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2024年12月26日
2024年12月25日



Writer

記者

和田秀子




核・原子力
「団結して子どもを守ろう!」 南相馬市の“ぬまゆ”さんが本当に訴えたいこと
  「今日、ここにいる人たちで団結し、子どもたちを守りましょう!」“ぬまゆ”さんこと沼内恵美子さん(42歳)は1月28日(土)、南相馬市原町地区で開かれた野呂美加さん[*1](NPO法人チェルノブイリへのかけはし代表)のお話会終了後、そう呼びかけながら来場者ひとりひとりに名刺を配っていた。“ぬまゆ”さんをご存じない方のために説明をしておくと、沼内さんは南相馬市で塾を経営している先生だ。(和田秀子)(2012/02/06)


核・原子力
最後の被爆医師・肥田舜太郎氏「マスコミは真実を」 市民と科学者の内部被爆研が発足
  「市民と科学者の内部被爆問題研究会」が1月27日(金)に発足し、都内で記者会見が行われた。呼びかけ人は、広島・長崎の原爆被害を長年追求してきた医師や研究者、ジャーナリスト、市民など26人(2011年12月20日現在)。記者会見では、澤田庄司氏(素粒子物理学者・被爆者)、松井英介氏(医師・放射線医学・呼吸器病学)、矢ヶ崎克馬(物性物理学)、そして肥田舜太郎氏(被爆医師)など、3.11以降、市民の立場に立って内部被爆の危険性と身を守る方法を訴え続けてきた専門家らが登壇し、「年間1mSv以上の地域に在住する子どもを即刻集団疎開させる」など、内部被爆の拡大と健康被害を防ぐために政府がとるべき安全対策などを提言した。(和田秀子)(2012/01/30)


核・原子力
ホールボディーカウンターの数値を手に、健康相談会に訪れる福島市民
  福島市内に拠点を置く「市民放射能測定所(CRSM)」と「子供もたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」が9月23日、「子ども健康相談会」を福島市内で開催した。6月、7月に続き、今回で4回目となる相談会には、40家族100名(うち、子ども60名)が訪れ、ボランティアで参加した医師ら13名に、健康や生活のアドバイスを受けた。その様子を取材した。(和田秀子)(2011/09/25)


東日本大震災
「1学期を終えて伝えたいこと」福島県・教員のインタビュー
  新学期が始まって間もない4月上旬。私は、郡山市の小学校教員・川口真理さん(仮名・32歳)に電話インタビューを行い、「子どもたちを被ばくから守りたい!」という悲痛な叫びを受け取った。あれから3ヶ月――。学校はすでに夏休みに入っている。郡山市内の状況や、子どもたちの様子はどう変化したのだろうか。1学期をふり返っての感想を、再び川口さんにうかがった。(以前のインタビュー記事「Twitterでつぶやいて!福島県の教員の訴え」はこちら http://newenergy-hideinu.blogspot.com/2011/04/twitter.html)。(和田秀子)(2011/07/31)


東日本大震災
福島の父母、「年間20ミリシーベルト」の撤回を要求 要領得ぬ文科省の返答
  「放射能から子どもを守りたい!」と立ち上がった福島県の父母たちが5月2日、『20ミリシーベルト撤回要求のための対政府交渉』を行った。通常であれば、年間被爆量は1ミリシーベルト以内とされているが、“非常時”ということで、文科省は「年間被曝量は20ミリシーベルト以内」と決定した。 (2011/05/04)


東日本大震災
「『福島の子どもたちを助けて!』とTwitterでつぶやいてください」 福島県の小学校教員の訴え
  「とにかく子どもを守りたいんです」。電話口から聞こえる声は、覚悟のこもったものだった。声の主は、福島県内のある小学校で教員を務める川口真理さん(仮名・32歳)。立場上、名前を公表できないが…と前置きしたうえで、「福島の子どもたちが危険にさらされている状況を伝えたい」と、匿名でインタビューに応じてくれた。(和田秀子)(2011/04/27)


