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橋本勝21世紀風刺絵日記


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Special

特集

山は泣いている




<最終回>大自然の逆襲 焼岳、伯耆大山に見る堰堤工事の無意味さ 山川陽一
  「何かおかしいゾ」と思われることが、しばしば大手を振ってまかり通っている。国や自治体のお墨付きでやっていることだから間違いは無いだろう、そう思って見過ごしてきたことが、実は大きな過ちを犯していることもある。難しい専門知識はなくても、経験則に照らして納得できないものや、素人の素朴な疑問に明快な答えが得られないものは、そこに何か問題が潜んでいると思ってまちがいないだろう。戦後60数年の間に、日本全土の川という川を覆いつくししまった砂防堰堤やダム湖について検証してみよう。(2008/11/24)


47・車社会の山歩き 自動車の魔力と人間の心理の葛藤 山川陽一
  「霧島山の韓国岳(からくにだけ)とその隣の獅子戸という山に登った。正直言えばこの山も、歩く道は残されているとはいえ、有料観光道路が、どうも私には未だになじめないセロテープみたいに、あっちこっちに伸びていて山の姿を見るのには都合の悪い部分がある。もっとも私にしても、そういう道路を利用させてもらって、短時間に山を見てくる場合もないわけではないので、あんまりわるぐちをいいすぎることは謹んでおかねばならない」。引用が少し長くなったが、これは串田孫一さんのエッセイ「山のパンセ」の中にでてくる一節である。(2008/11/08)


46・眺望の百名山へ ブーム去り、新しい山行きの楽しさを 山川陽一
  さしもの百名山ブームも翳りが見え始めて、最近は、すこし山に落ち着きが戻ってきた。尾瀬に例をとると、ピーク時の1996年度(平成8年度)には65万人を数えた入山者が、2005年度(平成17年度)は32万に半減した。尾瀬ほどではないにしても、他の有名山岳領域についても漸減傾向にあるようだ。どうやら異常なブーム現象は過ぎ去ったと考えてもよさそうである。しかし、人間の側からではなく、自然の側に立って考えてみると、ほんの少しばかり翳りが見えた程度ではまったく不本意であろう。(2008/10/27)


45・入山料徴収は是か非か 米国やカナダなどの山は無料無規制でない 山川陽一
  登山という行為は国民の当然の権利であって、入山規制や入山料の徴収は国民の権利の侵害であると主張する人たちがいる。山のトイレなども、チップ制までは許せるが有料化はダメだという。果たしてその論理は真っ当なものだろうか。アメリカやカナダ、ニュージーランドなどの国でトレッキングを楽しんだ方なら誰でも知っているが、日本のように無料無規制のところはほとんど無い。国情もシステムもそれぞれ違うが、日本と比較すれば、けた違いに人口密度の低い国々が、一生懸命入山をコントロールしている。(2008/10/18)


44・窮屈な世の中 環境維持のルールやマナーは必要だが… 山川陽一
  「俺の若い頃は…」ということばをわたしは好まない。自分の過ごしてきた過去を上位において、現代の世相や若者を批判しても、いまや過去形でしかものが言えなくなってしまった自分を浮き彫りにするだけだ。わたし自身が若かった頃を考えてみても、同じことを年長者に言われて大いに反感を覚えたものである。そうは言っても、自然環境の問題に限って考えてみると、どうも話が逆転する。過去の状態の方が明確に上位である。(2008/10/11)


43・若者は何処へ 山岳団体はいずこも同じ悩み 山川陽一
  過日友人に誘われて山岳映画の夕べに参加したときのことである。開館前の会場の周りを取り囲んだ長蛇の列を眺めてびっくりしたことがある。中高年の人たちが多いというよりも、列の中に若者の姿が全く見当たらないのだ。自分たちが若かった頃の記憶では、この種の催しに集まる人たちの大半は若者だった。わたしの所属している日本山岳会でも、ここ数年、毎年1歳ずつ平均年齢が上がって、いまやなんと64歳である。(2008/10/04)


