々の姿だった。その祭りを支える、あるいは参加する人々は、自衛隊が島に駐屯することや弾薬庫を作ることに賛成した人たちであり、反対した人たちだった。激しい意見の対立もあっただろう。でも、島の生活を一緒に作っていく人たちなのだ。だから、与那国島のカジキ漁師は、自分は保守だと言いつつ、軍事基地化には心が揺れるし、オバァは魂の歌「とぅばらーま」を歌う。戦が近づいてきたと、その即興の歌声は薄曇りの空に吸い込まれていく。
弾薬庫は作るけれどミサイルは持ち込まないはずが、いつの間にか弾薬庫の次に、ミサイルの格納庫を作り始める政府。国の裏切りに歯ぎしりする住民。”攻められたら積極的に攻撃する”ために、沖縄本島はじめ南西諸島を軍事要塞化していることは、隠しようがない。
そうなれば生活基盤が壊されるから反対するのだという島民の気持ちが、痛いほど伝わってくる。彼らの息の長い基地反対闘争は、日常の中から自然に湧き上がってくる生活を守ろうとする「強さ」なのだと納得できるのだ。
戦争をしない監視部隊のはずの自衛隊が、戦闘部隊化していくのを憂える人々は、様々な場面で激しく、あるいは静かに意思表示をしていく。子どもの頃から両親と共に闘争現場に立っていた宮古島の女性は、今や自分の意思で市議になって、最前線に立つ。彼女は議会で遠慮なく市長に異議を訴えるが、したたかな市長は、事実は認めても変更はしない。帰宅した彼女は、そのモヤモヤをヤギの世話をすることでリセットし、新たな活動に向かう。
人々は自衛隊員にも地元の行事への参加を促しているし、その子どもも地元小学校に受け入れられ、お互いに屈託なく学び、遊んでいるようだ。確かに、自衛隊の家族が島に来たことで、統廃校は免れてもいる。
でも自衛隊は、島民の生活は守らない。勝手に作った「全島避難」計画には、牛の命は含まれず、人々は手荷物1つでの逃避行だという。「いつか来た道」という思いが激しく浮かんでくる。あの時も本土を守るために沖縄の人々は捨てられた!
沖縄の人々は賛成派反対派が日常的に対峙しているわけではなく、お互いに尊重しながら、戦のない暮らしを望んでいるのに、それが真逆の方向に行く。そのことの悲しみが、日常が映し出されれば出されるほど、私の胸にキリキリと深く浸透していった。
日常と戦争を鮮やかに対比させた映像に、本土の私たちも今以上に「自分事」として政府のやり方に盾突けると、endマークの出たスクリーンを見つめていた。
[追記]
三上智恵監督の新作発表までの6年間を語った書籍『戦雲(いくさふむ)―要塞化する沖縄、島々の記録』(集英社新書)が発売されている。まだ読了していないが、三上監督の思いが伝わってくる。その表紙に描かれた馬は、小さな本に閉じ込められたにもかかわらず、いまにもそこから飛び出してこちらに向かって駆けてきそうな感じがする。それはこの絵を描いた画家の山内若菜さんその人のようでもあり、三上智恵監督でもあり、沖縄島民とも思えた。 (消費者レポートより加筆訂正) 笠原眞弓
監督:三上智恵
132分/3月16日より東京・ポレポレ東中野、3月23日より沖縄・桜坂劇場ほか全国順次公開
写真 コピーライト表記:
(C)2024『戦雲』製作委員会
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