東日本大震災
「子どもを被爆させていいのか…」 文科省の基準値に福島の親たちから悲痛な叫び
  現在、福島で子育てをする親御さんたちの、悲鳴にも似た叫び声が、Twiiterで多く上がっている。なぜなら、文科省が子どもの年間被曝量の暫定基準値を20ミリシーベルトに設定したため、本来なら「放射線管理区域」になるほど高い放射線量が計測されている学校にも、子どもたちが通わねばならない事態になっているからだ。下記は、福島県郡山市在住で、小学生の子どもを持つパパのツイートまとめたものだが、読んでいるだけでも胸がつまってしまう。(和田秀子)(2011/04/23)


外国人労働者
「合格しても帰国する」 インドネシア人看護師候補生が慰労会で涙
  インドネシアと日本のEPA(経済連携協定)により来日したインドネシア人看護士候補生らの「慰労会」が3月5日、インドネシア大使館(東京都目黒区)で開かれた。この日参加したインドネシア人候補生は26人(第一陣の候補生は全部で約90人)。候補生の代表として挨拶に立ったデヴィ・スプティヤスリニさん(永生病院勤務)が、スピーチの途中涙で声を詰まらせるなどの場面もみられ、3年間の苦労がうかがいしれる慰労会だった。(和田秀子)(2011/03/09)


外国人労働者
手放しで喜べないインドネシア人看護師候補生の「在留延長」 その裏側に何が?
  政府は18日、EPA(経済連携協定)により2008年に来日した第一陣のインドネシア人看護師候補生91人の在留許可を、一年間延長する方針を固めた。当初の予定では、看護師候補生は3年以内に国家試験に合格できなければ「帰国」と定められていた。しかし、この2年間で合格できたのは、インドネシア人2名を含むたった3名という低調ぶり。今回在留延長が認められそうな2008年来日組に関しては、今年2月の国家試験がラストチャンスとなるため、インドネシア政府からも在留延長の強い要望があったと見られている。(和田秀子)(2011/01/22)


ビルマ民主化
「私を励ましてくれたのは独房生活15年のビルマ人活動家」 山路さんが報告会
  ジャーナリストの山路徹さんが代表を務めるAPF通信社が11月23日、東京都内で『プロジェクトBurma取材報告会』を行った。ご存じの方も多いだろうが、山路さんはミャンマー(ビルマ)総選挙が行われた11月7日、ミャンマー・ミャワディで取材をしている最中に軍政に拘束され、2日後に解放された。山路さんは、ペン型の隠しカメラで撮影した投票所付近の様子を紹介しながら、軍政に拘束されてから開放されるまでの3日間について、その経緯を報告した。(和田秀子)(2010/11/27)


難民
自立支援を応援したい! 女優サヘル・ローズさんが、難民のネイルサロンの広報大使に
 「第三国定住プログラム」による難民受け入れが始まり、にわかに注目を集めている“難民”。そんな中、イラン出身の女優サヘル・ローズさん(25歳)が、難民の自立支援をサポートするネイルサロン「アルーシャ」の広報大使に就任した。イラン・イラク戦争で両親や兄弟をすべて失う、という壮絶な経験をしたサヘルさんが、難民支援に乗り出した理由をお聞きした。(和田秀子)(2010/11/27)


市民活動
在日クルド人難民が伝統のレース編み作品展 支援と文化への理解もとめて  
  クルド人難民女性が作る伝統的なレース「Oya(オヤ)」にふれる『Oya Cafe(オヤカフェ)』が、来月12月4日(土)14〜16時、PRONTO銀座コリドー店にて開催されます。お時間のある方は、ぜひ足をお運びください。あなたの隣に住んでいるかもしれない“難民”について知る良いチャンスです!主催は日本難民支援協会(東京都新宿区)。(和田秀子)(2010/11/24)


