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2003年09月16日19時32分掲載
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パレスチナ報道は真実を伝えているか 藤田進氏講演録
米国ブッシュ政権が突然、パレスチナ問題解決に乗り出してから数カ月が過ぎた。中東新和平案(ロードマップ)のもと、パレスチナの主要武装勢力は停戦を宣言し、イスラエルのシャロン政権も一部の自治区からの軍撤退を決定した。一方でイスラエルは西岸での壁建設をやめない。日本のメディアは概ねロードマップを和平への第一歩ととらえたが、難題は多い。パレスチナ報道は真実を伝えているのか。『蘇るパレスチナ』の著作をもつ藤田進氏(東京外語大教員・中東現代史専攻)が7月にアジア記者クラブで行った講演内容を紹介する。(APC通信=ベリタ)
■パレスチナ報道の問題点
日本におけるパレスチナ報道に、藤田さんは違和感を感じてきたという。ロードマップについても同様だ。
「何か新しい時代が見えてくるという感じよりも、また同じようなとらえ方でいくのか。そういうわだかまりの方が私の中に強くあります」
その違和感について、藤田さんは問題点を3つ提起した。
一つは、パレスチナ武装組織とイスラエルの停戦で、事態は和平へ向けて動き出すという安易な見方だ。パレスチナ側とイスラエル側の武力衝突の停止でその後の和平進展を展望する報道は、オスロ合意でもマドリード会議でもみられた。古くはレーガンプランやカータードクトリンも同様だ。そのたびに和平への期待が抱かれたが、結局はつぶされていった。パレスチナ報道には、こうした過去の歴史への認識が希薄であると藤田さんは感じている。
二番目は、パレスチナ武装組織への「過激派」とのレッテル貼りだ。テロリスト、あるいは過激派という言葉でしか語らない報道が多い。「過激派と扱われた人物が、そういう行為に至る歴史的背景や、日々の生活での状況が読み取られる」ような記事こそ必要と考えている。さらに三番目として、記者の先入観を挙げた。テロに関する記事において、独自の取材や分析があるにしても、それを上回る形で、記者の先入観が働いている可能性を示した。
こうした問題点を考える材料として、藤田さんはガザのパレスチナ人住居を破壊したイスラエル兵らがビラを掲げている写真を見せた。パレスチナ人に向けたビラには、アラビア語で次のような警告が記されていた。
「テロリストおよび協力者たちは、どこまでも破壊と絶望を大きくしていく。彼らはあなたたちに何の達成ももたらさず、何の希望も与えはしない。テロリストとその家族は、結局、その行為の高い代価を払わされる。あなたやあなたの家族に多大な苦しみを与えるだけのテロリストたちに、支援の手を差し伸べたりしてはならない」
そこでは、テロリストの隠れ家、あるいは協力者がいるという理由で、民家が徹底的に破壊し尽くされた。
写真から見えてくるのは、武力衝突停止の必要性であり、過激派の存在ではある。だが、「これをパレスチナ人とイスラエル人の武力衝突という枠組みでとらえるとなると、大きく抜け落ちてしまうものが出てくる」と藤田さんは指摘する。それは、テロリストの存在は生活者という観点を抜きには語れないという事実だ。
彼らは住民から離れた匿名の存在ではなく、長屋のように密集しているガザの住宅という生活の場を持つ存在だ。イスラエルによるガザ、西岸占領の1967年以来、イスラエルは数々の破壊行為を行い、それに対しパレスチナ人は抵抗してきた。パレスチナ人は武装闘争を、テロ行為というより、武装抵抗闘争と位置づけている。
イスラエルの不当な占領という前提が、まずそこにはある。「そういう側面を、破壊現場を伝える時に加味しないと十分な報道の中味が出てこないと思う」。藤田さんはそう続けた。
■“上からの報道”に偏っている
イスラエルが過激派を非難するとき、そもそも「イスラエル軍はなぜそこにいるのか」を考えなくてはならない。それは占領者だからだ。
1949年のジュネーブ第4協定は占領下の民間人の安全確保を定めているが、イスラエルはその協定さえ守らず、国際世論も機能していないと藤田さんは指摘する。
破壊行為に身を投じる若者たちは、イスラム原理主義思想と結びつけられて報じられることが多い。だが彼らは占領下で生まれてこの方、石を投げるような日常を送ってきた。
ガザの住民の大半は難民で、イスラエルや湾岸産油国への出稼ぎ労働が大きな収入源だった。その道を断たれ、イスラエルの抑圧の中で労働者・生活者の立場を破壊され続けてきた。弱い者はより弱く、強者はより強くなる環境で育ったのが現在の若者たちだ。武装闘争は、イスラム過激思想などではけっしてなく、占領下における生活の抑圧・犠牲から発している。現在イラクで起きている、米国への抵抗運動も同じ構図だという。
藤田さんは報道する側の視点に触れ、「パレスチナ・中東報道は、国際政治の中における枠組みに沿っただけの報道になっているのではないか。言ってみれば上からの報道に重心が置かれている」と問題提起した。
平和づくりに向けた国連や国家の取り組みを報じることも重要だが、一方で「大きな国際政治、あるいは大国の中東政策というようなもの」が、人々の苦しみを結果的に放置させてきた面も無視できないという。「大国の位置づけと、その中における住民の平和というものの重なりが、大きな意味での中東平和・パレスチナ平和の枠の中で大きく崩れている」という。
