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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2005年02月15日11時18分掲載
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ネパール情勢
【IPSコラム】自由の抑圧 ネパールを二つの過激主義に分裂 クンダ・ディシット
ネパールのギャネンドラ国王は1日、国家非常事態を宣言、市民的自由を停止した。報道は完全に検閲され、それまで世界で最も自由な国の一つであったネパールの報道は完全な検閲下に置かれている。ネパールの週刊紙ネパーリ・タイムズのクンダ・ディクシット編集長は、自由を制限することは社会を二つの過激主義に分裂させ、中道を消滅させる。マオイストに対する戦略としても、逆効果であると主張する。(IPS=ベリタ通信)
【カトマンズ=IPS】ネパールでは、事態はこれ以上悪くなることはないだろうと思っていると、いつも悪化してしまう。
2001年にマオイストの反政府活動が激化し、被害が増えたときに、ビレンドラ国王を含む王族のほとんどが虐殺された。翌年、議会は解散され、地方の選挙で選ばれた機関も解散させられた。政党間の政争が深まると、国王の後を継いだ弟のギャネンドラ国王は2002年、首相を更迭、指名した閣僚を通じて国を支配した。
2月初め、ギャネンドラ国王は首相を再び更迭し、国家非常事態を宣言、市民的自由を停止した。ネパールの15年にわたる民主主義の実験は、少なくともさし当たっては終わったように見える。報道は完全に検閲され、1990年の民主化運動以来残っていた最後の自由の一つが消えた。2月1日以来、それまで世界で最も自由な国の一つであったネパールの報道は完全な検閲下に置かれている。国王の動きについて批判的なものは、形式であれ実質であれ、印刷することも放送することも許されず、これを破った者は処分される。
武装した兵士が報道室に居すわり、印刷に回される前にゲラを検閲する。時には、王室に批判的と彼らがみなした見出しを変えさせた。非中央集権的な公共放送とコミュニティ・ラジオのモデルだったネパールのFM放送局は、時事問題について放送することを禁じられた。放送を中止し、閉鎖したところもある。全国の12のFM放送局のネットワークを通じて放送されていたBBCのネパール語放送は中止された。インドのニュース・チャンネルはすべてケーブル・ネットワークからはずされた。5日には、2人のベテランのジャーナリストが取り締まりを非難する声明を出したことで拘束された。
新聞・雑誌は公式発表や国営通信社の報道を当り障りなくそのまま載せている。たとえ話という手段に訴える危険を冒した社あれば、全体の事態をバレーや養蜂についての論説を書くことでやゆしところもある。少なくとも1紙はニュースのページを完全な白紙にした。
若いジャーナリストのほとんど、特にラジオのジャーナリストは、検閲に衝撃を受けた。彼らが慣れ、当然のものとみなしていたであろう自由は奪われてしまった。が、私のような年をとったジャーナリストには、強い既視感がある。そうした検閲は、自己検閲が通常であった1990年以前の政党が存在しない絶対王政の時代に引き戻した。筋の通らないニュースの判断、へつらい、プロパガンダがジャーナリズムとしてまかり通っていた。当時でさえ、編集者、記者、コラムニストは風刺、ユーモア、たとえ話で当局をからかった。
しかし、処罰は厳しかった。多くのジャーナリストが獄で過ごした。王室での誕生日についての見出しがauspicious(めでたい)がsuspicious(怪しい)などというミスタイプが朝刊に出てしまった場合でも、その代価を支払わねばならなかった。
1990年以前の古いジョークが戻ってきた。例えばこんなものだ。男がカトマンズの通りを、「パキスタンの独裁を打倒せよ」と叫びながら歩いていた。警官が男を捕まえ、引っ張った。警察署で警官は男を尋問した。「なぜパキスタンの独裁を非難しているんだ。ここがそうじゃないか」
確かに、ギャネンドラ国王の動きは、対立が絶えない腐敗した議会指導者と、9年間に1万2千人の命を奪った反政府活動がもたらした不安定に愛想を尽かした多くのネパール人に歓迎されている。もしこれが国王が平和をもたらすためにしなければならないことだとするならば、それならそれで仕方がないという。結局、国王は権力を掌握することによって、全てをかけ、王座をかけたのである。
それは一理ある。多くの人たちは、国王が苦境から抜け出す解決策を見つけ出し、平和を回復し、ほとんどが貧困ラインより下で生活している2千5百万人の国民の生活水準を引き上げることができるよう期待している。2月1日の演説でギャネンドラ国王は、ネパール国民は民主主義を救うために、民主主義を一時的に断念しなければならないと言った。多くの人々はそれに協力するだろう。当面、国王はチャンスはある。
長期的には、マオイストの全体主義に対する答えはより大きな、より包括的な民主主義、活発な自由な報道それに市民的自由である。自由を制限することは社会を二つの過激主義に分裂させ、中道を消滅させる。マオイストに対する戦略としても、逆効果である。
しかし多分、国王は隠しだまを持っているのであろう。
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