外国人労働者
EPA「開国」から2年─看護師・介護福祉士受け入れは存続できるか 比人候補生らに聞く
  EPA(経済連携協定)による看護師・介護福祉士候補生の受け入れが開始されてから、8月で2年が経過した。2年前の8月9日、灼熱の太陽がジリジリと照りつけるなか、インドネシア看護師候補生らの開校式を取材するため、大手町の経団連ビルを訪れたことを今でも鮮明に覚えている。以来、折に触れて彼らを取材してきたが、ここへきて制度自体の存続を危ぶむ声が大きくなっている。今年5月に来日し、現在「AOTS関西研修センター(以下、AOTS関西)」で日本後研修を受けているフィリピン人看護師候補生たちに話を聞いた。 (2010/08/12)

今こそ優秀な外国人学生の獲得を! 日本での進学説明会への参加者が倍増 
  日本学生支援機構 (以下Jasso)が主催する『外国人学生のための進学説明会』が7月11日(日)、池袋サンシャインシティ文化会館にて開催された。Jasso は、奨学金貸与事業や留学生支援事業および、学生生活支援事業を行う独立行政法人。同説明会は、今年度で17回目を迎える。今年の参加大学は 135校、来場した外国人学生は約4,000人にのぼり、昨年度の2,546人を大きく上回って、これまででもっとも来場者数が多かった2002年の 4,515人に次ぐ数となった。内訳は、中国・韓国・台湾などで8割を占める。(和田秀子)(2010/07/19)


外国人労働者
インドネシア・比の看護師候補生ら中途帰国者が続出 合格者も沈黙破り「改善策」を陳情
  EPA(経済連携協定)により、インドネシアとフィリピンから来日した看護師・介護福祉士候補生の総数は、第一陣が到着した2008年から現在までで998人に達した。しかしこのところ、中途帰国する候補生があいつぎ、7月9日づけの読売新聞によると合計33人(インドネシア15人・うち看護師12人/フィリピン人18人・うち看護師11人)がすでに日本での国家試験取得をあきらめ、帰国していることが分かった。しかし、彼らが帰国した原因は、果たして国家試験の難しさによるものだけなのだろうか。インドネシア人看護師の支援組織「ガルーダサポーターズ」の共同代表、宮崎和加子さんにお話をうかがった。(和田秀子)(2010/07/17)


外国人労働者
“新日系フィリピン人”が人身売買のターゲットに 国際移住機関(IOM)に実態を聞く
  警察からの連絡を受けてTさんがある保護施設に駆けると、憔悴しきった様子の若い女性と、40代くらいの女性が、職員に付き添われてソファに座っていた。若い女性はTシャツにジーパン姿で、素足にミュール。年配の女性は部屋着のような薄手のワンピース一枚だったという。Tさんがふたりのソファに近づくと、それまで空虚に壁を見つめていた女性たちの表情が一変した。キョロキョロと目を泳がせ、あからさまにTさんを警戒し始めたのだ。Tさんは、国際移住機関(IOM、http://www.iomjapan.org/)という国際機関で働く職員。IOMは、人身取引の被害者に対する母国への自主的帰国や、帰国後の自立支援事業などを全世界で展開しており、日本においても警察や入管から被害者保護の連絡が入ると、こうして全国各地の保護施設を訪れているのだ。(和田秀子)(2010/07/03)


教育
“こどば”を奪われた外国人の子どもたちに未来はあるか? 教師、研究者らが改善策など討議
  『東京の日本語教育・日本語学級を考えるつどい2010』(以下、つどい)が、去る5月30日、すみだ生涯学習センターで開催された。このつどいは、東京23区において外国人児童の日本語教育にたずさわっている教師や研究者たちが集まり、現状や改善点を話し合うというものだ。現在、東京都の公立学校(小・中・高)には、2,000人を超える日本語指導を必要とする外国人生徒が在籍しているが、その指導は思うように進んでいない。なかには、母語も日本語も不自由なまま、ドロップアウトしていく生徒も少なくないという。彼らに未来はあるのか? このつどいを通して、問題点と展望を探ってみた。(和田秀子)(2010/06/06)