42・「百名山」指向に水を差す 山にとっての幸せを再考のとき 山川陽一
  こんなブームになる前から百名山を目指す登山者はいた。概ねその人たちは深田久弥の名著「日本百名山」を読んで感銘を受けたのがきっかけになっている。登山にはいろいろな登り方がある。その中のひとつに百名山を目指すような登り方があってもいいと思う。人間は目標をもって行動する動物であるから、登山愛好家たちにとって格好な目標が深田百名山だったことはうなずける話である。ただ、今日の百名山ブームを演出したのは深田久弥自身ではなく、「日本百名山」の著書そのものでもない。(2008/09/25)


41・何かがおかしい 前衛峰をいかに越えるか抜きの環境論議 山川陽一
  世の中が様変わりである。誰もが、いまや、環境問題に背を向けて世渡りが出来なくなった。そういう意味では、自然保護活動に携わるわれわれにとって、やりやすい世の中になった。日本山岳会が「世界一高い山に登りにいくのでご寄付をいただきたい」と申し出ても誰も支援してくれないが、「私は世界と日本の一番高い山でゴミ拾いに取り組んでいます」と言えば、こぞってお金を出してくれる企業や財団がでてくる時代になった。(2008/09/18)


40・世界遺産の価値 白神山地や屋久島、知床を「掃きだめの鶴」にしてはならない 山川陽一
  富士山は良い意味でも悪い意味でも日本の象徴である。日本人の心に宿る美しい山。日本人なら一生に一度は登ってみたいと思い、また、日本を訪れる外国人の憧れの山でもある。他方、富士山は、昔から「一度登らぬ馬鹿二度登る馬鹿」などと揶揄され、近年では「第二の富士山にしないように」などと言われて環境破壊の代名詞として引き合いに出されるのも、否定できない事実だろう。わたしも、会社の現役時代、外国のお客さんから富士山に連れて行ってほしいと頼まれることがあり、さてどうしたものかと悩んだものである。(2008/09/10)


39・映画「不都合な真実」が教えるもの 日本の首相、環境相は必見 山川陽一
  2000年、アメリカ国民は誤った選択をした。なぜブッシュだったのか。ゴアが地球温暖化問題を意識し始めたのは1960年代後半のことだった。多分漠然とであるが、ぼくが地球環境の問題に興味を抱き始めたのもその頃であったと思う。以来40年、彼もぼくも、日々環境破壊に拍車がかかる地球の現状を目の当たりにしながら、危機感を深めて行った。しかしぼくは「不都合な真実」なる映画の存在を知らなかったし、実は、ゴアがそれほどの深い知識を持った地球環境問題の伝道者であることも知らなかった。(2008/09/03)


38・高度文明の行き着く先 クールビズで人類破滅は救えない 山川陽一
  過去、人間は、地球の資源は無限であるという大前提の下に社会システムを構築してきた。しかし、近年の科学技術の長足の進歩と、それに伴う経済成長、世界人口の爆発的増加は、森林資源の急減と地下資源の枯渇をもたらし、地球資源が有限であることを浮き彫りにした。森林資源について考えてみると、世界の原生林の80%がこの30年の間に伐採されて消えていった。これを復元するには千年の年月を要する。(2008/08/26)


37・開発しない価値 山形県八幡町が開発推進派から自然保護派に転じた理由 山川陽一
  1984年、鳥海山南麓の山形県八幡町に、大規模スキー場の開発計画が持ち上がっていた。最終的にはゴルフ場とホテルも併設するこの計画は、(株)コクドが開発の主体となるもので、八幡町はこれを町発展の起爆剤と考え、強力に推進を図ろうとしていた。ときまさにバブル経済最盛期のことであった。この計画を知った地元自然保護団体(鳥海山の自然を守る会代表池田昭二)は早々に反対運動を始めていたが、91年には日本山岳会自然保護委員会も町に計画反対の要望書を提出、その後、絶滅危惧種である特別天然記念物イヌワシの存在が確認された。(2008/08/19)


