2024年04月08日22時57分掲載  無料記事
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農と食

<61年目の農業記者> 三里塚とクルド自給農園    大野和興

 もう10日ほども前になりますが、3月末日の日曜日、かれこれ半年ぶりで三里塚を訪ねました。去年の秋の種まきした小麦畑がどうなっているかを見に行ったのです。仲間でクルド自給農園と呼んでいる小麦畑です。東峰集落に腰を据えて、空港用地だから農地を差し出せという国家から守り抜いた畑の一部を「使っていいよ」と出してくれた三里塚百姓、恒さん(石井恒司)の畑のいっかくににそれはあります。 
 
 麦畑の面積は5反(約5000平米)ほど。耕やしているのは、成田市に近接する町に住むオスマンさん(写真)とジャートさん。トラクターやコンバインなど農業機械は石井さんが使っていいよといってくれました。種も提供してくれ、時期時期の栽培についての指導もしてくれています。 
 
 といってもクルド人は根っからの牧畜と農耕の民です。強権政治に追われ、難民になる前、二人ともふるさとのトルコでは農民として生きていました。特にジャートさんは、2023年2月にトルコ・シリアを襲った大地震で買ったばかりの大型トラクターをつぶされ、大規模に経営していた農地をおいて来日した人です。関東の気象風土にあわせた農作業の手順を恒さんに伝授されると、二人は水を得た魚のように張り切って麦栽培に取り組んでいます。昨年11月18日にまいた小麦はたくましく青々と生長していました(写真)。 
 
 クルド自給農園づくりを説明するには、さらに何年か遡らなくてはなりません。コロナが本格的に流行りだした2020年春、各地で田植えの準備が始まる頃でした。新潟・上越の山間の村で米作り百姓として生きている天明青年から電話が入りました。この時期は、さあ頑張るぞとウキウキしながら田んぼに立つのだけど、この春はなんか心が浮き立たない、というのです。 
 「この前、大野さんから都会の片隅ではコロナで職を失い、三食食べられない人が出ているぞ、と聞いて、自分は誰にためにコメを作っているのだろうと考えてしまう。」 
 
 「やるかい」というと、「やろうよ」といいます。コメのほうは仲間に呼びかけて集めるから、大野さんは受け手をさがしてよ、と彼はいいます。 
 「わかった」とこたえ、反貧困ネットや移住連、山谷で活動しているグループなどに電話して、「百姓衆がコメを出すといっているけど、いるかい」「いる、いる」と話はまとまりました。「手練れの百姓が有機や減農薬で作ったとびきり旨いコメだからな」と恩をきせました。 
 
 天明さんは地域の仲間である上越有機農業研究会、日頃親戚付き合いをしている山形の置賜百姓交流会と連絡を取り、段取りを整えました。コメだけでなく野菜もいるだろうと、私は三里塚と神奈川の野菜百姓に電話をかけ、了解をとりました。 
 日頃、反TTP闘争で一緒にやっている東京の仲間の一人が、「農民が物を出すのなら、俺たちは送料を受けもとうよ」といって、カンパを集め始めました。 
 
 「コメと野菜でつながる百姓と市民の会」という名称を付けて始めたこの運動は、ほぼ3年が経った2023年夏、「そろそろかな」と店じまいの準備に入りかけていた矢先、海外協力NGOで一緒に動いていた早稲田大学の先生をしている堀さんから、トルコ・シリア大地震で日本の逃れてきたクルドの人が困っている、食べものをなんとかならないだろうか、という相談のメールがきました。堀さんはクルドの女性支援のグループで活動していました。 
 
 そこからクルドの人たち及び彼らを支援する人たちとのつながりが出来ました。新潟、山形、三里塚、それに神奈川や長野の有機農家がコメ、野菜、タマゴなどを23年春から送り始めるのですが、その一方で足元の日本の農業や農村の状況をみると、コロナの中で農産物価格の暴落もあって、農業をを辞める農民、耕作を放棄した農地激増する現実が進行しています。 
 
 同時に、入管法改定反対運動にも接してみて、子どもたちを含め日本で定住したいという希望が多いことも知りました。日本農業・農村の現実とクルドの人たちの思いを結び、自給農園を作ることは出来ないか、を関係するみんなに提案したんのは、確か23年4月頃でした。 
 
 このアイデアに真っ先に反応してくれたのが恒さんです。恒さんは、23年6月、自分が作付けしていた小麦400キロをクルドに人たちに提供してくれるということで、その収穫と製粉作業にオスマンさんが参加してくれたのが、ことのはじまりでした。小麦はオスマンさんのてで埼玉県川口市に住むクルドの家庭に届けられました。このときの作業には、関東に住んでいる「コメと野菜」の仲間やクルド女性支援グループも参加しました。そのとき恒さんから「自給農園を作るならうちの土地を使っていいよ」という話があったのです。 
 
 こうしてクルド自給農園第1号が動き出しました。いま女性支援グループによって、埼玉県下で野菜農園が作れないかという模索が始まっています。 
 この物語は始まったばかりです。 


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