外国人労働者
難民と共にネイルビジネスを起業 「自立支援と美のサービスを」と岩瀬香奈子さん
  株式会社アルーシャの代表を務める岩瀬香奈子さんは、5月15日(土)から都内の事務所で、“難民”によるネイルケアサービスをスタートさせる。なかなか仕事が見つからず、厳しい生活を強いられている難民の方々にネイルケアの技術を身につけてもらい、安定した雇用に結びつけようという試みだ。いわゆる“社会起業家”である。そんな岩瀬さんに、難民と共に起ち上げるネイルビジネスについて、現状と展望をお聞きした。(和田秀子)(2010/05/08)


外国人労働者
3人が合格したけれど… 外国人の看護師国家試験に関係者は総合的改善策望む
  看護師国家試験の合格発表が3月26日行われ、経済連携協定(EPA)により来日した外国人看護師候補生の受験者254人うち3人が合格したと発表された。内訳は、インドネシア人2人、フィリピン人1人だ。看護師の全国平均合格率は89.5%だったが、外国人はわずか1%という結果。日本語能力が高い障壁となっていることがうかがえる。合格者のひとりヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさん(男性・26歳・インドネシア)への緊急電話インタビューと、関係者の話から、今後の制度の在り方や支援の方法を考えたい。(和田秀子)(2010/04/07)


留学生らの部屋探しを支援 門前払い阻止へ、FOLISが家賃の滞納保証
  在日外国人の生活をサポートしているNPO法人「在日外国人情報センター」(東京都新宿区)と、在日中国人向けの新聞「東方時報」を発刊している東方インターナショナル(東京都豊島区)は昨年11月、合弁で「一般社団法人外国人生活サポート機構(FOLIS)」(東京都豊島区)を設立した。今年1月からは、外国人留学生や就学生向けに、家賃滞納保証事業をスタートさせている。“外国人”というだけで門前払いされることが多い外国人に対して、FOLISが家賃の滞納保証を行うことで、日本での部屋探しをサポートしようという取り組みだ。こうした取り組みを始めたキッカケや、最近の留学生の動向について、FOLISの理事である齋藤英樹さんと上原雅登さんにお話をうかがった。(和田秀子)(2010/01/27)


ビルマ民主化
軍政の人道への罪に調査委設置を 29カ国の国会議員442名が国連安保理に要望書
  世界人権宣言61周年に際し、世界各国の議員442名は、ビルマ(ミャンマー)軍事政権が犯している人道に対する罪と、その他の戦争犯罪について調査するための調査委員会を設置し、ビルマ軍政に対する国際的な武器輸出措置を取るよう、国連安全保障理事会に書簡を送った。これは、民主党の今野東議員と犬塚直史議員が、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカなど29カ国の議員に賛同を呼びかけて実現したもので、これについての記者会見が12月11日、国会議員会館にて行われた。(和田秀子)(2009/12/16)


外国人労働者
国家試験改善が急務 インドネシア人看護師らの受け入れで支援団体が政府に要望書提出へ
  日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)により来日しているインドネシア人看護師・介護士候補生たちと、その受け入れ機関を応援しようと、今年5月に発足した『ガルーダ・サポーターズ』の集いが11月28日、大阪府吹田市で開かれた。受け入れ施設の責任者や候補生たちが多数集まり、現状報告や現行制度の問題点、および国家試験に関する対策などが話し合われた。ガルーダ・サポーターズでは、今月中にも改善策をとりまとめ、政府に提出する予定だという。(和田秀子)(2009/12/05)


日系人と日本人の相互理解深めるキッカケに 全米日系人博物館のアケミ・キクムラ館長が来日
  米・ロサンゼルスの「全米日系人博物館」の館長・CEOを努めるアケミ・キクムラ・ヤノ氏(以下キクムラ氏)が来日し、国際移住機関東京事務所にて9月29日、記者発表を行った。同博物館は、「100年以上にわたる日系アメリカ人の歴史を、アメリカの歴史の一部として後生に語り継ぎたい」との思いから、1985年にオープン。2010年には25周年を迎える。キクムラ氏は、来日の目的を「25周年を機に、日本に住む“日本人”と、アメリカに住む“日系人”との相互理解をさらに深め、次世代に向けた新たな関係性を構築するため」と語り、約1週間の滞在期間中は津田塾大学で講演を行うなど、PRに努めた。(和田秀子)(2009/10/03)


