スマトラ沖大地震による津波災害を、特別な思いで受け止めたドキュメンタリー作家がいる。横間恭子さん(40)。1995年の阪神淡路大震災から丸10周年を前に、自作の「ダンシング・ウイズ・ライブズ─命と舞いながら」の上映を通じて震災のことを忘れず思い起こしてほしい、と願っていたまさにそのとき、今回の津波が起きた。横間さん自身、神戸の震災を経験している。出身地での15日からの作品上映を控えた横間さんに、「生き残った者はいかに傷を乗り越えて生き抜いていくのか」を聞いた。(ベリタ通信=山上郁海)
「ダンシング─」は、ニューヨークでダンスの勉強をしていた神戸出身の女性が、阪神大震災で家族全員をいっぺんに亡くすという悲しみを乗り越え、生き抜いていくさまを追いかけたドキュメンタリーだ。横間さんは、家族全員をなくし、生き残ったのは自分ひとりとなった女性「陸代=むつよ=」に10年間密着してきた。この作品制作に手持ち資金のすべてをつぎ込んだ。
陸代の物語には、もうひとつの物語が交差する。陸代が悲しみの最中に出会い、励まされ、愛を育んできた伴侶にはユダヤ人の両親がいた。義父母は、ナチスの独裁下で幼児を失うという悲惨な経験をした。陸代は震災で受けた心の傷を、夫のみならず、同じように心の傷を持つ夫の両親との交流をつうじて、乗り越えていく。
横間さんは、神戸大震災だけでなく、嫁ぎ先のトルコでも大きな地震を経験している。彼女はこの映像作品をつうじて何を訴えたかったのかをうかがった。
▼どうすれば被災者の痛みや苦しみに共感できるのか
──神戸、トルコ、ニューヨークと、震災体験、被災者との出会いや交流を通じて感じたことは?
遠くで起きた人々の痛みや苦しみを、どうやったら自分のこととして感じられるのか。それができないと、十分な援助はできない。しかし、今回の津波災害では、先進国、後進国の両方で多くの被害者が出たためか、どこもパンクするぐらいの寄付金が集まったと聞きます。世界中の人々が「私もできることをしなければ」と感じた。何万人という先進国の人々が、被害国と同じ体験をした。こんなことはきっと史上初めてだと思います。
──家族を亡くした者の、心の傷とは?
亡くした方でないとわからないでしょう。私は幸いにも、まだ家族を失った経験がありません。ただ、震災当時、わたしはニューヨークにいたのですが、両親と連絡が取れなかった時のパニックは忘れられません。
──心の傷から立ち直ることは可能か?
主人公陸代から、彼女と彼女の義理のご両親の話を聞いている限り、キズが100%癒されることはないと思います。ただ、それを強さに転換することはできる。それができないと、非常に苦しい思いをするのではないかと思います。
──心の傷を乗り越えるためには?
自分より強く生きている人と接して、エネルギーをもらうこと。私は97年にトルコ人と結婚し、97年から2000年までトルコに住んでいましたが、トルコに移ったとき、土地になじめないという、まったく別の理由で、気が狂うのではないかと感じるほど精神的不安定に陥りました。その時に大地震が発生しました。私は、しばらくの間、ビデオカメラを持って被災者の方々と週に3日ほど共に生活しました。そこで、すべてを失ったにもかかわらず、見も知らぬ外国人の客を歓迎して家に泊め、食べさせようとするトルコの人々の暖かさと強さに触れました。私にとって、この経験は、大きなセラピーになりました。陸代の生き方を通じても、いろいろなことを教えられました。
──回りに求められるサポートとは?
話を聞き、共感できる心をもつこと。神戸新聞の記者の方に聞いたことですが、神戸では、まだ苦しんでいる人に、周囲は「いい加減に忘れろ」という態度で接することが多いそうです。人の不幸を「人ごと」で片付けない、やさしい社会が必要です。
▼芸術が人の心に与えてくれる恩恵
──作品を通して、訴えたいことは?