36・失って気づく開発の代償の大きさ 多摩ニュータウン30年の暮らし 山川陽一
  30数年前わたしたち家族が都心から多摩に移り住んできた当時は、丁度多摩ニュータウンの建設が一段落した時期で、街は若い家族で活気に満ちていた。丘陵を切り崩して短期間に出現したこの20万都市は、当時の村長を、一代で町長から市長へと押し上げて話題になった。その後も、商業施設、公共文化施設、ビジネスビル、マンションなどが次々と建設され、鉄道やモノレールの敷設、大学の移設、ホテルやデパート、大規模ショッピングセンターなどの開発が続いて、東京のベットタウンから優れた利便性を備えた近代都市へと変貌して行ったのだが、その代償として失われたものの大きさも計り知れないものがある。(2008/08/12)


35・企業と環境 1パーセントクラブ運動を本物に育てたい 山川陽一
  米国にパーセントクラブというものがあるのを知ったのは、30年も前のことだった。米国では多くの企業が1パーセントクラブとか3パーセントクラブに入って率先して社会貢献活動をしている! それはとても新鮮で、強くわたしの胸を打ったのだった。その後、経団連が欧米に調査団を派遣して、企業の社会的責任のシンボルとして日本にも1パーセントクラブが誕生した。しかし、趣旨に賛同してクラブの仲間入りをし、利益や付加価値の一定額を社会貢献活動に使うことを決めても、少し景気が悪化して業績が低下したり、社長が変わったりしたのがきっかけになって、いつの間にか立ち消えになったりする企業も多く、なかなか本物にはならなかった。(2008/08/05)


34・東京郊外の山中に自生のシュロが… 実感する地球温暖化 山川陽一
  気温が25度Cを超えると夏日、30度Cを越えると真夏日、35度Cを超えると猛暑日と呼ぶ。つい2,30年前くらいまでは、猛暑日などという分類の必要性は想像できなかったのだが、いまや東京で37‐38度Cの日も珍しいことではなく、誰も驚かなくなった。2004年7月には東京で39・5度Cを記録している。最近東京近郊の山の中に分け入ると、シュロの幼木が目に付く。庭木としてのシュロ以外は、自生のシュロは南の地方のものであるはずなのに、どうしたことだろう。(2008/07/28)


33・トンボ池の憂鬱 伊那市で見たハッチョウトンボの生息地 山川陽一
  6月末、伊那市で開かれた「自然エネルギーを考えるシンポジウム」に出席した翌日、地元の方に、「もし時間の余裕があったら、近くにハッチョウトンボの生息地があるので行ってみませんか」と誘われ、新山(にいやま)の「トンボの楽園」へ案内してもらった。ハッチョウトンボは体長がわずか2センチほどの日本最小のトンボである。最初はいくら探しても見当たらず、どこにいるのかなと目を凝らしてみると、池の中に繁茂した草の葉にとまって、確かに、本当に小さな、けれども、まさしく立派な赤とんぼが羽根を休めているではないか。(2008/07/14)


32・機能置換の発想はないか 本質無視のプラスアルファ思考が横行 山川陽一
  わたしたちは、しばしば、真の本質がどこにあるかを深く考えず、本質を論じているような錯覚に陥っている。風力発電の議論もそうであった。「クリーンで資源的にも枯渇することのない新エネルギーなのだから基本的に推進に異論はない。ただし、その建設に伴って自然環境を破壊することになれば本末転倒である」。これだけ聞いていると、物の本質を踏まえた健全な議論が交わされているように思える。私自身も声を大にしてそう主張してきた。(2008/06/30)


31・風力発電を考える 森林破壊への配慮が課題─伊那市の場合 山川陽一
  中央高速道を伊那インターで降りると、三峰川(みぶがわ)の流れを隔てて鹿嶺高原(かれいこうげん)が大きな裾を引いて横たわり、その奥に入笠山が遠望できる。入笠山の山頂に立てば、南アルプス、八ヶ岳、富士山の大展望が拡がる。一昨年、この入笠山、鹿嶺高原一帯に、高さ100メートル、発電能力1000KW/Hの巨大風車60基が立ち並ぶ風力発電基地の建設計画が持ち上がった。この風車を立てるのに、1基あたり10トン積みダンプ720台分もの掘削残土が出るという。(2008/06/23)


