2024年05月04日12時06分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202405041206106

アジア

「核物質密輸未遂事件」を読む ミャンマー最前線からのレポート(12)DM生

 ミャンマーの核開発疑惑が国際的に注意をひいたのは今回が初めてではない。数回は繰り返された。筆者が最初にその話をミャンマー国軍情報部幹部から「核開発の試み」を聞いたのは2003―04年にかけてである。それは「ある山にトンネルを掘り核開発施設を建設している」「そのための北朝鮮のスタッフが入ってきている」「原子物理学研究の留学生をロシアに相当数送り込んでいる」といった内容であった。正直言って半信半疑であった。何故なら「アウンサン廟爆破事件」(1983年ラングーン事件)への抗議でミャンマー政府は北朝鮮と全面的に断交したままだったからだ。 
 
 2007年、国軍の核開発プロジェクトに加わっていた二名の軍人がその計画書などの書類やトンネルの映像を手にタイに脱出し暴露する事件が発生し、筆者の得た情報にそれなりに根拠があったことがはっきりした。その脱出事件をオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙が二年かけて調査し、2009年11月に「ミャンマーは計画通りにいけば、5年以内に核兵器を製造し毎年一発の原爆を所有することができる」と発表した。これは国際的な注目を集め、支援を期待する動機で反政府勢力がおこなう根拠の薄いキャンペーンとは異なる客観的報道と受け取られた。 
 だがその核開発計画にいくつもの障害が発生した。第一に計画が暴露されて国際的な警戒と監視が強まった。開発計画の立案と併行してロシア、北朝鮮との核にかんする協力協定が締結されたという目立つ動きもあったからだ。 
 一方で軍事政権は1988年の反政府民主化闘争の高揚に脅威を覚え軍備強化への道をいそいだ。今世紀に入って公式の理由の発表もないまま首都をヤンゴンから移す計画が進む。ネピドーという山に囲まれた人工の要塞首都の出現である。「米国第七艦隊からの空襲に耐えるため」という説も流れた。公式の遷都(2006年10月)に先立ち2003年から国軍の段階的移転がおこなわれた。計三桁の防空トンネルも造成された。そしてまさにその時期に北朝鮮国防部との相互協力が秘密裏におこなわれ、トンネル内の核開発施設建設が始まったのである。 
2007年にはミャンマー軍政は正式に北朝鮮との国交回復、ロシアと「軽水炉、核廃棄物の再処理」等の建設計画への支援協定に調印した。2008年に国軍高級代表団が北朝鮮秘密訪問。この時期は僧侶が中心となった民主化運動「サフラン革命」と重なる。 
 民政移管後のテインセイン政権期には核開発計画は中止したと発表、国防相が「過去に核開発の計画があった」と認め(2012年)、翌年には国際原子力機関IAEA総会で外相が「同国での核査察活動の拡大」を認める署名をおこなった (2013年)。一方で2015年1月、タンシュエ前独裁者に近いクローニーが「マンダレー管区のオンダン村付近で発掘した鉱石を中国専門家が解析しグレード13のウラニウム含有を確認した」と発表(イラワジ紙 2015.1.20)。 同年4月ロシア国営原子力企業Rosatomとの間で「原子炉建設と稼働」に関する覚書を締結した。 
 その後アウンサンスーチー政権期に入って2016年に包括的核実験禁止条約批准、2018年には核兵器禁止条約に署名した。 
 このようにみてくると、国軍こそが一貫して「核開発疑惑」の主役を果たしてきたということがわかるのである。 
 
 上記の二つの国際条約に即してミャンマー国軍が核兵器疑惑をもたらした各施設、核物質をどのように処理したのかは全く明らかでない。2021年2月のクーデター以降は国軍への国際査察も国内調査も全く行われておらず、国軍内部の汚職蔓延、統制の乱れが続く状態ではますます核開発施設と核物質がどうなっているか確たるデータがない。 
 クーデタ―後の2021年6月にミンアウンフライン総司令官がモスクワ訪問して以来両国の軍事協力は急ピッチで進んだ。軍首脳クラスの相互訪問も繰り返され、2023年2月、6月、10月と相次いで Rosatomとミャンマー軍政の科学技術省との間で「原子力平和利用」に関する覚書や政府間協定が交わされた。ミャンマーの天然ガス産出量が激減しており、電力事情は逼迫、国軍は原発に頼る方針に更に傾斜していくだろう。 
 核兵器への転用は現在のところ不可能だろうが、もしもミャンマー国軍の独裁政治が今後何年も続くならば、ロシア、北朝鮮との関係性からして核兵器の開発を追求する恐れがある。現在NPT (核拡散防止条約)を批准していない国(イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮)の多くは「原子力平和利用」から開始し、国際社会が気づいたときには核兵器を既に保有していたという歴史の教訓を思い起こさざるを得ない。 
 
 レポート(10)で国軍幹部やクローニーらの「脱出準備」を書いたが、実はいまでも「ウラニウム密輸」「ウラニウム鉱床採掘権売却」の商談が政商の間で持ち出されている。 
 鉱物資源の宝庫ミャンマーは利権と犯罪、謀略と争奪戦の温床をかかえている。そしてその資源は大部分が少数民族地帯にある。金、銀、銅、ルビー、翡翠、レアアース、マンガン、ボーキサイト等など国軍は全てをくいものにしてきた。この事実が、ミャンマーに悲劇的な歴史を生んできた。 
 そのなかで起きた「ミャンマーからの核物質密輸未遂事件」なのである。「ヤクザボスを騙った日本人詐欺師が大ばくちに失敗した」として片づけてはならないだろう。そして米国がもろに関わった事件、とりわけ他国を舞台にした捜査活動には主権蹂躙、虚偽、捏造が含まれていることが少なくないのだ。2022年5月バンコクでタイ当局によって押収された「核物質サンプル」が「十分な量がそろえば核兵器製造可能なプルトニウムが含まれていた」という核心部分についても疑問が残る。同年4月にはエビサワ容疑者はタイ人共犯者ととも「武器・麻薬密輸」の罪で既に米国で逮捕されていたし、その「核物質」をもたらした人物三名は逮捕されていないのだ。不可思議な事件である。       (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。