2024年08月17日14時52分掲載  無料記事
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文化

野添憲治の《秋田県における朝鮮人強制連行13》連行者最多の花岡鉱山  大館市花岡町

 余りの虐待に中国人連行者が蜂起した花岡鉱山には、秋田県内では最も多くの朝鮮人も働かされていた。粗末は食事で空腹で倒れる人、落盤事故で死亡、怪我なども続出した。それでも旧厚生省記録では死亡者25人としか記されていない。少なくとも100人はくだらないという証言がある。(大野和興) 
 
 花岡事件で全国的に知られ、中国人連行者が蜂起した日に市主催の慰霊式がおこなわれている花岡鉱山には、筆者(注:野添)が所有する鉱業所の資料では4,500人(延べ人員)の朝鮮人連行者が来ている。 
 他に諸負業者人夫1,500人とあるが、このうち800人が朝鮮人といわれている。 
 
 また、旧厚生省の調査では、藤田組花岡鉱業所1,978人、同和鉱業花岡鉱業所760人、鹿島組花岡出張所121人のほか、北海道紋別市の鴻之舞鉱山から526人(うち家族138人)が来ている。 
 鉱業所の4,500人のなかに全員が入っているのか分からないが、秋田県内では最も多くの朝鮮人が働かされた鉱山である。 
 
 1944(昭和19)年5月29日に七ツ館落盤事故が起き、日本人11人、朝鮮人11人が生き埋めとなった。事故後に坑内にはまだ生存者がいるのに坑口を閉じたので、遺骨は埋められたままだ。 
 
 朝鮮人は坑内で二交替の8時間労働だったが、もっとも危険の高い所で働かされた。「上から落ちてくる岩石が多く、それに当たって怪我したり、死ぬ人が多くでた」(李又鳳)という。しかも食糧は貧しく、皮の付いたジャガイモ、大豆カス、フキなどの入った主食は飯粒は少しで、おかずは塩汁に菜っ葉が浮かんでいるだけので、空腹で作業中に倒れる人が多かった。 
 
 飯場の第五寮には歩けない病人や怪我人が隔離されていたが、「いつも70人ぐらいはおり、その後に歩いている姿を見なっかたから、みんな死んだんじゃないか」と証言している。 
 
 花岡鉱山にはこれだけの連行者が来ていたのに、旧厚生省の調査には、死亡者25人、負傷者17人、逃亡者844人と書かれたているだけで、各事業所の明細はない。死者は少なく見積もっても100人は下らないと李又鳳は言っているが、地元の寺にも遺骨や墓は見当たらない。 
 
参考文献 
(1)『朝鮮人労務者に関する調査』1946年 
(2)『秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報』第58号 2009年 
(3) 同上 第3号 1997年 
(4) 李又鳳『傷跡は消えない』(私家版)1991年 


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