30・尾瀬はなぜ残ったか 明治以来、開発反対を貫いた長蔵小屋の平野一家 山川陽一
  わたしの山の写真はなぜか尾瀬と上高地に偏在している。それだけ多く足を運んでいる証左なのだが、ただそれだけが理由ではない。いま改めて考えてみると、尾瀬や上高地には、人を魅了し感動させるに十分な質の高い素材がふんだんに存在しているということなのだろう。いい素材に出会ったとき、わたしはその感動を形に残したい一心でシャッターを押す。(2008/06/16)


29・自然度と感激度の関係 日本山岳会が登山の楽しさの原点を問い直す試み 山川陽一
  いまの日本に秘境と呼ばれる場所はほとんど存在しないだろう。道なき道を分け入り、ようやくたどり着いた頂で涙して感激に浸るような山行は、求めてもかなわない時代になってしまった。その代わり、名の知れた山の大半は、至近距離まで山岳道路や林道やロープウエーなどが通っていて、そこからは誰でも容易に整備された登山道を歩いて山頂に達することが出来る。いつの日からか、山小屋で冷えたビールでのどを潤すのが登山者たちの習慣になってしまった。重い思いをして水や食料を担いで行かなくても、それもお金が解決してくれる。(2008/05/05)


28・先手必勝─過去の自然保護運動の反省 山川陽一
  勝負の世界では、いかに先手を取るかが重要である。いったん大きな流れができてしまったものをひっくり返すことは並大抵ではない。すでに大勢が決しまっては、手の打ちようもない。時に、起死回生の一手、逆転満塁ホームランなどということもあるが、大半は、労多くして結果がついてこない。過去多くの自然保護の運動を見て感じるのは、推進側ですでに一定の構図が出来上がってしまってから、反対の名乗りを上げて紛糾しているケースがあまりに多いということである。(2008/04/28)


27・登山道の三要素──リズム、山の道、環境との調和 山川陽一
  リズム、水の道、環境との調和。わたしはこの三つが、登山道を考える三大要素であると思っている。山歩きで疲れない秘訣は、一定の歩幅でリズムよく歩くこと。人それぞれ体力も違うし、足の長さも違う。そのとき背負っている荷物の重量も違うので、ひとくちにリズムと言っても、百人百様のリズムということになるが、とにかく自分のリズムで歩くことが疲れないコツである。登山道は、そんな百様のリズムに対応できる構造になっているといいのだが、大きな問題は階段である。(2008/04/20)


26・日本山岳会が「山の環境ネットワーク」を立ち上げ 山川陽一
  ゴミ、トイレ、高山植物の盗掘や踏み荒らし、登山道の荒廃・・・。登山者、入山者に起因する山の環境問題が社会問題化している。入山のアクセスが良くなり、有名山に大挙して登山者や観光客が押し寄せることによって引き起こされる環境破壊はすさまじいものがある。大半の登山者は、まさか自らが環境破壊の片棒を担いでいるとは考えてもみないのだが、時に自分のついたストックの穴ひとつが高山植物を傷つけ、自分の踏みあとひとつが登山道の荒廃につながっているのだということも自覚する必要がある。(2008/04/13)


25・カムチャツカにて 日本の1・3倍の土地の9割が自然保護区 山川陽一
  小さな日本に閉じこもっていると、発想も小さくなってしまう気がする。本当は、地球規模の大きな観点で考えなければならない問題なのに、身の回りの小さな事象だけに目が向いてしまう。時に、海外に飛び出して、その中に身をおいて、そこから日本を見つめ、地球環境全体に思いを馳せることが必要である。その昔、2万年前の最終氷河期、陸地に蓄えられた水分によって海面は現在よりはるかに低かった時代、日本列島はユーラシア大陸から延びる大きな半島の一部であったと言われる。当然、当事のカムチャツカ半島は、千島列島を経て北海道と陸続きであったはずである。(2008/04/06)


