2025年01月28日19時54分掲載  無料記事
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文化

野添憲治の<秋田県における朝鮮人強制連行の記録> 21回 貯木場工事に働く 能代市二ツ井町

戦争末期、船や飛行機を作る資材が不足、軍用材として天然秋田杉が大量に伐られた。その作業に朝鮮人が連行され、休憩時間中にも日本人の土方に歌をうたわせ、うたわないものを殴ったりしていたという証言がある。(大野和興) 
 
歌をうたわぬ朝鮮人を殴る 
 
アジア・太平洋戦争も末期に船や飛行機をつくる資材が不足した。そのため、軍用材として天然秋田杉が大量に伐採された。 
 
ニツ井町仁鮒の奥や上小阿仁村からもこれまで以上の丸太が運ばれ、仁鮒貯木場からは筏に組んで能代まで流し、さらに陸揚げして各製材工場へ運ぶのに手間がかかった。そこで米代川に銀杏橋を架け、上小阿仁方面から森林鉄道で運ばれてくる丸太はニツ井駅の近くに運び、貨車に積んで運ぶと大幅に作業が短縮する。しかし、藤琴川の上流からも大量に運ばれるので貯木場が不足した。軍需省では銀杏橋と貯木場の工事を始めた。 
 
ニツ井駅の山側に大きな堤があったので、その堤を埋めて第2貯木場をつくる作業が、1943(昭和18)年3月から始まった。工事は鷹巣町(現北秋田市)の津谷組が請け負った。駅の向かい側の山を削り、それをトロッコに積んで 
 
運び、堤に埋めた。トロッコの線路を2本敷き、約30人で作業を始めたが作業員が不足したので、朝鮮人を約20人ほど連れてくると、1本のトロッコの作業をまかせた。 
 
どこに寝泊まりしているかわからないが、朝は川下から来て働き、仕事が午後7時ころに終わると帰っていった。若い人たちだったが土方の仕事は初めてのようで、仕事が遅いと監督に叫ばれていた。掌にマメができたのが潰れ、痛いのを我慢しながら働いたほかに、「休憩とか昼休みに、気の荒い日本人の土方が朝鮮人を呼ぶと歌をうたわせていたが、うたわない人を歌をうたえないのかと叩いたり、殴ったりしていたのは可哀想だった」(佐藤与一郎)と、一緒に働いた人は語っている。 
 
小さい怪我はよくやっていたが、大きな怪我をした人はいなかったという。春から働き、秋に仕事が終ると姿を消した。 
 
参考文献「秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報」第38号 2004年 


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