2024年04月23日21時07分掲載
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文化
野添憲治の《秋田県朝鮮人強制連行の記録6》 不老倉鉱山でも朝鮮人働く 鹿角市十和田町
掘りつくし休山した鉱山を国策で甦らせ、連行した朝鮮人を酷使した不老倉鉱山。鉱石を運び出す道路作業に従事させられ、真冬も素足に草鞋履きで作業に追いたてられた。死亡したり逃亡した人も多く、その人たちがどうなったか、記録はない。(大野和興)
◆真冬でも素足に草鞋をはいて
岩手・秋田の県境で不老倉鉱山が発見されたのは1764(明治元)年で、南部藩が採掘した。海抜600〜900メートルの山地で、積雪の多い所だ。その後古河市兵衛が経営し、主要部分を掘り尽くして休山。1938 (昭和13)年に国策の帝国鉱山開発が操業を始めたが、鉱石は小坂鉱山に売却し、トラックで運搬された。
旧厚生省の資料では、帝国鉱山開発が朝鮮人連行者を使用したのは1944(昭和19)年の200人(途中で8人が逃走)で、全員が雑夫となっている。官斡旋と徴用が半々で、敗戦までに55人が逃走している。
また、鹿島組不老倉出張所には旧生省の資料では、2回で214人が官幹旋で連行されている。敗戦で帰国すまでに逃走したのが17人、死亡者が3人、退所して送還したのが12人で、その内訳は病死3人、悪思想の持ち主1人、妻の死亡で帰国が1人、入営1人その他となっている。ただ、 出張所が旧厚生省に提出した旧厚生省の資料には189人とあり、人数が合わない。
朝鮮人たちの仕事は、小坂鉱山まで鉱石を運ぶ道路づくりであった。春から秋までかけてはいいが、真冬でもトラックが走れるように除雪する作業が大変だった。早朝からトラックが走れるように暗いうちに起きて飯場を出ると、「白いズボンに素足に草鞋をはき、
背に雪よけのムシロをあてて除雪する姿は見ていられなかった」(明石文吾)と証言する。
辛い作業をのがれるため、不老倉鉱山から31人が逃亡している。初めての土地なので地理がわかるはずもなく、しかも吹雪の中をムシロを背負った服装で、いったいどこへ逃げて行ったのだろうか。捕らえられてまた働いたという記録はない。
参考文献
(1)(2)『朝鮮人労務者に関する調査』1946年
(3)野添憲治編『秋田県における朝鮮人強制連行』(社会評論社)2005年
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