24・ニュージーランド紀行(下) 人口360万人の国が自然を大事にする理由 山川陽一
  ニュージーランドには3千メートルを越す山が27座ありそのすべてがサザンアルプスに集中している。その中の最高峰がマウントクック(3753メートル)である。富士山よりわずかに低いこの山は、周囲の鋭峰群の中でもひときわ高く、岩と氷に覆われ、長大な氷河を従えて鋭角なピークを天に突き上げている。ニュージーランドを訪れる大多数の観光客は、人口わずか300人のマウントクック村を訪れ、有名なハミテージホテルに宿泊して天を仰ぐ。(2008/03/23)


23・ニュージーランド紀行(中) 森全体がみずみずしく呼吸している 山川陽一
  1年200日は雨が降ると言われるフィヨルドランド国立公園やマウントクック国立公園。その降雨日数と雨量の多さ故に高山は万年雪をいただき、長大な氷河が発達し、しっとりとコケとシダに覆われた豊かなブナの森を育てる。フィヨルドランド国立公園は、その姿を永遠に保存すべき対象として世界遺産に指定されている。この国立公園は、世界でもっとも広い国立公園のひとつといわれているが、地図を広げると国立公園の境界線をかすめるように国道が一本通っていて、そのほかの自動車道といえば、トレッキングトレールへ通じるただの2本が見られるだけだ。(2008/03/16)


22・ニュージーランド紀行(上) 手付かずの自然に魅せられて 山川陽一
  豊かな水に育まれた深い森、氷河を従えた雪と岩の頂、美しい流れと湖水、光り輝く海、内陸に深く入りこんだフィヨルドの世界。ニュージーランドは自然をこよなく愛する者達にとって、一度は訪れてみたい垂涎の地である。登山の世界に思いを馳せると、エベレストの初登頂に成功して英国女王からサーの称号を与えられたかの有名なエドマンド・ヒラリーもニュージーランド国籍の人だし、ニュージーランド南島のサザンアルプスで技術と精神を磨いて世界に飛び立っていった有名なアルピニストは枚挙に暇がない。(2008/03/08)


21・本当の自然保護とは何か チベットで学んだこと 山川陽一
  2004年夏に上高地で行なわれた日本山岳会自然保護全国集会に、江本嘉伸さんをお招きしオープニングの話をしてもらった。江本さんは元読売新聞の記者で、現在は山岳ジャーナリストとして活躍されており、チベットやモンゴルの研究者としても知られている。いわゆる行儀のいい模範生的環境論に慣れているわれわれにとって、時代の反逆児らしい彼一流の論理と鋭い視点は妙に説得力があり、新鮮だった。江本さんの素晴しいところは、単に取材者としての知識で話しているのではなく、自らの深い体験がベースになっていることである。(2008/02/24)


20・中央の論理と地方の感情 乗鞍岳の乗用車乗り入れ規制問題 山川陽一
  「地方の時代へ」と言われて久しい。近年のコンピュータと通信の発達が距離のハンデをリセットして、いよいよ地方の時代到来かと思われたのだが、思惑とは裏腹に、ますます東京へ一極集中が止まらない。遷都だとか、道州制の導入だとか、地方強化の方策がいろいろ検討されているが、いまいち、誰もそれが近未来に現実のものになると思っていない。(2008/02/10)


19・自然と人間の暮らし やっかいだが永遠の課題を考えるフォーラム 山川陽一
  「自然と人間の暮らしを考える」フォーラムインを標榜して、全国各地で開催されてきたフォーラムインの集会が、勝沼・八ヶ岳の20周年記念集会を機に幕を閉じた。この集まりは、わたしたち日本山岳会の自然保護委員の仲間である蜂谷緑さんが主宰して20年前に始まった。毎年1回、日本各地の山麓の村落や町を主会場にして、その地にかかわりのある歴史や文化を語り、自然保護を論じ、音楽や演劇を鑑賞し、そしてゆかりの山や森で遊ぶ。単なる山登りの集まりでもないし、単なる音楽会や演劇のイベントでもない。大上段に自然保護を振りかざしたシンポジウムでもない。(2008/02/02)


