2025年01月01日19時02分掲載
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文化
野添憲治の【秋田県の朝鮮人強制連行の記録】19回 無煙炭を掘る 北秋田市湯の岳
真冬も夏服装で働いた朝鮮人
秋田県内には金属鉱山が多く、また県北地帯からは黒鉱と呼ばれる特殊な鉱石が発掘されている。だが、石炭は少ない。その中で「湯岱、七日市地区では火山岩の逆入によって熱影響を受け、石炭が半無煙炭となり、秋田無煙炭として生産された」が、発掘した会社は奥羽無煙炭鉱(電気化学工業)、明又鉱山や東北炭鉱などと大きいので、多くの朝鮮人を使用している。
東北炭鉱では湯ノ岱で多く掘っている。国民宿舎森吉山荘から小又川の向かい側に、春先や秋には掘った跡が横になって何層も見える。いまは無人の里となったが、炭鉱や国有林の伐採などで盛んな頃には湯ノ岱分校が置かれるほど栄えた。また、営林署の森林軌道も通り、木材や木炭のほかに無煙炭も阿仁前田まで運ばれたので賑わった。「湯ノ沢から大印に入っていく入り口と、平田の間に東北炭田の長屋があった。
この長屋には日本人も入っていたが、朝鮮もかなりの人が来ていた。どれくらいの人かと聞かれてもはっきり言えないが、とにかく相当の人が来ていたとだけは言える」(佐藤豊治)という。
「朝鮮人は冬でも地下足袋をはき、雪の中を歩いていた。着る物も夏の服装だったが、坑内で働く時はそれでもよかったようだが、一歩外へ出ると大変だったろう。朝鮮の女性はあまり見えなかったが、夫婦連れはいて、飯場の炊事は朝鮮の女性がやっていた。子どもたちは学校へ行ってないようだった」(同)という。
奥羽無煙炭鉱は索道で運んでいたが、東北炭鉱は独自のガソリンカーを森林軌道を走らせ、石炭はーキロ運ぶといくらと営林署に払っていた。石炭堀りやガソリンカーで運ぶにも朝鮮人が働き、事故で怪我や死亡者は出たというが、その数はわかっていない。
参考文献
・秋田大百科事典』(秋田魁新報社)1981年
・『秋田県朝鮮人強制連行真相調査団』第9号 1998年
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