日本が1−2でイランに惜敗した、サッカーの06年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選。その観戦記が、テヘラン大学に留学中の大村一朗さんから届いた。敵地イランは、日本のアニメ『キャプテン翼』が国民的人気を博し、ナカタらの名前もよく知れたサッカー大国。会場のアザディ・スタジアム周辺は試合前日の24日から若者らで騒然とした空気に包まれ‥‥(ベリタ通信)
3月21日、ヒジュラ太陽暦を暦とするイランでは、閏年を除けば毎年この日に新年を迎える。1384年の正月は、新春の名にふさわしい、梅もほころぶ暖かな日差しとともに訪れた。人々は真新しい服で親戚まわりをし、子供たちはお年玉の金額に胸ふくらます。テレビでは、外国映画が目白押しだ。
今年は、その晴れやかな正月休みに、ワールドカップ・アジア地区最終予選日本戦という大イベントが加わった。かつて日本のアニメ『キャプテン翼』が国民的人気を博したほどのサッカー大国である。町を歩けば日本戦の話題には事欠かない。誰もが無邪気に「イランが勝つ!!」と私を挑発した。 年が明けて4日目、試合前日の25日のこと、わたしは日本、イラン両代表チームが公開練習をしているというアザディ・スタジアムへ足を運んだ。
◎ イラン3、日本0、おしん7
アザディ・スタジアム正門は、100人を超す一団がイラン国旗を振り回し、騒然とした空気に包まれていた。バスを降りた私に矢のような視線が降り注ぎ、瞬く間に取り囲まれてしまう。 「日本人か?」 「そうだが」 「おー!ツバサがが来たぞ!」「ツバサだ、ツバサだ!」「ナカタは来てるのか?」「ナカムラは来てるのか?」と一瞬にしてモミクチャにされてしまった。 「2人とも来てますよ」 「おしんは?」 「おしんはちょっと……」
イランでの『おしん』放映はもうかれこれ20年近く前のことになるが、どう考えても『おしん』を観ていない世代でさえ日本人と見ると『おしん』を口にせずにはいられないらしい。『おしん』は1つの伝説なのである。
小学生の坊やが「イランと日本どっちが勝つ?」と下から見上げるように聞いてくる。彫りの深い、ただでさえギラリと光る無数の眼に囲まれて、わたしはつい言いよどむ。それをいいことに「2−0でイランだよ」「いいや3−0」「3−0だな」。誰もが日本に1点も入れさせたくないらしいのが癪に障る。 「1−1」だ、と私。 中途半端な答えに一同顔を見合わせる。 「アウエーで同点ってことはつまり、日本の方が強いってことさ」 「ナニィィィィ!!」とまた全員がいきり立ち、不毛な点数の言い争いが始まる。1人が叫ぶ。「イラン3、日本0、おしん7!」。どっと笑いが起きる。なぜかこれには誰も反論しなかった。
彼らはみなイラン代表選手の公開練習を観に来ていた。今はまだ日本代表が練習中で、中に入れてもらえない。待つことが苦手な若者たちにとって、私という存在は格好の暇つぶしとなった。 「カワグチが指を骨折したらしいけど、楢崎ってキーパーはどうなの?」 「サントスは今回来てるのか。レッドカード2枚もらったはずだけど」 「シンジョウも来てるのか?」 新庄? 新庄は確か野球の……。 「違うよ、シンジ オノだよ!!」 さすが練習を見に来るだけあり、対戦相手の選手のことまでよく知っている。
17時半、1台の大型バスが見えた途端、彼らの興奮は最高潮に達した。イラン代表選手を乗せたバスがようやく到着したのだ。手を振り、国旗を振り、絶叫する若者たち。 「イランの選手が到着したってことは、もうすぐ日本の選手が出てくる頃だな」 「そうしたらどうなっちゃうんだろう。怖いなあ」 「バスを襲ったりしないか心配してるの? 大丈夫だよ。そんなことするんだったら、真っ先に君を血祭りに上げてるよ」