18・衰退する山の文学 珠玉の文章を生み出す山の魅力が失われ 山川陽一
  「山のパンセ」などの著作で知られる串田孫一さんが亡くなられたのは2005年のことである。串田さんは、哲学者、詩人、登山家、エッセイスト、大学教授など、多彩な顔を持っていた。かつて串田さんの周りには、尾崎喜八、山口耀久、三宅修、辻まこと、畦地梅太郎など、山岳雑誌「アルプ」を舞台に、山の随筆や詩、紀行文などを発表していた多くの人たちがいた。まだ健在の方もいらっしゃるが、回顧的なものを除いては、最近は、もうこのひとたちの新しい山の文章に触れることはなくなってしまった。(2008/01/26)


17・毛勝三山縦走記 名山から外れた「不遇な山」こそ自然には幸運 山川陽一
  生涯のうちにどうしても登らなければならないと心にきめている山がある。わたしにとってそんな山のひとつが毛勝三山であった。わたしが最初にこの山をまじかに見たのは、学生時代、雪の剣岳早月尾根を登ったときである。なんの変哲もないこの地味な山塊が、なぜか心から離れなくなってしまったのだが、わたしの山仲間達の間でも気にかかる山として評価が高いことを考え併せると、毛勝山には何かしら登山家達の心を引き付ける魔力が宿っているのだろうか。(2008/01/19)


16・ニセコ、新宿、池袋 若者は銀世界からネオンの海へ 山川陽一
  またニセコにやってきた。学生時代の山仲間のひとりI君が経営するニセコのログビレッジに、1年1回同期のメンバーが集まって数日を過ごすのがここ数年の慣わしになっている。50歳台も半ばにさしかかる頃から、さしもの企業戦士も皆さん少々お疲れのご様子で、鮭が母川に帰ってくるがごとく、何かと理由をつけては母なる山岳フィールドに回帰しだしたのが数年前だったが、そのメンバーも全員が大台を越える歳になった。(2008/01/12)


15・もうひとつの山 会社の仕事への挑戦を支えてくれた山の体験 山川陽一
  人には色々な生き方があるが、およそ「大過なく勤めあげた」などということばが当てはまらない自分の会社時代であった。振り返ってみると、その大半は、今まで誰も手がけたことのない命題への挑戦だった。ひとつの山を越えると、また次の山が、まるで待ち構えていたかのようにその奥に聳え立っていた。自分にとって、そんな山に登り続けていることが、性に合っており、生きがいでもあった。(2007/12/30)


14・憧憬の山稜─朝日岳から日本海へ 花々咲き乱れる夢の楽園を逍遥 山川陽一
  北アルプスの白馬岳と小蓮華岳の中間点の三国境から北に派生している雪倉岳、朝日岳に続く稜線一帯は、長い間気になる山域としてわたしの中に存在していた。1971年サワガニ山岳会が日本海の親不知からこの山域に続く尾根に栂海(つがみ)新道をつけてくれたことを知り、わたしの思いは更につのっていった。積年の夢の実現へ、学生時代の山仲間3人でこの山域に出かけることになったのは、2006年夏も終わりの8月27日であった。(2007/12/23)


13・人それぞれの「山」 視覚障害者とのすがすがしい平ケ岳山行 山川陽一
  未踏の山 原生の山 たおやかな山 新緑の山 花の山 紅葉の山 雪山 スキーで行く山 鍛錬の山 仲間と行く山 ひとりで歩く山 静寂の山 思索する山…。同じ山、同じ頂上でも、夏もあれば冬もある。一般登山道もあれば、岩壁の直登ルートもある。山について考えるとき、山国の人たちの生活と文化も忘れることはできない。「山」という対象物のどの側面に価値を見つけるかは、ひとそれぞれの価値観に基づくもので、そこに普遍的規準があるわけではない。ここでわたし自身の「山」について少し話そう。(2007/12/15)


