2024年11月17日14時45分掲載
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文化
野添憲司の「朝鮮人強制連行の記録」17回福寿寺の遺骨
少女と男性の二体の遺骨
秋田内陸縦貫鉄道の阿仁前田駅に下車し、小又川添いに森吉山に向かうと左側の高台に福壽寺がある。このお寺に朝鮮人の子どもの遺骨一体と、朝鮮人と思われる男性の大人の遺骨が安置されている。(大野和興)
秋田県調査団の20年にわたる調査で、秋田県内には77ヶ所の朝鮮人連行者の労働現場を確認しているが、遺骨箱で見つかったのはここだけである。
少女の骨箱には「昭和18年9月17日、 川上澤助、本命鄭鎭の長女・梅子・ 13 歳」とあり、川上の出身地と思われる 朝鮮の住所が書かれている。 男性の骨箱には「昭和17年8月20日、安田石枯、39歳、鹿島組砕渕にて病死」とあり、戒名も「夏雲石枯居士」とある。 2体の遺骨が置かれたのは現住職が子ども の時なのでわからないという。
北秋田市の森吉山ダムは長い年をかけて完成し、2012年から貯水をはじめた。このダム造成のため、小又川の13集落が移転した。その中に旧森吉町砕渕集落があり、アジア・太平洋戦争の 時に尾去沢鉱山は不足する電力を補うため、小又川に4つの発電所をつくった。
第三発電所に水を引くため、砕渕 集落の上に小規模なダムをつくり、導水管を集落の底を通した。この工事に多くの朝鮮人が来ると、集落のはずれに建てた飯場に入って働いた。家族連れもいたが、正確な人数はわからない。
砕渕は地名が示すように小形の岩石 が積みかさなっており、 導水管を埋める工事では陥落する事故が多発し、朝鮮人だけでなく、日本人も事故死した。 日本人の遺体は家族が引き取ったが、朝鮮人は工事をした鹿島組が持っていったという。
鹿島組が下請けした工事で、何人の朝鮮人が死亡したかを示す 資料はない。だが、病死した1人は戒名をつけられ、 焼骨の後に福壽寺に安置された。事故死した他の人たちはどうなったのだろうか。
参考文献
(1) 『秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報』 第3号 1997年 (2) 『秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報』 第38号 2004年
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