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特集野村進ジャーナリスト講座ノンフィクションを書く 最終回 あとがき 私の手元に、故人の手になる3冊のサイン本がある。一冊は見返しに相合い傘が描かれており、傘の右側には「アラカン」、左側には「竹中労」としてある。サインの主は竹中労その人、書名は評伝文学のすでに古典と言える『聞き書きアラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』である。「一九七八年二月八日 浅草木馬亭にて」という私の添え書きを見ていると、眼前にはたちまち、古びた浅草の寄席の片隅で、坊主頭をうつむき加減にペンを走らせていた竹中労の姿が蘇る。(2008/04/21) ノンフィクションを書く 第34回 テーマ・ノンフィクションの取材と執筆(4) 書きたいテーマがすでにある人はよい。あとは調べる技術と書く技術を身につけるだけだ。しかし、何かを書いてみたいけれど、漠然としていて、はっきりとしたテーマはまだ見つかっていない人のほうが、圧倒的に多いのではないか。テーマを見つけるうえで私が一番役立つと思うのは、一人旅をすることである。日常とは違う風景や人々の中に身を置いてみると、自分の輪郭がくっきりとしてくるものだ。それゆえ、複数ではなく、一人の旅でなければいけない。(2008/04/14) ノンフィクションを書く 第33回 テーマ・ノンフィクションの取材と執筆(3) 山口看護師長と一緒にリハビリ・ルームに行くと、車椅子に座った女性の患者さんが、パソコンに向かっていた。パソコンの画面に、書きかけの文章が映し出されている。「最近日を追うごとに、腕および指先の筋力が非常に衰えてきたことを実感しています。というのは、携帯メールを打ち込むときに何の抵抗もなくできていたのにいまは机上で行うことも難しく、食事をする前に」と、ここまで書いたところで、その初老の女性は私にちらりと視線を向けた。(2008/04/07) ノンフィクションを書く 第32回 テーマ・ノンフィクションの取材と執筆(2) たった1日の看護体験とはいえ、こういう患者さんたちにどう接したらよいのか。暗澹たる気分で、私はきょうご一緒させていただくナースの根釜(ねがま)富美代さんに付いて病棟に向かう。ところが、このナースさん、けっこう人使いのあらい“指導教官”なのだ。「枕カバーを取り換えてもらえますか?」「そこのシーツ交換もお願いします」「今度は布団カバー。この端っこをこう裏返しにして、そこに布団の先を入れて、こうやってまた裏返しにして」。てきぱきと作業を進める根釜さんを上目遣いに、私はおろおろとうろたえるばかり。あの〜、私、不器用なもので……。「あっ、私も不器用ですよ」。さらりと受け流されてしまった。(2008/03/31) ノンフィクションを書く 第31回 テーマ・ノンフィクションの取材と執筆(1) これから紹介する拙文も、一般には「体験エッセイ」と呼ばれるものであろう。医療法人の徳州会グループが定期的に刊行している「看護&ケアマガジン」の「VIVO」に、「ナースにチャレンジ」という連載企画がある。作家や俳優といった看護とは異分野の人間に、1日ナースの見習いをさせ、その体験記を掲載するページである。私は、東京都昭島市にある東京西徳洲会病院を訪ね、朝8時から夕方5時すぎまで、女性看護師の手助けを借りながら、ナースのまねごとをしてみた。編集部がつけた見出しは、「難病の病棟で垣間見た患者さんとナース、それぞれが乗り越える“葛藤”」というものである。短い文章なので、すんなりお読みいただけると思う。(2008/03/24) ノンフィクションを書く 第30回 事件ノンフィクションの取材と執筆(5) 昨年交通事故で不慮の死を遂げたアメリカのピューリッツァー賞作家デイビッド・ハルバースタムの代表作である『ベスト・アンド・ブライテスト』は、ベトナム戦争にのめりこんでいくホワイトハウスの「最良にして最も聡明な」指導者たちの姿を、まるでその場に立ち会っているかのような臨場感あふれる筆致で描き出している。しかし、ハルバースタムが取材を開始した時点ですでに暗殺されていたケネディ大統領や、ハルバースタム本人はインタビューしていない故人のジョンソン大統領の心理描写を、かくも細密に行うことははたして許されるのだろうか。(2008/03/17) ノンフィクションを書く 第29回 事件ノンフィクションの取材と執筆(4) 地元の事情通には、ほかに次のような人物があげられる。