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特集やさしい仏教経済学(41・完)変革は「四苦八苦」を克服できるのか 安原和雄 仏教経済学(思想)は政治・経済・社会さらに人間自身の生き方の変革をめざしている。なぜなら現世は地獄さながらの様相を呈しているからである。そういう現世の変革を意図しない社会科学とりわけ経済学は存在理由がないといっても過言ではないだろう。だからこそ現世の変革を説くところに仏教経済学の存在価値があるといえるが、難問は、変革によって現世の生老病死などの「四苦八苦」を克服できるのか、である。(2011/04/23) (40)世界に誇れる「愛国心」を育むとき 安原和雄 仏教経済学(思想)は愛国心をどう考えるのか、と聞かれれば、「愛国心は大切」と答えたい。ただし新しい愛国心は、かつて無謀な戦争に協力して国を亡ぼし、今また保守勢力が折に触れ、復活を策している古い愛国心とは異質である。亡国へ誘う愛国心の復活を許容するわけにはいかない。むしろ地球規模で反戦=平和を念願する世界の民族、市民から日本国や日本人が高く評価されるに値する愛国心でなければ、21世紀の愛国心としてふさわしいとはいえない。(2011/04/17) (39)日米同盟の呪縛から自由になる日 安原和雄 「安保(あんぽ)」と聞いて、どういうイメージを思い浮かべるだろうか。「トモダチ作戦」、すなわち在日米軍と自衛隊による大災害復旧協力作戦としか認識できないのでは安保(=日米安保体制)の素顔は見えてこない。日米安保体制は、軍事同盟と経済同盟からなる日米同盟であり、日本国平和憲法本来の戦争放棄・非武装や生存権・幸福権確保の理念と正面から矛盾している。だから 平和憲法本来の理念を生かし、実現していくためには日米安保=日米同盟の解体を視野に入れる必要がある。(2011/04/11) (38)宮沢賢治の詩情と地球救援隊構想 安原和雄 東日本大震災(2011年3月11日発生)は天災(地震・大津波)と人災(原子力発電事故・大量放射性物質の飛散)による戦後未曾有の複合的な大惨事をもたらしている。大規模な救援・復興活動のなかで地味ながら貢献しているのが自衛隊である。大地震に限らず、地球温暖化に伴う異常気象のほか、疾病、飢餓など地球規模の支援策を求められる脅威が今後強まることは避けられない。この多様な脅威には軍事力は無力であるだけではなく、有害でさえある。この機会に自衛隊を全面改組して、「地球救援隊」(仮称)創設へと進むことを提唱したい。(2011/04/01) (37)平和思想の先覚者、安藤昌益に学ぶ 安原和雄 安藤昌益は若い頃、禅寺で修行した経験があるとも伝えられるが、その昌益が罵倒に近い表現で、釈迦や仏教を批判している。にもかかわらず昌益の思想と仏教経済学との接点は少なくないと考える。それはエコロジー、男女対等論、反金銭観、非武装平和論 ― などで、いずれも21世紀に継承発展させるに値する昌益思想である。なかでも江戸時代に非武装平和論を唱えて、平和思想の先覚者としての地位を築いた昌益に着目したい。(2011/03/26) (36)ディーセントワーク実現をめざして 安原和雄 労働の望ましいあり方としてディーセントワーク(Decent Work)が話題になっている。日本語訳では「働きがいのある人間らしい仕事」を意味している。これは国連国際労働機関(ILO)が1999年世界のすべての労働者にその実現を呼びかけたもので、それ以来大きな関心が広がっている。「働く者が主役」という視点を重視する仏教経済学としては、このディーセントワークを支持したい。グローバル化を旗印に掲げて、働く者を軽視し、利益追求に執着する市場原理主義(=新自由主義)は、ディーセントワークそのものに反する。(2011/03/19) (35)破壊型くるま社会から脱出する道 安原和雄 車(くるま)社会をどう変えていくかは、避けて通れない大きな課題となってきた。車社会は、毎年多数の事故犠牲者を出し、人命破壊型であるだけではない。鉄道やバスに比べると、大量の排出ガスによる地球環境の汚染・破壊型でもある。破壊型くるま社会から脱出する道はあるのか。その道はマイカー(自家用乗用車)中心から鉄道、バスなど公共交通中心への交通体系の構造転換である。