パレスチナ問題の報道では、「民衆の主体化」をきちんと押さていく必要がある。特定のリーダーシップが民衆個々の安全を保障できない場合、「個々の民衆が命と引き替えでも、自分たちの主体性を発揮せざるをえない」。それが中東を突き動かし、国際政治や国という組織のコントロールすら及ばなくなっている。
これまでの報道が追いきれなかった部分で、専門記者を育てようとする環境にない「日本の特派員は気の毒とも思う」と藤田さんは話した。だがもちろん、現在の事態を正確にとらえるために、民衆の行動には鋭い目を向けていかなくてはならないとも。
■憲法9条の役割
イラクへの自衛隊派兵問題で、政治家の現地情勢認識の甘さ、それを十分報じないメディアの姿勢に藤田さんは驚いたという。同時に、「中東問題で民衆の側の事態を伝えるような目線が、中東和平に向けての日本の関与の仕方という国民世論の形成に大きく関わっているのではないか」とも考えている。
パレスチナやイスラエルで起きていることをテロの応酬と割り切るか、パレスチナ民衆の苦難に目を向けるか。藤田さんは、民衆への目線の希薄さを中東研究者にも感じる。「中東研究、報道、政府見解がひとつの串刺しになって日本国民を困惑させるという事態になっているのではないか」という思いも口にした。
さらにテロリズムの概念についての考察として、1979年のイラン革命が分水嶺であると示した。それ以降、イスラムテロリズム、イスラム原理主義といった言葉が多用されるようになった。79年以前には、原理主義という言葉はキリスト教社会における狂信的集団に対して用いられ、テロリズムも狂気的な行為に使われてきた。
宗教とテロのつながりは、十字軍にさかのぼる。十字軍はエルサレム奪還後、イスラム教徒だけでなくキリスト教徒、ユダヤ教徒をも虐殺した。異教徒も共存していたイスラム世界の現実を無視してエルサレムをイスラム一色社会と十字軍はみなした。このような宗教の違いに対する激しい憎悪が、現在にもつながっていると藤田さんはみる。だからこそ米国はイラン革命に激しく怒り、テロリズムという言葉と結びつけていった。
イスラム社会における宗教・民族の共存の歴史に目を向けようとしない心理構造。それが形となって表れたのが、英仏による第二次大戦後の中東・アラブ地域の植民地化だった。報道もこの枠組みの中でなされてきた。だが「もう我々は、独自の中東観・パレスチナ観を作らないといけない」と藤田さんは訴える。その際は、「上から見る大きな国際政治だとか国家間の平和だとかいう問題でなく、地べたにはいつくばっている民衆の側からディテールをとらえていく」姿勢が基本にあるべきだ。
今こそ、日本国憲法第9条が国際平和のために大きく役割を果たすべきときだと藤田さんは痛感する。武力による平和作りは、中東の人々をさんざん苦しめてきた。劣化ウラン弾のように、次世代にまで被害を与える兵器もある。
「日本という国家は、戦争をしない国家であるということから中東に関わりを持つという、そこのところが強く期待されているだろうと思う」
日本の中東報道が世界でメジャーになれるかは、そうした独自のグローバルな視点を持てるかに関わってくると展望した。
■“自爆テロ”の背景をこそ考えよ
中東問題の報道でメディアがイスラエルに“甘い”理由を、藤田さんは次のように考えている。
イスラエルが国内的には民主政体であることへの親近感。さらには、アウシュビッツの犠牲者の子孫を守らなければいけないという意識だ。これに対し、イスラエルがユダヤ人国家であるという意識は薄い。ユダヤ教徒およびユダヤ教徒を母親とする者以外は、基本的には市民権が認められない。宗教の違いで人間を排除する論理を今も維持している。「そういう排他性をイスラエルの中に読み取らないのは、歴史の目の欠如」。オスロ合意を演じたラビン首相も、ガザを3か月間も封鎖したことがあった。
アウシュビッツで生き残った人々にはそれぞれの国や故郷があり、そこに戻さなければいけなかった。しかし中東に移送され、国連のパレスチナ分割決議で中東の地にイスラエルが建国された。「体のいい難民処理」。パレスチナ問題を理解するには、欧州におけるユダヤ人問題とつなげる構想力も必要だ。
パレスチナ人の暴力、特に自爆テロは「許されない」と藤田さんは言う。しかし、その背後にある、収奪や肉親の殺害など、さんざん痛めつけられてきた人間の絶望や狂気を考えなければならない。アラビア語で「努力する」という意味の「ジハード」には、平和づくりを壊す脅威に対して最終手段としての暴力による聖戦も含まれる。
「最後のジハードがこれだけ日常的に行われるのは、やる方が問題なのか、やらせる環境が問題なのか。私は後者だと思う」
テロリズムは関係性の中で生まれる。「言うならば、ワルシャワのゲットーの最後の徹底抗戦というレベルで考えるべき。ナチの包囲戦の中で、人間の尊厳をかけて、みんな命を捨てていく。あの事態として考えなければ、やるせなくて、とてももたない。そういうようなつらい、切ない状態に世界が人間を追い込まない平和づくりが非常に重要」。
9・11テロに向けたビンラディン氏のメッセージは、実は“英訳”されたものとは違い、第一次大戦以降のアラブ世界の歴史と米国支配の不当さを訴えたものだという。
善し悪しは別として、イスラム世界の現実を知る人々には共感を呼ぶ内容。また、自衛隊イラク派兵等をめぐる日本の報道については、「ペンが剣にならないのは、つらいところ。国民が立ちふさがる行為をするような支えを、新聞がしていくくらいのものはほしい。そういう時代だと思う」と呼びかけた。
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