地元のメディア関係者(タウン誌やミニコミも含む)、作家、詩人、写真家、郷土史家、教師(とくに元教師)、政治家(とくに野党議員と元議員)、地元財界の有力者。彼らに比べて開業医や弁護士、不動産屋には情報が集まるが、多忙なうえ職業柄、口が固い(親しくなれば別だが)。警察情報の重要さは言うまでもないが、私の体験では、外部から来た記者には肝心なことを教えない場合が少なくないようだ…。(2008/03/10) ノンフィクションを書く・第28回 事件ノンフィクションの取材と執筆(3) 『5人の少女はなぜ飛び降りたか』は、私がこれまでに書いた事件ノンフィクションの中でも、最も印象に残る作品である。この事件は、1992年12月31日、つまりバブル経済の崩壊が日本社会を大きく変えつつあった年の大晦日に起きた。茨城県水戸市のマンションの7階と8階のあいだの踊り場から、中学3年生の少女5人が身を投げ、3人が即死し、2人が重傷を負った集団自殺事件である。事件の第一報を、私は島根県松江市のホテルで聞いた。(2007/09/03) ノンフィクションを書く 第27回 事件ノンフィクションの取材と執筆(2・後半) 「うん、アカネたちが死んだのは、友達の家で聞いたの。聞いた途端、ハルナね、笑っちゃった。なんで笑ったのかわからない。ただ体が痺れて仕方がなかったの。そのあとね。ハルナ、暴れたらしいよ。大きな声で怒鳴ってたらしい。友達が外に連れ出してくれたけど、道端でも大きな声で叫んでたんだって。ひとりごとも何か言ってたんだって。全然覚えていないんだけど……」/ハルナは、ケンジが死んだ直後、アカネが事故現場に行ったときの話を、問わず語りにしはじめた。ケンジの遺体はすでに運び去られていたが、その断片が道路には散乱していたのだという。/ハルナが、さらりと言った。「それをアカネが食べたんだって。自分の体にケンちゃんの体を入れたかんだって」(2007/03/05) ノンフィクションを書く 第26回 事件ノンフィクションの取材と執筆(2・前半) もうひとつ気になることがある。去年の初夏、アカネの左側の内側に「ケンジ」という字がカッターナイフか何かで刻みつけてあるのを、ケンジの母親に見とがめられているのだ。/私は、はっとした。以前、ある大学病院の救命救急センターに一週間ほど泊まり込んで取材したときのことを突然、思い出したからだ。そのとき見た、飛び降り自殺で死んだ14歳の男子中学生の左腕にも、まったく同じようにカッターナイフで付き合っている彼女の名前が刻みこまれていた……(2007/02/14) ノンフィクションを書く 第25回 事件ノンフィクションの取材と執筆(1) 私は、1992年から93年にかけての1年間、月刊『現代』誌上で「ニッポンの現場」という長編ノンフィクションを連載していた。これは何らかの事件が起きたなら、すぐさま現場に飛んで、テレビや新聞・週刊誌などが報じていない事件の深層部や、その事件を生み出した社会の構造を描くというもので、いま振り返るとよく身が持ったと思えるほど、肉体的にも精神的にもきつく困難な取材の連続であった。この連載の中で最も印象に残っているのが、1992年の大晦日に、茨城で5人の女子中学生が集団飛び降り自殺を図り、3人が死亡した事件である。大晦日の当日、私は別の取材で島根県の山あいの町にいたのだが、急遽、東京に戻り、年明けの2日から茨城の現地に入った。原稿の締め切りまでには、3週間しかない。知り合いも誰一人いない土地で、新年早々、途方に暮れながらの取材が始まった。(2006/06/23) ノンフィクションを書く 第24回 人物ノンフィクションの取材と執筆(2) …しかし、取材が終わり、原稿の構想をまとめる段階で、上記のポイントが微妙に変化していることに気づいた▼歌舞伎の舞台裏を案内するだけでなく、師匠の猿之助との対比や、母親のかなえられなかった夢についても、書き込むべきではないか▼わずか20枚足らずの原稿ではあるが、以上のような取材と思考のプロセスを経て書かれている。何も私が特別というのではなく、プロのライターはみな同様の試行錯誤をしながら原稿を仕上げてゆくものだ。(2005/12/06) ノンフィクションを書く 第23回 人物ノンフィクションの取材と執筆(1) 今回から、ノンフィクションを人物・事件・テーマの3種類に分け、実例に即して要点を記していこう。本当は私以外のノンフィクションライターの秀作を例に引きつつ説明したいのだが、全文引用となると著作権の問題があるため、やむをえず拙文を俎上に載せることにする。