社会
体感する多文化コミュニケーション 多様なルーツ、多様な文化を歌に乗せ交流
  100余年前から、多様な文化を許容してきた港町・神戸。そんな異国情緒ただよう街にふさわしいイベントが、6月19日メリケンパーク近くの『神戸上屋劇場』で開催された。今年2度目となる「Shake Forward! (シェイクフォワード!)2009 」と題したこのイベントは、ミックスルーツなアーティストたちが集い、若者の音楽“ヒップホップ”にのせて、自らのアイデンティティを認識し、多文化コミュニケーションをはかろうというものだ。「ミックスルーツ」とは、様々な文化や国のルーツを背負っている人々のことを指す。ハーフやクオーター、在日外国人などが含まれる。(和田秀子)(2009/06/24)


外国人労働者
「ペルーと日本の架け橋に」 静岡県吉田町のハローワークで働く日系ペルー人3世、タカラ・カレンさんの軌跡
  高良カレンさんは、日系ペルー人3世で現在26歳。デカセギのために来日した両親を追って、10歳で来日。以後、ペルーと日本を行き来しつつ、両国の文化を学びながら成長してきた。現在は、静岡県榛原郡吉田町 という人口約3万人の小さな町で、母や姉夫婦と共に暮らしている。ここ数年は、ずっと町内の食品加工工場で働いてきたが、今年2月からは堪能な日本語を活かし、吉田町のハローワークで仕事を失った外国人のための相談員として就業している。そんなカレンさんに、これまでの生い立ちや、日本語を教えてくれた先生についての思い出をお聞きした。(和田秀子)(2009/06/18)


ビルマ民主化
ビルマのサイクロン被害復旧に遅れ 支援に非協力的な軍政
 昨年5月にサイクロン「ナルギス」がビルマを襲い、多数の死傷者が出た。その被災地の状況に関する初の独立報告書となる「サイクロン襲来その後 〜イラワジ・デルタからの声〜」が、2月27日に出版された。これを記念して、調査・執筆に携わったジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生大学院付属公衆衛生・人権センター研究員、ヴィオラット・スワンニッキット医師が来日。NPO法人「メコンウォッチ」(東京都台東区)が主催する報告会で3月11日、現在の被災地の状況について実情を語った。(和田秀子)(2009/03/16)


外国人労働者
「これは日本の問題でもある!」 在日ビルマ人労組が窮状と長期的支援策を訴える
  昨秋から始まった未曾有の経済危機により、日本国内でも派遣社員や期間工の雇い止めが大きな問題となっている。なかでも、ほとんど報道されることのない外国人労働者の“クビ切り”は深刻で、雇用保険にも加入できず、低賃金で働かされたうえ、真っ先に切り捨てられているのが外国人労働者の現状だ。「私たち外国人労働者の置かれた状況や想いを、多くの方々に知ってもらいたい」と、「在日ビルマ市民労働組合」(FWUBC)会長のティンウィンさん(55歳)は2月21日、東京・池袋のECO豊島で開かれたビルマ市民フォーラム例会で窮状を訴えた。(和田秀子)(2009/02/23)

二極化社会を問う
なぜ地元の県営住宅に入れないのか、と問う豊田市保見ヶ丘の支援活動 背後の生活習慣の壁も
  日系ブラジル人ら外国人居住者が4割を占める保見団地(愛知県豊田市)で、外国人への支援活動を行うNPO法人「保見ヶ丘ラテンアメリカセンター」代表・野元弘幸氏は、愛知県に対し、外国人県民に対する差別をやめるよう、2月16日(月)愛知県弁護士会に人権救済申立書を提出した。現在、失業中で住まいもない日系ブラジル人ら5名も同行した。(和田秀子)(2009/02/20)