訴えたいことは3つあります。まず、決して忘れることのできない心の痛みを抱えながら生きていく人たちの強さ。私にも非常に起こりえたことですが、もし私の家族が亡くなっていたら、果たして陸代のように生きていけたかどうか、まったく自信がありません。
次に、理由が戦争であれ、テロであれ、自然災害であれ、失われた尊い命の数は、センセーショナルに報道される数字の中に埋もれてしまいがち。犠牲者の数だけ、いや、その何倍の数の遺族の方々に、それぞれのストーリーがある。それを知っていただきたい。
同時に、芸術の大切さ、尊さを再確認していただきたい。作品の中には、ダンスのシーンがたくさん出てきます。陸代は、いわゆるトップクラスのダンサーではないかもしれません。しかし、彼女のダンスへの情熱を通じて、結果や評価や金銭的成功とは別の次元で、芸術が人の心に与えてくれる恩恵というものを伝えたいのです。
──横間さんがドキュメンタリーをはじめた理由は?
最初、ニューヨークで勉強しているとき、英語で書けるジャーナリストになりたいと思ったのですが、英語ではネイティブのプロに太刀打ちできないと早期にギブアップ。それでも、国際的なレベルで作品を発表できるメディアに携わりたかった。映像のほうが、壁が低いと感じたんのです。ライターが選んだ言葉を並べるより、はるかに説得力がある。この作品もナレーションは一切入れていません。つまり、私の言葉は入っていません。編集にはかなり手をかけましたが。
──横間さんは、NYで何を勉強なさったのですか?
正式にはニューヨーク市立大学で政治学を専攻し、脇でジャーナリズム、とくに書くほうのクラスをたくさんとりました。ドキュメンタリーに関しては、大学卒業後、ニューヨークにあるいろいろな専門組織で数々のワークショップを通じて勉強しました。カナダに来てからもワークショップはたくさんとりました。最近、カナダ政府の援助で行われている9週間のプロデューサー養成コースを修了したばかりです。
──ご主人とはNYで出会われたのですか?
そうです。彼は大学院に留学していました。卒業後、トルコで就職先を見つけたので、私も「こんなことでもなければ、トルコになんて住めない」と軽い気持ちでついていくことになったのです。
▼この作品を世界中の人に観てもらいたい
──10年かかったことの理由は?
トルコに住んだ3年間、お金はないけれど時間があったので編集作業に取り掛かりましたが、やはりいろいろな面でリソースがなかった。2000年にカナダに移り、アシスタントとしてドキュメンタリーの現場で、完成するには何が必要なのかを学びました。神戸震災の10周年が迫っていたので、何としても終わらせなければと決意。2004年に、カナダ国立映画制作庁(NFB)から、小額ですが援助金をいただいたので、それで、オンラインエディターとミキサーを雇うことができました。2004年の映像を入れたことで、全体が主人公の個人的な話から、もっとユニバーサルなテーマに広がったため、結果的によかったと思っています。
また、トルコでは、200万円ぐらいはたいて編集システムを買いましたが、それがいまではゴミ同然。ここ数年のコンピューターの発達で、編集技術が、急激に安くなったことも理由としては否定できません。インターネットで音楽を買うなどということもしやすくなりました。「今なら完成にこぎつけられる」と思ったのも事実です。ただ、デジタルビデオの出る前に撮影を始めたため、半分はハイ8で撮ってあり、かなりキズがついていて、その直しが大変でした。
──10年という長い時間を経てひとつのことを完走した、そこから学んだ人生哲学、教訓、実感とは?
「ああ、やっとできた」というのが実感です。がプロデューサーもかねていますので、実際には、まだまだ発表の場、市場を開拓していくという大きな作業が残っています。監督だけならこれで終わりなんでしょうが。
──今後、取り組んでいきたいことは?
まず、この作品を世界的に広く紹介していきたい。ほかにも、計画中のドキュメンタリー・プロジェクトがいくつかあります。カナダを題材にしたクロスカルチュラルな内容が多いです。今回は、ほとんどポケットマネーでしたから、正直な話、テレビに向けた作品制作など、ちゃんと食べていけるプロジェクトも考えていかなければなりません。まもなく、トロントでプロダクション会社を立ち上げる予定です。社員はわたし1人ですが。皆様、ぜひ、応援してください。
☆横間恭子=1964年、神戸生まれ。ドキュメンタリー作家、フリーランス・ジャーナリスト。現在カナダ・トロント在住。「ダンシング・ウィズ・ライブス─命と舞いながら」は、阪神大震災10周年の今月15日から17日まで、神戸のアートビレッジセンターで上映される。また、ニューヨークのダンス・フィルム協会より、上映の招待を受けている。公式ホームページ:http://www.dancingwithlives.com/
神戸のアートビレッジセンターホームページ http://kavc.or.jp/ 上映時間は、午後2時、4時半、7時の3回。入場料1000円。
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