▼まずは、人物ノンフィクションから。▼人物ノンフィクションは、すべてのノンフィクションの基本中の基本である。一人の人物について様々な角度から取材し、多くの読者に感銘を与える作品が書けるようになれば、事件ノンフィクションやテーマ・ノンフィクションを含め、どんなノンフィクションにも対応できるはずだ。なぜなら、登場人物の息遣いや体温のぬくもりが読者に伝わって初めて、読者は登場人物の関わる事件やテーマに関心を示し、理解を深めていけるからである。これからノンフィクションを書こうとしている読者は、何はさておき一人の人物を、血の通った生身の人間として表現できるようになることを、最初の目標にしていただきたいと思う。(2005/02/03) ノンフィクションを書く 第22回 原稿の書き方(5) 前回に引き続き、ノンフィクションの文章を書く際の注意点を箇条書きであげてみよう▼短編ノンフィクションを書くときの心構えは「ワンテーマ」である▼優れた長編ノンフィクションの条件は、「これでもか、これでもか」である▼参考になるのが、ミステリーの構成法である▼紙の上に書かれた人物像を、読者の眼前に立ち上がらせる▼余韻のある終わり方を心がける▼自分の書いた文章を読み返すときは、必ず声に出して読む▼推敲の労を決して惜しまない▼長編は短編の積み重ねである。(2004/11/24) ノンフィクションを書く 第21回 原稿の書き方(4) 原稿の書き出しが決まれば、しばらくはスムーズに文章が流れていくはずだ。もし流れていかないとしたら、自分の中で何を書こうとしているかがまだ煮詰まっていないからで、もう一度、取材ノートや資料を読み直し、構想を固めてから、書き出しを再考すべきであろう。書き出してからの注意点を箇条書きでまとめてみる。(2004/11/01) ノンフィクションを書く 第20回 原稿の書き方(3) さて、前回に引き続き、ノンフィクションの書き出しについてである。小説家による文章読本の類には、必ず書き出しの手本がいくつかあげられているものだが、ノンフィクションのガイドブックには実例をあげているものが意外に少ない。「我が輩は猫である。名前はまだない」や「木曽路はすべて山の中である」のような人口に膾炙した短文の名文ではなく、事実が織りなすドキュメンタリーの世界に読者をいざなうための入口として、書き出しにもある程度の分量が必要だからかもしれない。そこで、私が「よい書き出し」と考える例を、まず短編ノンフィクションからいくつかあげてみることにしよう。(2004/09/16) ノンフィクションを書く 第19回 原稿の書き方(2) “ペン・シャープナー”という言葉をごぞんじだろうか。英語で書くと“pen-sharpener”、つまりペン先を鋭くさせるものという意味である。前回お話した、これから原稿を書こうとするときの“集中の儀式”に、このペン・シャープナーは非常に役立つ。いったい何のことかと思われるだろうが、ペン・シャープナーとは、文章のカンを鈍らせないために読む本や、原稿を書く前に読むお気に入りの文章のことだ。(2004/07/21) ノンフィクションを書く 第18回 原稿の書き方 取材が終わったことを前提に話を進めるが、いざ原稿に取りかかってみると、取材していなかった事柄の多さや取材の突っ込みが浅かった点に、否が応でも気づかされるものだ。これは、ジャーナリストの仕事を何年続けていてもぶつかる問題である。そんなときは、億劫がらずに取材の“穴埋め”を行う。この穴埋め作業は、ときには原稿を書き進めながらでさえ必要になることで、ここで丹念に穴埋めをしておくかどうかが原稿の出来を左右する場合も少なくない。(2004/07/09) ノンフィクションを書く 第17回 取材の方法(10) 前回までに、インタビューの方法のあらましはお伝えしたつもりである。さて、こうしてインタビューが終わった。あなたは取材ノートを閉じ、録音機器の停止ボタンを押す。ところが、ここから本当の取材が始まるということが、往々にしてあるのだ。約束のインタビューの時間を終え、先方は心の中で安堵のため息をつくか、そこまではいかないにしても緊張がいくらかはゆるんでいる。そのときなのである、インタビュー中には語られなかった本音が洩れるのは。(2004/06/16) ノンフィクションを書く 第16回 取材の方法(9) 対面している取材相手の観察法について、もう少し細かく記そう。