外国人労働者
「成果を長い目で見てほしい」 インドネシア人看護師・介護士候補生への日本語教育センター長
  昨年来日したインドネシア人の介護士・看護師候補生たちが、それぞれ日本語研修を終え、受け入れ先の特別養護老人ホームや病院へ派遣された。彼らは、どのようなカリキュラムで日本語を学んだのか、またこれからの課題は何か―。彼らの日本語研修にあたった財団法人海外技術者研修協会、AOTS日本語教育センター長、春原憲一郎さんに、お話をうかがった。春原さんは、介護・看護分野での外国人への日本語研修は初めてのことなので戸惑いと苦労があったものの、教え子たちが国家試験に合格できるまで「長い目で見てやってほしい」という。(和田秀子)(2009/02/14)


外国人労働者
受け入れ病院の研修プログラムに地域格差のおそれも インドネシア人看護師候補生が就労開始
  日本とインドネシアとのEPA(経済連携協定)により、昨年8月7日に来日したインドネシア人看護師候補生104人の「日本語等研修修了式」が、2月12日、東京・関西などなど3ヵ所の受入施設で行われた。先月28日には、一足早くインドネシア人介護士候補生101人が修了式を終え、すでに特別養護老人施設などで就労をはじめているが、看護師候補生たちも後に続くかたちとなる。(和田秀子)(2009/02/14)


外国人労働者
仕事失った日系ブラジル人らに介護の職を 岐阜県可児市で研修講座
  昨年秋からの雇用悪化を受け、いわゆる“クビ切り”にあった在日・外国人を救済しようと、新たな試みが始動している。2月日(月)、人口の7%を外国人が占める岐阜県可児市では、緊急雇用対策事業”として「外国人向けヘルパー2級講座」を開講した。日本語研修や介護実習など、約40時間の研修を経て、3月末までにヘルパー2級の取得を目指す。NPO法人可児市国際交流協会が主催するもので、全国で初の試み。開校式の模様を取材した。(和田秀子)(2009/02/04)


外国人労働者
子どもたちにシワ寄せ、退学者が続出 日系ブラジル人の8割が失職 名古屋
  冬晴れの休日となった2月1日。大手自動車会社のおひざ元である、名古屋市内の「久屋公園」で、“雇用”“教育”“住居”の確保を訴え、約1500人の日系ブラジル人が集会&デモ行進を行った。先月18日には、東京・銀座で日系ブラジル人ら約350人が集まり、同様のデモが行われたばかりだが、外国人の派遣労働者が多い愛知県らしく、今回の参加者は東京の5倍近くにのぼった。母親に抱っこされた赤ちゃんから、小・中学校の子どもたち、若いカップル、年配者の姿まで、年齢層はじつに幅広い。(和田秀子)(2009/02/04)


外国人労働者
「かつての移民に比べれば…」 在日ブラジル人労働者の雇用危機に日系準2世の派遣業者
  米国初の金融危機を発端とした“100年に一度”と言われる経済不況は、派遣労働者や期間工を直撃しているのはご存じの通り。なかでも、静岡・愛知・群馬・栃木・長野といった日系ブラジル人の多い地域では、クビ切りにあった日系ブラジル人たちが、雇用を求めて市役所やハローワークを訪れる姿が連日報道されている。治安の悪化も心配されるが、解決の糸口はあるのだろうか―。静岡県で派遣業を営む日系ブラジル人準2世のNさんに話を聞いた。(和田秀子)(2009/01/29)


