バングラデシュ東南部のチッタゴン丘陵地帯に住む先住民族と政府の間で続いていた紛争を終わらせる和平協定が結ばれてから7年以上たつ。しかし、先住民族とベンガル人入植者の間での緊張関係は依然として続いている。この問題に取り組む日本のNGO、ジュマ・ネット(下澤嶽代表)は先月中旬、現地に平和ミッションを派遣、和解の方策を探ってきた。その結果、先住民族の土地の収奪が続いていることが判明。最大援助国である日本がこの問題に関心を払うよう運動を進めている。 (ベリタ通信=鳥居英晴)
チッタゴン丘陵地帯にはモンゴロイド系の13の先住民族約60万人が住み、焼き畑を中心とした生活を営んでいる。ジュマとは「焼畑」という意味で、この地域全体に住むモンゴロイド系の人々全体を指す。仏教徒が多く、多数民族であるベンガル人とは異なった文化が営まれてきた。政府がベンガル人の入植政策を進め、先住民族ジュマの人々の人権は抑圧されてきた。
下澤代表は、バングラデシュへの援助活動をしているNGO、「シャプラニール=市民による海外援助の会」の駐在員として1988年から93年までダッカに駐在中に、この問題を知った。しかし、この問題に関わることは、政府ににらまれるためにタブーであった。2001年に事務局長を辞め、翌年、ジュマ・ネットを立ち上げた。
平和ミッションを派遣したのは、今回が初めて。平和ミッションの帰国報告会が12日、東京で開かれ、日本が何をすべきなのかをめぐって、意見が交わされた。
同地域は、1947年にパキスタンの一部になってから、ジュマの人々の権利や文化が国家から否定されるようになり、71年にバングラデシュとして独立すると、政府と先住民族の関係がさらに悪化した。先住民族は72年に政治団体であるチッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PCJSS)を結成した。さらに73年にはシャンティ・バヒニ(平和軍)という武装組織を結成、政府軍と戦闘状態に入った。
政府は79年から83年にかけて、平野部から40万人もの土地を持たない貧しいベンガル人を入植させた。
紛争の激化で7万人がインドに逃れ、10万人以上が国内難民となった。避難した先住民族の土地をベンガル人入植者が不法に占拠。虐殺事件、レイプ、寺院の破壊など、先住民族に対する人権侵害が日常化した。
97年に政府とPCJSSの間で和平協定が結ばれ、難民の安全な帰還、土地の返還、軍の撤退、先住民族を優先した政治体制などを条件に、2000人近いシャンティ・バヒニが投降した。
しかし、和平協定の中で実施されたのは国外難民の帰還だけで、自治、軍の撤退、土地問題など重要な項目はほとんどが実施されず、2003年には、軍とベンガル人入植者による先住民族に対する襲撃事件が起きるなど、紛争の再燃が懸念されている。
さらに、和平協定の内容に不満を持ち、完全自治を求める先住民族のグループが人民民主統一戦線(UPDF)を98年に結成し、PCJSSとの間で抗争事件に発展している。
下澤代表、仏教団体関係者ら13人からなる平和ミッションは、6日間にわたり、先住民族のリーダーと懇談、襲撃事件のあった村や襲撃をしたベンガル人入植者の集団村を訪問、実情を調査した。また、ダッカで日本大使館を訪問、日本政府が先住民族の立場尊重した開発援助を行い、和平協定の実現を働きかけるよう要請した。
「土地の収奪が、以前よりも増して起きていることがわかった」と下澤さんは指摘する。下沢さんは平和ミッションの役割について、「外国人が入ることによって、国際社会の目が光っているとプレッシャーを掛けることになる」と言う。
チッタゴン丘陵地帯での人権侵害の問題は、日本では報道されることもなく実情が知らされていないが、NGOこそ、紛争防止のためにこうした問題に取り込むべきだと下澤さんは言う。
「何ができるかはまだ、手探りの状態だが、今後も頻繁に平和ミッションを出していきたい」と下澤さんは語る。
関係サイト ジュマ・ネットhttp://jumma.sytes.net/~jumma/ ジュマと歩む会 http://www.ihope.jp/jumma.htm チッタゴン・ヒルコども基金 http://cht-children.org/ Dさんを救え!緊急行動市民の会 http://www.geocities.jp/dchakma99/
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