たとえば、私が取材したある著名な心理カウンセラーの相談室のデスクを、彼が座っているほうからながめていたら、デスクの端(カウンセリングを受けている相手からは見えない手元の部分)に無数のキズがついているのを発見した。わけを訊けば、親指の爪でつけたのだという。不思議に思って、さらにその理由を尋ねたら、「いやぁ、イライラすることが多くてね」と言って、苦笑した。(2004/06/01) ノンフィクションを書く 第15回 取材の方法(8) 取材の前か最中(さなか)かを問わず、これは訊かないほうがよいのではないかと躊躇させる疑問がよく出てくる。このことを尋ねたら、失礼ではないか。先方の気分を害するのではないか。いや、それどころか相手を激怒させはしまいか。そのようなためらいを抱かせる質問があったら、どうするか。これはぜひとも強調しておきたい。そんなときは、必ず訊くことだ。ひるむ心を奮い立たせて問い掛けることである。...(2004/02/19) ノンフィクションを書く 第14回 取材の方法(7) 辺見庸氏の『もの食う人びと』(角川文庫)は、人物や情景を描写する方法を学ぶための格好のお手本となる作品で、未読の方にはぜひ読んでいただきたいのだが、その中の一編に、社会主義国家時代のポーランドで戒厳令を布告した、かつての大統領ヤルゼルスキに会いに行く話がある。「敗者の味」と題された文章の書き出しは、こうだ。...(2004/01/19) ノンフィクションを書く 第13回 取材の方法(6) 取材そのものの話に入ろう。この場合の取材とは、事件現場の聞き込みや電話取材ではなく、アポをとり先方の自宅やオフィスなどを訪ねてからの一対一のインタビューを想定している。ポイントを箇条書きで記そう...(2003/12/28) ノンフィクションを書く 第12回 取材の方法(5) いよいよ取材の当日である。私もきのう、次の単行本のための取材があったばかりなので、読者の参考になるかどうかわからないが、そのとき持参したものをあげてみよう。ボールペン、ノート、メモ帳、テープレコーダー、カセットテープ、電池、資料。こんなところである。...(2003/12/05) ノンフィクションを書く 第11回 取材の方法(4) ここで肝要なのは、なぜその人物に会いたいのか、会って何を知りたいのかを、もう一度、自分に問い掛けて、明瞭な答えを出しておくことだ。この点をはっきりさせておかないと、取材が漫然としたものに流れてしまう。この点をはっきりさせたうえで、質問を思いつくままに箇条書きしていくのである。たとえば、いま私が一番インタビューしてみたい人物の一人は、先日、詐欺事件で逮捕された自称「有栖川識仁(さとひと)」氏なのだが、彼に会って訊きたいことを、とりあえず10項目あげてみる...(2003/11/20) ノンフィクションを書く 第10回 取材の方法(3) 取材依頼の手紙を書き送ったとしよう。あるいは、メールやFAXで取材の申し込みをしたとしよう。ところが、2〜3日して先方に電話をしてみたら、取材は受けたくないという答えが返ってきた。さて、どうするか。(2003/10/02) ノンフィクションを書く 第9回 取材の方法(2) それにしても、取材法を述べる初回に「丸暗記取材」のことを書いたのは、少々先走りの度が過ぎた。ここで、資料収集が終わって、いよいよ取材に臨むという段階に話を戻そう。▼原則として、収集した資料にはすべて目を通すことにしたい。ただし全部を熟読する時間は大抵ないので、必読の資料とそれ以外の通読のもの、拾い読みでかまわないものとを分け、必読のものから順を追って読み進める。何が必読かは、下調べの段階ですでに気づいているものだ。▼その過程で、取材対象の候補となる人物に目星をつけていく。あなたがそのテーマを選んだ時点で取材の中心人物が決まっているのなら、周辺取材の人選をしていく。▼このときの第一の基準は、「自分が心底おもしろい・おもしろそうだと思った人物」である。「心底」であって、「漠然と」ではない。もしそういう人物が見当たらないとしたら、そのテーマは即刻やめにして、別のテーマを探したほうがよいくらいだ。(2003/09/20) ノンフィクションを書く 第8回 取材の方法(1) 私は駆け出しの頃、初対面の取材相手でも、挨拶がすんだらすぐにテープレコーダーを取り出し、取材ノートを開いて、こちらの疑問を尋ねては先方の答えをボールペンで記す方法をとっていた。相手が取材に慣れているのなら、これでもかまわない。