2024年04月11日20時41分掲載
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文化
野添憲治の《秋田県朝鮮人強制連行の記録5》児玉工業にも連行者 鹿角市大湯
土木業と鉱山への労務者派遣を業とする児玉工業株式会社は軍需相の自由募集で土井敬968人を朝鮮半島から連行。しかし敗戦後、旧厚生省に提出した名簿には74人しか記載がなく、「確実ナモノ調査シ難ク」との付記があった。強制連行がいかにいい加減なものであったかがわまる。(大野和興)
敗戦で工事を中止
現在の鹿角市大湯にあった児玉工業株式会社は本業の土木工事のほか、不足する坑夫を各鉱山に派遣する業務もしていた。とくにアジア•太平洋戦争が激しくなり、日本の若者たちが次々と兵役にとられて働く人が不足になると、本業の土木作業のほかに各鉱山から坑夫の派遣を要望された。
本業の土木では洪水などで破壊された大湯川の河水統制工事を請負っていた。堤防が破れ、洪水のたびに田畑や人家が水びたしになるので、これもまた火急を要する工事だった。
児玉工業は軍需省の自由募集で、1942(昭和17)年に28人、1943(昭和18)年に520人、1945(昭和20)年に420人の計968人を連行している。しかも、敗戦後に旧厚生省の調査に提出した名簿には74人より記載されておらず、894人が不足している。この中から坑夫として20人、雑夫として10人を鉱山に派遣しているが、鉱山名は記入なしというかなり不備なものだった。
おそらくかなりの人が逃亡したと考えられるが、旧厚生省に出した名簿には逃亡者は1人も記入されていない。しかも「附記」には「解散当時在籍セルモノ幾人モアリテ確実ナモノ調査シ難ク」とあるが、894人もの在籍は調査ができないので報告できないとは、常識では考えられない。
また、日本がまだ敗戦になっていない1945(昭和20)年6月30日に本工事の作業は中止命令を受けたので、7月18日に解散したとしている。児玉工業では解散後の朝鮮人へ賃金などの支払いは、工事を請負った組の親方がやったので、児玉工業には一切の責任はないとしている。
世帯持は1人1500円、独身者には1人1000円を渡して現場から出発させたと書いているが、社員や連行された朝鮮人は不明なので、正確なことはわからない。
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