外国人労働者
「日本の発展のために働きたい」 雇用・教育・住居・自立の機会を訴え、日系ブラジル人らが初のデモ  
  肌を刺すような寒さと共に、雇用悪化の嵐が吹き荒れる1月18日(日)の午後、東京都・新橋の交通ビルでは、関東近郊で働く日系ブラジル人ら約350人が集まり、“雇用”の確保や“教育”環境改善のチャンスを訴える、集会とデモが行われた。日系ブラジル人らが集まって本格的なデモを行うのは、今回が初めてとなる。(和田秀子)(2009/01/20)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<最終回>ブラジルを農場大国に押し上げた日本人移民の力 和田秀子(フリーライター)
  終章では、横田さんはじめ多くの日本人が、巨額の資金と技術力を費やした“セラード開発”によって、ブラジルの農業がどれほど飛躍したのかを、具体的に数字を見ながら検証していきたい。第5章「セラード、新たな使命との出会い」でも述べたように、不毛の大地 “セラード”の開発にいち早く取り組み、土地の改良を重ねることで、土台を築き上げていったのは、コチア青年たちであった。日本政府が、1979年〜2001年までの約21年にわたっておこなった「日伯セラード農業開発協力事業」に踏み切ったのも、当時、首相であった田中角栄が1974年に訪伯し、コチア青年らが開拓していたセラード地帯を視察したことが大きなキッカケとなっている。(2008/08/20)


移民大国ニッポン <1>言葉の壁乗り越え、より良い看護・介護の現場をつくれるか―
  インドネシアから、看護師・介護福祉士らの第一陣到着。日本とインドネシアの経済連携協定(以下EPA)に基づいて来日した、インドネシア人看護師・介護福祉士候補者らの開校式が、8月8日、経団連会館(東京都・千代田区)にて行われた。その模様を取材した。 (2008/08/12)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<10>真綿で首を絞めるような米国の食糧戦略 和田秀子(フリーライター)
  横田さんが、融資先を求めて日本で奔走していた約40日の間に、整地されていたバヘイラスの「戦後移住者開拓団地」には雑草が生え、無残な姿に変わりつつあった。5,000万円の資金を携えてブラジルに戻った横田さんは、さっそくコチア産業組合の上層部たちと交渉し、「戦後移住者開拓団地」の買い戻しを進めていった。その結果、「組合側から借り受けている一切の資材や耕具を返却すれば、借金を帳消しにし、土地の売却に応ずる」という契約を取り付けたのだ。1992年の夏のことだった。(2008/07/19)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<9>窮状訴え日本への陳情の旅 和田秀子(フリーライター)
  コチア産業組合の手により、今まさに売却されようとしているバヘイラスの「戦後移住者団地」。その土地を自らの手で買い戻すべく、横田さんは入植者を代表し、1991年に自費で日本に向かった。「戦後移住者団地」を買い戻すために必要な額は、土地代や農業機材をひっくるめて約240万ドル。日本円にしておよそ2億5千万という大金だ。まずは、農林水産大臣をはじめ、当時、ブラジルとつながりの深かった国会議員たちを訪れては、窮状を訴えた。(2008/07/16)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<8>お金より家族より、夢と仲間を選んだ 和田秀子(フリーライター)
  コチア青年たちの“夢の集大成”として、1986年に開発がはじまったバイヤ州バヘイラスの「戦後移住者団地」。ここでは、ファゼンデーロ(大農場主)を夢見て集まった37名が、電気もガスも水道もない陸の孤島のなかで、来る日も来る日も開拓し続けていたことは、すでに第7章で述べた通りである。しかし“開拓”と一口に言っても、農業に従事したことのない私たちにとって、その労力は想像し難いものだ。(2008/07/07)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<7>コチア青年が夢見た“ファゼンデーロ”への道 和田秀子(フリーライター)
  「日伯セラード農業開発協力事業」の決定により、日本から多額の開発資金が投入されることになったブラジルでは、1970年代後半から80年代中半にかけて、空前の“セラード開発ブーム”が沸き起こった。1973年に、ミナスジェライス州のサンゴタルド(*1)からはじまったセラード開発は、どんどん広がりを見せ、77年にはミナスジェライス州のパラカツ(*2)、86年にはバイヤ州バレイラス(*3)へと進んでいく。(2008/06/30)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<6>セラード開発に日本政府が巨費を投じたわけ 和田秀子(フリーライター)
  この稿では、少し「日伯セラード農業開発協力事業」について補足しておきたい。この事業は、セラード開発のために、日本とブラジルが共同でおこなった国家プロジェクトで、1979年9月から2001年3月まで、3期に分けて実施された。日本からも、国際協力事業団(現・国際協力機構 JICA)を通じて多数の農業専門家が送り込まれ、600以上の農家が入植したといわれている。日本政府は、このプロジェクトが終了するまでの21年間に、なんと約600億円にもおよぶ資金を投入しているのだ。(2008/06/23)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<5>セラード、新たな使命との出会い 和田秀子(フリーライター)
  億万長者になり、目的を見失っていた横田さんに、大きな転機が訪れた。不毛の地“セラード”との出会いである。“セラード”とは、ブラジルの南西部、南北マトグロッソ州、ゴイアス州に広がるサバンナ地帯のことだ。その面積は、約2億ヘクタールにもおよび、日本の国土面積の約5倍に匹敵する莫大な広さである。しかしセラードは、いわゆるアフリカのサバンナのような痩せこけた土地で、農業には適さないとして、長年放置されていた。(2008/06/19)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<4>10年目のリベンジ、“バタタ成金”になるが… 和田秀子(フリーライター)
  横田さんは、移住6年目で独立を果たす。こつこつ貯めた資金で、30ヘクタールの土地を購入し、晴れて農場主となったのだ。と、同時に、日系二世の女性と結婚して家庭を築き、順調に歩みを進めていった。「先生、10年間だけ元気で生きとってください。10年たったら、必ず成功して帰ってきますから」。そういってブラジルに渡った横田さんは、約束どおり、移住から10年目の春、故郷に錦を飾る。(2008/06/14)

ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<3>移住4年目で、馬鈴薯づくりのエキスパートに 和田秀子(フリーライター)
  コチア産業組合は、当時、馬鈴薯の栽培で大きな成功を収めていたため、ブラジルに到着したコチア青年たちの多くは、日系人が営む馬鈴薯農家へと配耕されることになった。横田さんも自身も、ブラジルに到着して間もなく、サンパウロ州にある日系2世の馬鈴薯農家へと送り込まれた。農場で働く現地の男たちは、みな真っ黒に日焼けして、屈強な体つきをしている。しかし、そんな彼らと対照的だったのが、横田さんの体格であった。(2008/06/12)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<2>キッカケは、英語教師に叱られたこと 和田秀子(フリーライター)
  横田さんの人生は波乱に富んでいる。そもそも、今から48年前、18歳だった横田さんを、単身ブラジルに向かわせたものは何だったのか―。横田さんに素朴な疑問をぶつけてみると、よく日焼けした顔を笑顔でくしゃくしゃにして答えてくれた。「<横田!おまえは英語ができんくせに、勉強もせんで、どうしようもないやつだな!>と、いつも私は、英語の先生に叱られとったんですよ」(2008/06/09)


ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<1>海を渡ったコチア青年 和田秀子(フリーライター)
  筆者が横田尚武さんに出会ったのは、2007年夏のことだった。取材のため、起業家や知識人たちが集まる会合を訪れたところ、その席で、ブラジルにおける日系農業の窮状を訴える、横田さんに出会ったのだ。南国の人を思わせるような、ぱっちりとした二重の目に、日焼けした肌―。その風貌は、どこか日本人ばなれしており、初対面では“日系二世”かと思ったほどだった。しかし、横田さんは長野県飯田市出身。純粋な日本人である。(2008/06/07)

ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<序章>ブラジルを農場大国に押し上げた、日本人移民の力 和田秀子(フリーライター)
  ご承知の通りブラジルは、ロシア、インド、中国とならんで“BRICs”と称されるほど、その目覚ましい発展ぶりが注目されている。このようなブラジル経済の動向や、現在、ブラジルが積極的に推進している“バイオエタノール”関連のニュースは、メディアでもよく耳にするようになった。しかし、こうしたブラジル経済発展の影に、少なからず日本人移民たちの貢献があったことは、あまり伝えられていない。 そこで、この連載では、約40年以上にわたり、ブラジル農業に力を注いできた戦後ブラジル移民のひとり、横田尚武さん(67歳)の歩みにスポットを当てることで、ブラジル農業において「日本人の果たした役割」をふり返ってみたいと思う。(2008/05/22)








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