(2011/03/08) (34)健康な人をめざす高齢社会の設計 安原和雄 健康とは何だろうか。一口には答えを出しにくい難問である。この世に生を享(う)けたからには健やかな人生を全うしたいと誰しも願うにちがいない。しかし思いのままにはならないのが現世の切なさ、もどかしさでもある。健康観も時代の推移とともに変化をつづけてきた。21世紀版健康とは何かと自問してみれば、ただの長寿では十分な答えにはならない。価値ある生き方、とでも言えるだろうか。その生き方も多様で、「知足とシンプルライフ」の実践もあれば、「変革を志すのが健康な人」というイメージも浮かび上がってくる。(2011/03/01) (33)地産地消型自然エネルギーへ転換を 安原和雄 持続的発展を軸とする循環型社会づくりの決め手となるのが、エネルギーのグリーン化、すなわち現在の石油・石炭・天然ガス・原子力発電依存型から自然エネルギー活用型への転換である。これら再生不能エネルギーを抑えて、低環境負荷型の再生可能、つまり無限の利用を期待できる自然エネルギー(太陽光、風力、バイオマス、水力、地熱、潮汐力、波力など)へと重点を移していく必要がある。これは地域が主役となる「地産地消型」自然エネルギーへの転換を意味する。その現状と将来図を考える。(2011/02/18) (32)食料安全保障とTPPと自給率向上 安原和雄 日本はいのちを育てる農業をおろそかにし、いのちを削る工業をたくましく成長させてきた。外国産の食べものが安いのであれば、輸入すればいいという新自由主義的発想も背景にある。その結果、食料自給率は現在4割まで低下し、6割を海外に依存するという異常な先進国は日本だけである。最近話題になっている世界各地での食料の不足・価格騰貴を考えると、大半の食料の海外依存は食料安全保障上も危険である。菅民主党政権になって突如、関税ゼロを原則とするTPP問題が持ち上がった。(2011/02/10) (31)企業の社会的責任とお布施型経営 安原和雄 企業の人減らし、賃下げはもはや珍しくない風景となった。企業の社会的責任が問われるようになって久しいが、これではその社会的責任を放棄するに等しい。現代経済学で言う「合成の誤謬」説によれば、企業にとって目先、小利、好都合にみえても、結局不都合な結果を招く。どう打開したらよいのか。21世紀における望ましい企業経営のあり方として、お布施型経営のすすめを提唱したい。仏教のお布施の正しい理念を応用、実践するもので、環境、倫理、雇用、賃金を重視する企業経営を指している。(2011/02/04) (30)財政・税制の質的変革をめざして 安原和雄 「平成の開国」、「最小不幸社会の実現」、「不条理をただす政治」 ― この三つは、菅直人首相が施政方針演説(1月24日)で明らかにした国づくりの理念である。さらに首相は「この国に暮らす幸せの形を描く」とも述べた。しかし率直に言えば、残念ながらこの三つの理念と「幸せの形」とがどうにも結びつかない。なぜなのか。一例を挙げれば「最小不幸社会の実現」の決め手として消費税増税を掲げているからである。大衆増税である消費税引き上げは「最大不幸社会」への道である。(2011/01/26) (29)いのち・簡素尊重の循環型社会を 安原和雄 ごみ列島ニッポンを大掃除するにはどうしたらいいのか。その答えとしてリサイクル(再生利用)を想い浮かべる人が多いにちがいないが、実はこのリサイクルはゴミなど廃棄物減らしへの貢献度では一番低い。追求すべき課題は廃棄物そのものの発生を少なくする循環型社会をどう構築していくかである。つまり大量生産 ― 大量消費 ― 大量廃棄の経済構造をいかに簡素化するかである。(2011/01/22) (28)「豊かさ」から「幸せ」の時代へ 安原和雄 時代の雰囲気は「豊かさ」から「幸せ」へと変わりつつある。例えば最近のメディアには「幸せ」に関する記事が多くなっている。豊かさと幸せとは質的にどう異なるのか。平たく言えば、豊かさは「量の増大」であり、幸せは「質の充実」である。そういう幸せの定式として「平和憲法の幸福追求権の活用+精神的充実感」を提案したい。この幸せの定式を実現させる必要条件として二つ挙げたい。一つは「ゆとり主導型経済」の推進で、これは従来の輸出主導型、内需主導型に代わる新しい構想である。