ところが、実際には、取材なるものを受けるのは生まれて初めてという人が大半なので、まずこちらがテレコを出した瞬間に、相手が多少なりとも身構えるのがわかる。なかには、私のほうを見ず、テレコに向かってしゃべる人もいたし、ノートも同様で、メモを取る私の手元が気になって、そこばかり見ている人もいた。......(2003/08/21) ノンフィクションを書く 第7回 資料の集め方(3) 資料収集の際ライターが見落としがちなのが、これである。自分が取り組もうとしているテーマやそれに関する事柄が、映像でどのように表現されているかは、必ず押さえておかなければならない。映像メディアでは表現できないか、表現不可能に近いテーマを設定するためだけではなく(この講座の第4回目を参照されたい)、映像に詰め込まれている豊富な情報を読み取るためでもある。(2003/07/17) ノンフィクションを書く 第6回 資料の集め方(2) 本にはカネを惜しむな−−、これがむかしから格言のように言われているライターの心得である。書店には足しげく通い、新刊書でいま必要か、あるいは将来必要になりそうなものがあったら、ためらわずに買っておく。言うまでもないが、本の流通サイクルは、異常なまでに短くなっている。良書でも売れなければ、たちまち店頭から姿を消してしまう(いや、店頭に並ぶことすらなく、箱に入ったまま返品される本も多い)。いつかまた、などと思って後悔したことが、私にも何度かある。だから、本はいますぐ買っておこう!(2003/07/03) ノンフィクションを書く 第5回 資料の集め方(1) 私が20代のころ話題になったあるインタビュー集の著者が、こんなことを言っていた。自分はこれからインタビューする相手に、先入観のない白紙の状態で臨みたいので、資料調べや事前調査はいっさいしたことがない、と。そんなものかなと当時の私は思い、二、三度まねしたことがあるのだが、このやり方は読者には絶対にお勧めできない。よくよく考えれば、くだんのインタビュー集の著者は、相手が有名スターばかりだったからこそ、その手法でも通用したのだった。ようするに手持ちの情報がすでに相当あったわけで、私がこれから述べようとしているノンフィクションの取材とは性質を異にするものだったのである。(2003/06/17) ノンフィクションを書く 第4回 テーマの決め方(3) 私にも、ほろにがい経験がある。学生時代、自分でもルポが書きたくなり、ある労働災害を取り上げてみようと思った。そこで、労災に取り組んでいる労働組合の事務所に行き、資料を山ほど借りてコピーしたまではよかったのだが、それを読み進めるうちに、到底自分などの手に余ると怖じ気づいてしまったのである。私は、親切に応対してくれた労組の担当者に、自分が力不足である旨を記した詫び状を送ったものだった。(2003/06/02) ノンフィクションを書く 第3回 テーマの決め方(2) これを書かなければ、死んでも死にきれない。これを書きさえすれば、死んでもかまわない。そういう切実なテーマがある人は、幸せである。だが、そんな人は、ごくごく少数ではないか。漠然と書きたいことはあるけれど、どこから取り掛かっていいのかわからないという読者が大半ではなかろうか。私も、かつてはそうだった。なかには、ノンフィクションを書いてみたいけれど、何を書けばよいのか見当がつかないという読者もいるかもしれない。(2003/05/17) ノンフィクションを書く 第2回 テーマの決め方(1) いざ何かを書こうと思い立っても、すべてのテーマはすでに書き尽くされているように見えるかもしれないが、決してそうではない。完全に独創的なテーマなど、めったにありはしないものだ。また、それを追い求めようとすると、自縄自縛に陥って取材も何もできなくなるおそれがある。だから、「チャップリンのステッキ」にあたるものを「自分なりに」見出せばよい。(2003/05/03) ノンフィクションを書く 第1回 はじめに 私が学生だった四半世紀ほど前には、現役のノンフィクションライターやジャーナリストが書いた取材論やノンフィクション論、ルポルタージュ論が、いまよりはずっと多かったような気がする。この講座では、私がこれまで読んできた取材論、ノンフィクション論なども積極的に紹介していきたい。すでに絶版となった本が大半だが、今回の講座の中でそのエッセンスだけでも“復刻”できればと考えている。(2003/04/16) |
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