12・林業に未来はあるか 明暗分ける大分県日田郡と高知県の馬路村 山川陽一
  大分県日田郡。2002年サッカーワールドカップのときカメルーンの合宿地として一躍有名になったあの中津江村がある場所と言えば、「あ、そうか」とうなずく方も多いだろう。ここは、九州のヘソのようなところに位置する山奥で、原木の取扱量が日本一のスギの産地である。2006年の春、森林ボランティアの仲間とそんな日田林業を訪ねて、山を案内してもらい、製材所を見学し、森林組合の組合長のお話を聞いた。(2007/12/09)


11・異国の地での外来種は厄介者 生態系のバランスを崩すおそれ 山川陽一
  「あ!ここにこんな木が…」緑に覆われている夏や、葉をすっかり落とした冬場には目につかなかったのに、春、花が咲く時期になってはじめて気がつくことが良くある。6月中旬、白神の森林ボランティア作業に参加するため高速バスで盛岡から弘前へ向かう道中、車窓を流れる風景は、濃い緑のスギの植林地の中に、白い花をいっぱいにつけた広葉樹の明るい林がパッチ状に張り付いた山なみが続いて、見事な針広混交樹林帯を形成していた。(2007/12/01)


10・白神にブナ森を戻そう 再生事業の成果を示す幼木に感激 山川陽一
  朝、家を出るときから雨模様のどんよりした曇り空である。予報も南から北まで全部雨マーク。大宮からの新幹線に乗り込んでしばらくすると、案の定、車窓を銀糸が音を立てて走り始めた。それなのに、まるで恋人に逢いにでも行くように、心が弾んでいるのはなぜだろう。もともと梅雨時期に雨を承知で出かけていくのだから、失望することはさらさらないのだが、それにしてもハイな気持ちになっている。普通の山行きだったら、残念さが先に立つのに、今年もあのみずみずしいブナたちに逢えるという喜びが、私の心を明るくしてくれているのだ。(2007/11/24)


9・なぜ漁民が広葉樹の森づくりに立ち上がったのか 山川陽一
  「漁民は山を見ていた。海から真剣に山を見ていた。海から見える山は、漁民にとって命であった。」気仙沼の牡蠣養殖の漁師畠山重篤さんの書いた『森は海の恋人』はこんな書き出しで始まっている。海の環境を守るには海に注ぐ川、そして上流の森を大切にしなければならないことに気づき、1989年より気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山に漁民による広葉樹の森づくりを開始する。その運動はやがて山村の人たちの心を動かし、山と海の民が一体になった活動に発展していく。(2007/11/17)


8・山に恩返しをしたい 広がる山男たちの森林ボランティア活動 山川陽一
  最近の日本山岳会は山に登るだけの集まりではない。熱心に森づくりのボランティア活動に取り組んでいる。いつも山から恩恵を受けるだけでなく、少しは山に恩返しができればという気持ちが山男たちの心を動かすのだろうか。一日山に入って仲間と一緒にいい汗を流したあと、少しばかり自分も社会貢献できたという充実感に浸りながら飲むビールの味は格別である。(2007/11/10)


7・がんばれ!北山の森 持続可能な新しい山仕事のビジネスモデルを模索 山川陽一
  安曇野に在住しているGさんの紹介で、わたしが東京の森づくりの会の仲間と北山の森を訪ねたのは3年前の新緑の頃だった。広葉樹と針葉樹が混生しているこの美しい森は、わたしたちがこれから目指そうとしている森の方向を示すものとして、これ以上ない教材であった。以来この森が気に入って、冬になると、わたしはGさんご夫妻を誘って、3年前森を案内してくれたIさんをガイドに頼んでスノーシューハイクを楽しむようになった。(2007/11/01)