もう一つは「生活者主権」の尊重で、従来の消費者主権に代わる新提言である。(2011/01/15) (27)経済成長至上主義よ、さようなら 安原和雄 毎日新聞の「万能川柳2010年」(12月27日付夕刊・東京版)に「GDP抜かれて3位 だからなに」(東京 寂淋)があった。文字通り「経済成長至上主義よ、さようなら」でいいではないかという心情を詠(よ)んだ一句と理解したい。これまでGDP(国内総生産)総額では米国1位、日本2位、中国3位だったが、日本が中国に抜かれて3位に転落したため自称・経済専門家たちが大騒ぎしていることへの皮肉めいた感想になっている。(2011/01/08) (26)持続的発展を平和憲法に盛り込む 安原和雄 これまで仏教経済学の八つのキーワード<いのち尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性>のほか競争、貨幣を取り上げてきた。今回から八つのキーワードを生かしながら、どのような変革構想を提案できるかを考えたい。21世紀は、地球環境保全を優先する地球環境時代であり、八つのキーワードの一つ、持続性、つまり持続的発展(=持続可能な発展)を基調とする社会を創ること、同時に非暴力の世界を構築していくことも緊急の課題となっている。この持続性と非暴力を具体化させるためには何が求められるか。(2010/12/26) (25)人間は「カネの奴隷」ではない 安原和雄 お金がなければ、暮らしそのものが成り立っていかないのは自明のことである。とはいえ、日本人の多くはなぜカネを追い求めるような振る舞いに追い込まれることになってしまったのか。1980年代後半のわが国における本格的なバブルが90年代初めに崩壊して、「カネ、カネ」の世の中の虚(むな)しさを多くの人が実感したはずだが、現実はカネに執着する現象が目立ちすぎる。「カネの奴隷」になっていることに気づかない拝金教信者の群といえば、いささか誇張に過ぎるだろうか。この地獄から脱出するには「人間はカネの奴隷ではない」ことをどう自覚するかである。(2010/12/06) (24)お金では買えない価値の大切さ 安原和雄 仏教経済学は、お金(貨幣)をどう捉えるのか。八つのキーワード(いのちの尊重、非暴力=平和、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性)に続いて、前回は競争を取り上げたが、ここではお金をテーマにしたい。今日、貨幣経済の中で生きている以上、お金に執着するか、あるいは多少の距離感を保つかはともかく、お金から逃れることはむずかしい。個人に限らない。マネー感覚はそれぞれの国民性にも映し出されている。(2010/11/26) (23)競争 ― オンリーワンをめざして 安原和雄 仏教経済学は、競争や貨幣をどう捉えるのか。これまで仏教経済学の八つのキーワード(いのちの尊重、非暴力=平和、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性)を紹介してきたが、「仏教経済学」も経済学である以上、競争や貨幣に無関心ではあり得ない。ここでは「仏教経済学と競争」を取り上げる。仏教経済学の競争観は、弱肉強食、つまり強者が弱者を打ち負かして当然という現代経済学の競争観とは質的に異なる。弱肉強食説を排して、人、企業、社会、経済、国ともに共存・共生の中でお互いの個性を磨き合う競争を奨励する。(2010/11/20) (22)持続性と発展と地球環境時代と 安原和雄 仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「持続性」を取り上げる。持続性とは、第1回地球サミットが提言した「持続可能な発展」を指している。これは20世紀末に人類の智慧が到達した新しい概念・思想で、「環境と経済の両立」という程度の狭い理解は正しくない。地球環境の保全を優先させなければ、人類生存そのものが危ういという時代、つまり地球環境時代に人類は生きているという認識に立って、望ましい多様な「発展」のありようを打ち出している。(2010/11/13) (21)多様性は共生と寛容を世界に広げる 安原和雄 仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「多様性」を取り上げる。多様性とは何を意味しているのか。生物多様性条約にかかわる名古屋会議(10月末閉幕)には世界各国から沢山の多種多様な人々が集まった。多様性は生物はもちろんのこと、人間、文化、地域、国(政治、経済、社会、体制)、民族、文明のあり方の多様性 ― にまで視野を広げている。(2010/11/06) (20)利他は極楽へ、私利は地獄への道 安原和雄 仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「利他」を取り上げる。利他とは、「世のため、人のための行為」を指している。この利他が結局は自利、すなわち我が身にプラスとなって還ってくる。いいかえれば極楽の世界に通じている。ここでの「利他は極楽、私利は地獄」は現世のありようを指している。仏教では来世での極楽、地獄に大きな関心を向けているが、仏教経済学としてはあの世にまで視野を広げることはない。(2010/10/31) (19)簡素とローカリゼーションのすすめ 安原和雄 私(安原)が構想する仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「簡素」を取り上げる。簡素は非暴力(=平和)とも深くかかわっており、簡素に背を向ければ、それは暴力への道につながっている。その関連で地域重視のローカリゼーション(ローカル化)に言及する。一方、地域を軽視し、世界を壊しつつあるグローバリゼーション(グローバル化)に批判の目を配る。(2010/10/27) (18)貪欲から知足へ、孤立から共生へ 安原和雄 私(安原)が構想する仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は知足と共生を取り上げる。知足とは、「足(た)るを知る」という意で、欲望に執着せず、「これでもう十分」とする。一方、現代経済学は、欲望に執着し、もっともっと欲しい、とその貪欲ぶりには際限がない。共生とは人間や動植物などいのちあるものの相互依存関係を指しており、これを軽視すれば、いのちそのものが危機にさらされる。(2010/10/24) (17)いのちの尊重と非暴力(=平和) 安原和雄 今回から私(安原)が構想する仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― を紹介したい。まず「いのちの尊重」、「非暴力(=平和)」を取り上げる。「いのちの尊重」とはなにを含意しているのか。仏教でのいのちとは人間に限らず、地球上の生きとし生けるものすべてのいのちを指している。人間も動植物も平等であり、人間のいのちだけが尊重に値するわけではない。これが仏教思想の生命中心主義であり、いのちの平等観である。(2010/10/09) (16)21世紀の仏教経済思想を提唱する 安原和雄 今回から私(安原)が構想する仏教経済思想(仏教経済学)の骨格を提示したい。もちろんこれまで紹介してきた内外の先達による先駆的な思想や提言に負うところは多大である。ただ誤解を恐れずにあえて指摘すれば、先達が遺してくれた業績は20世紀に紡がれた思想的、実践的営為である。時代はいうまでもなくすでに21世紀に踏み込んでおり、新しい時代は、それにふさわしい思想的、実践的な自由、挑戦、創造を求めているとはいえないか。(2010/10/02) (15)井上信一著『地球を救う経済学』(下) 安原和雄 ここでの主要なテーマは、日本的仏教経済学の模索と構築である。そのキーワードは二つある。一つは「少欲知足」であり、もう一つは「持続可能な発展」である。少欲知足は仏教の基本思想であり、一方、「持続可能な発展」は国連主催の第一回地球サミットで打ち出された新しい概念・思想で、地球環境保全と経済活動の両立をめざすものである。いいかえればその目標は持続的な経済社会の実現である。ここが環境の汚染・破壊、資源・エネルギーの浪費をもたらし、持続不可能な経済社会につながるほかない現代経済学とは質的に異なるところである。(2010/09/25) (14)井上信一著『地球を救う経済学』(上) 安原和雄 仏教経済思想(学)は、混迷を深める今日の日本経済社会の変革にどこまで貢献できるのか。