6・日本の民度を示す山と都会のゴミ 山川陽一
  山歩きをして思うのだが、ひところに比べると随分山がきれいになった。地元の人たちやボランティア団体などの人がゴミ拾いを一生懸命やってくれることや、登山者にゴミ持ち帰りの習慣が定着してきたことの相乗効果だろう。きれいになると捨てにくくなるという心理的側面も侮れない。しかし、残念なことに、登山道脇の草むらや藪の中をよく見ると、まだまだ結構人目につかないように捨てられているゴミが目に付く。罪悪感を持ちながらも人目のないところではついやってしまうのが人間の弱さというものなのだろうか。(2007/10/20)


5・山のトイレ事情──富士山とチベット 山川陽一
  山のトイレ問題がクローズアップされて久しい。数年前、富士山を世界自然遺産に申請しようという動きが起きたとき、山小屋がシーズンオフに排泄物を放出した際のペーパーが裾野まで尾を引いて残留し、それを人々が富士の羽衣と称しているという写真入の記事が新聞にでて有名になった。さすがに、今は富士山も地元や環境省の努力で随分と改善されたが、大勢の登山者で溢れかえる夏山のハイシーズンには、まだなかなか快適なトイレ事情というわけにはいかない。富士山に限らず、全国の有名な山では必ずトイレ問題が勃発していて、地元はその対策に苦慮している。(2007/10/13)


4・植生を傷つけるストックの使用を見直そう 山川陽一
  ストックが山の自然を破壊するという議論がある。確かに、山道を歩いていて、道の両サイドの植生を傷つける形で蜂の巣のように無数のストックをついた穴が開いているのを見ると、これはひどいなあと思う。たかがストックと思ってもみるが、神社の石段でさえ長年の参詣者によって磨耗してしまうのだから、大量の登山者が両ストックをついて歩く蓄積量は大変なものである。しかし、よく考えてみると、それだけの理由で登山者に「ストックを使わないように!」と声を大にして叫ぶのは、いささか短絡に過ぎるような気がする。その前に、なぜこんなに沢山の穴が開いちゃうのかを考えてみると、それは人気の山に登山者が集中しすぎるからなのだ。(2007/10/06)


3・軽井沢からサクラソウが消えていく 山川陽一
  2006年春、友人と軽井沢にサクラソウの群生地を訪ねたときのことである。「以前、軽井沢では、サクラソウはどこでも見ることができるありきたりの野の花だったのですが、今では、ゴルフ場や別荘地の開発でみんな消えてしまい、特定の場所にしか見ることができない貴重な植物になってしまいました。踏み荒らしや盗掘の対象になるので、積極的に自生地を紹介するのも気が進まないのです。」そんな話をしながら、群生地に案内してくれたのは、自生のサクラソウの保存に努力している軽井沢サクラソウ会議の女性だった。(2007/09/27)


2・わたしの自然観を変えたニュージーランド 山川陽一
  ニュージーランドは、南半球に浮かぶ島国で、北島と南島から成り、南北に伸びる国土は日本の約70%で、人口はわずかに360万人、日本の35分の1に過ぎない。そのうち北島のオークランドや南島の中心都市クライストチャーチなど一握りの都市を除いては、ヒツジしかいない広大な放牧地と豊かな原生林と山岳地帯からなる手付かずの大地が広がっている。わたしがニュージーランドのトレッキングを楽しんだのは1998年1月のことだったから、あれからもう8年の歳月が流れた。しかし、この一度だけのニュージーランドでの体験は、わたしの自然観を大きく変えるものであった。(2007/09/17)


1・上高地にみる自然と人工 山川陽一
  日本は、四囲を青い海に囲まれ、内陸の70%が緑の山や森に覆われています。そんな恵まれた自然環境の中に生まれ育ってきたわたしたち日本人が、なぜ自分たちの大事な財産を粗末にしてしまうのでしょうか。長年山歩きをしてきて、あの美しい山や峪がつぎつぎに壊されていく現実を目の当たりにしながら、今まで外部に向けて積極的に発言してこなかった自分が情けなかった。遅まきながら小さな一石を投じよう、小さな一石が波紋を広げて世の中を変えるきっかけになるかもしれない、自省から出発した思いが強くわたしを突き動かしました。(2007/09/10)








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