さらにアジアや世界の平和(=非暴力)、安心安全、幸せにどう寄与できるのか。これが仏教経済思想(学)が目指すべき課題である。ただ仏教経済学なるものは、日本社会の中でまだ市民権を獲得しているとは言い難い。しかし今後の展望にあえて触れれば、この仏教経済学が市民権を得て、経済思想の中で大きな比重を占める時が来るのもそう遠い将来のことではないと信じている。(2010/09/16) (13)日本における仏教経済研究の特質 安原和雄 海外での仏教経済学の近況とその実像を紹介してきたが、ここで日本における仏教経済(学)研究の特質に視点を移したい。日本での研究はすでに40年余の歴史を刻んでいる。駒澤大学仏教経済研究所がその有力な拠点として貢献している。ただ一口に仏教経済学といっても、提唱者によって多様な姿、理論、思想となっており、決定版が出来上がっているとは言いにくい。(2010/09/09) (12)「国民総幸福」をめざす国・ブータン 安原和雄 東洋の一角に「最小不幸社会」を国造りの政治理念として掲げている経済大国(?)があると聞く。よほど不幸が社会に蔓延(まんえん)しているのだろう。そうでなければ、この政治スローガンに意味はない。同じ東洋に「国民総幸福」をめざしている小国がある。ほかならぬチベット仏教国・ブータンである。「最小不幸社会」か、それとも「国民総幸福」社会か、そのどちらに魅力を感じるだろうか。(2010/08/20) (11)ネパール仏教と世界平和への貢献 安原和雄 仏教の開祖・釈尊の生誕地は、ヒマラヤ山脈中部南麓に位置するネパールのルンビニである。そのネパールの国立大学には仏教経済学者が顔をそろえている。彼らの大きな関心事は「仏教と世界平和」である。「仏教は世界平和にどう貢献できるか」 ― このテーマをめぐる第2回ネパール・日本国際仏教経済シンポジウムが2006年12月、ネパールの首都カトマンズと釈尊の生誕地ルンビニで開かれた。席上、ネパールの仏教経済学者らは次の諸点を強調した。(2010/08/14) (10)米国人にみる「簡素と知足」の精神 安原和雄 キリスト教徒でありながら、仏教思想に大きな関心を示し、それを日常生活の中で実践している米国人が増えつつある。その典型の一人は、米国兵器メーカーの核ミサイル技師を辞職して、平和活動家に転身し、広島での原水禁世界大会に出席した実績もある人物である。彼らが心掛けていることは、仏教が説く「簡素と知足」の精神の実践であり、質素な暮らしである。「もっともっと」という限りない欲望、つまり貪欲を捨てることである。貪欲は戦争を招くが、簡素と知足、そして質素は「静かな平和」につながっていく。(2010/08/06) (9)仏教理解者・ナッシュの『自然の権利』 安原和雄 仏教に深い理解を示す海外の思想家はシューマッハーに限らない。米国の環境思想史家として知られるロデリック・F・ナッシュもその一人として挙げることができる。ナッシュの著作『自然の権利―環境倫理の文明史』を手がかりに人間中心主義から生命中心主義への転換の今日的意義を考える。(2010/07/31) (8)シューマッハーの脱「経済成長」論 安原和雄 昨今、「経済」といえば、「成長」が合い言葉になっているような印象がある。「経済成長のために増税を」という珍説まで登場する始末である。経済成長こそが大目標で、そのためにはあらゆる手段が正当化されるかのような雰囲気である。しかし正直なところ、経済成長はそれほど立派な代物(しろもの)だろうか。 (2010/07/24) (7)人間は農業が滅びたら生きられない 安原和雄 人間のいのちの源(みなもと)は農業であり、だから人間は農業が衰亡したら生きられない。この単純にして明快な真理がどれだけの人々に共有されているだろうか。むしろ工業が「主」で、農業は「従」だという見方が今では常識にさえなっている。日本の場合でいえば、第二次大戦後の高度成長期に急速に農業国から工業国へと変貌した。その結果、一人あたりの所得も増え、国全体のGDP(国内総生産)はアメリカに次いで世界第二位の地位にのし上がった。しかしこの「経済大国ニッポン」という輝けるイメージは、アッという間に「貧困大国ニッポン」へと転落した。(2010/07/17) (6)原子力発電は「人類の生存に脅威」 安原和雄 仏教経済学は原子力発電にはどういう姿勢なのか。仏教経済学の提唱者、シューマッハーは著作『スモール イズ ビューティフル』で「原子力 ― 救いか呪いか」と題する一章を設けて原子力発電と核分裂について主張を展開している。一口で言えば、「人類の生存に脅威」、「人間の生命にとって想像を絶する危険」などと警鐘を打ち鳴らしている。つまり人類にとって「救い」どころか「呪い」そのものという認識である。しかも「経済学という宗教に毒されて、政府も国民も原子力の<採算性>にしか目を向けていない」と視野の狭い既存の現代経済学に手厳しい。(2010/07/10) (5)シューマッハーの「小さいことは素敵」 安原和雄 仏教経済学(思想)に関する業績は多様である。ここではドイツ生まれの経済思想家、E・F・シューマッハーが唱えた仏教経済学を紹介したい。シューマッハー流の仏教経済学が目指すものは、簡素と非暴力、知足、中道と「正しい生活」、非貨幣的価値、量ではなく質、資源エネルギーの節約、真の豊かさと完全雇用、地域資源の活用 ― などである。注目に値するのは「中間技術」という新しい技術観を唱えて、巨大技術を排していることである。これが著作のタイトル「Small is beautiful」(スモール イズ ビューティフル)となっている。(2010/07/03) (4)古都鎌倉を訪ねて出会う釈尊の教え 安原和雄 古都鎌倉で散策を楽しむのであれば、見どころは沢山あるが、おすすめは鎌倉大仏である。といっても大仏そのものではない。観光客の多くは大仏の前で笑顔をつくって記念写真を撮って去っていく。これでは何とももったいない話というほかない。実は大仏脇の庭園に一つの顕彰碑が建っている。観光客はこの碑に関心を示さないが、その前に立てば、仏教の開祖・釈尊の有名な教え(ことば)に出会うことができるだけではない。その碑の文言は日本の戦後史と今後の進路に大きな示唆を投げかけてもおり、その文言を凝視しながら、しばし考え込まないわけにはいかない。(2010/05/15) (3)「お陰様で」を一日一回唱えよう 安原和雄 人間は自力のみで生きていると思うのは錯覚である。客観的事実として太陽、地球、自然の恵みを受けて、しかも他人様のお陰で生き、生かされているのである。この理(ことわり)を認識できれば、「お陰様で」という他者への感謝の心につながっていく。この感謝の心は「もっともっと欲しい」という独りよがりな貪欲に対する自己抑制としても働く。「いただきます」、「もったいない」と並んで「お陰様で」を日常生活の中で復活させたい。一日一回でいいから、また口に出さなくても、心(こころ)でいいから「お陰様で」を唱えてみてはどうだろうか。気分がさわやかになることだけは確実といえよう。(2010/05/01) (2)世界に広がる「もったいない」 安原和雄 「いただきます」(いのちの尊重、その活用)、「もったいない」(人や物を大切に思うこころ)、「お陰様で」(共生、相互依存関係へ感謝)― この三つの仏教精神を日常生活の中でどう実践し、生かしていくかが大切なテーマとなってきた。ここでは「もったいない」を中心に考える。 (2010/04/24) (1)食事前の「いただきます」とは 安原和雄 仏教経済学の特色は三つある。第一は仏教経済学は宗教そのものというよりは社会・人文科学の一角を担うものと考えていること。仏教思想にみる宇宙・現世の真理を応用し、生かす経済学、すなわち仏教経済学と捉える。第二は知識としての仏教経済学ではなく、変革を実践していくための仏教経済学ということ。世直しのための新しい経済学ともいえる。第三は既存の経済学(自由市場原理主義、ケインズ経済学など)を批判する視点に立つ経済学であるということ。もう一つ付け加えれば、仏教経済学は特定の教科書がまだ出来上がっていない。だからこの「やさしい仏教経済学」は私(安原)の構想する仏教経済学といえる。先達の構想、業績に学ぶところ大なるものがあることはいうまでもない。以上のような趣旨で「連載・やさしい仏教経済学」を始める。(2010/04/17) |
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