30分後、練習を終えた日本の代表選手を乗せ、大型バスがスタジアムから出てきた。バスを取り囲んだ群衆は声を揃えて「イラン! イラン! イラン!」と拳を突き上げながらも、スモーク・ガラスの奥にヨーロッパリーグで活躍するナカタやナカムラといった馴染みの選手の顔を見つけようと必死になっている。その横顔に邪気はまったく感じられない。 「明日もこんな風に友好的でいてくれるの?」私の問いに隣の男は答えた。 「明日かあ。さあね、それは神のみぞ知る、だ」
◎ 祭りはすでに始まっていた
いよいよ試合当日を迎えた。今日は午後、現地日本人会とともに団体バスでスタジアム入りする予定だったが、朝のスタジアムの様子が見たくて一足先に出かけることにした。 スタジアムへは、直通のミニバスがテヘラン市街のあちこちから出ていた。運転手がイラン国旗を振り回し、「スタジアム!」と叫んでいるのですぐ分かる。
午前10時、スタジアム前には熱狂する若者を寿司詰めにしたミニバスが次々に到着しては、車内を空にして去っていく。そこから少し離れたスタジアムまで、若者たちの途切れることのない人波が続く。道々にはタバコ、飲み物、ひまわりの種、国旗売りなどの売り子が声を張り上げ、サンドイッチを売る屋台も数軒出ている。サンドイッチ売りの男の話では、スタジアムの門が開きチケットの販売が始まったのが午前7時。一階席のチケット(1万リアル=約120円)は30分ほどで完売したという。2階席は、なんと今日に限ってすべて無料開放されているらしい(ちなみに日本人専用席は15ドルであった)。
そんなわけで、わたしはチケットを買うこともなくボディチェックのみでスタジアム内に入場した。ボディチェックはかなり入念で、わたしは百円ライターを有無を言わさず没収された。火気厳禁らしい。数ヵ月前の韓国との国際試合で競技中グランドの韓国選手の足元に巨大な爆竹が投げ入れられ、試合中止になったという経緯もあるのだろう。 ボディチェックだけでなく、警棒を構えた軍事警察が完全な警戒網を敷いている。ときおり調子に乗った若者たちが彼らを挑発し、警棒で追い回されている。小競り合いを遠くから眺めていると、通りすがりの若者があきれたようにぼやいた。 「日本にあんなのあるかい? 見ろよ、国民を警棒でぶちのめして……」
スタジアムの2階席に上がると、まだ10時過ぎにもかかわらずフリーの2階席までかなり埋まり、既にサポーターたちは太鼓を打ち鳴らし、早くもウェーブが観客席をぐるぐると巡っていた。わたしに気づくと、「俺の隣に座れ!」と場所を開けてくれる人も何人かいる。昨日同様とりたてて敵意や危険を感じることはない。しかしこれから始まるのは演劇やコンサートではない。サッカーだ。わたしの身の安全が保証される場所は、試合が始まってしまえば、小さく隔離された日本人用観客席だけなのかもしれない。
昼前、押し寄せる人波をかきわけ、いったんスタジアムをあとにした。
◎ 大人げないぞイラン人! 在留邦人日本人会を乗せた大型バス6台がスタジアムに到着したのは、午後4時過ぎのことだった。フリーの2階席にすら座れなかった若者たちが、スタジアム周辺にあふれている。男ばかり。イランではスタジアムでの女性のサッカー観戦は認められていない。ことサッカーに関してはその場の秩序が保たれなくなるおそれがあるからだ。バスに向かって若者たちが気勢を上げると、まるでサファリ・バスから野獣の群れを見下ろすかのように、企業の奥様方の顔が引きつる。イラン人との接触を極力避けるため、日本人席の真裏にあたるスタジアム入場口にバスの頭を1台ずつ突っ込ませて下車させるという、日本イラン両当局の配慮ぶりであった。
薄暗い通路を過ぎると、西日に照らされた鮮やかな芝生が目に飛び込む。地鳴りのようなイラン人サポーターの喚声に足がすくむ。目が回りそうなほどウエーブがぐるぐる回っている。おまけに突然大音響で鳴り出すダンス音楽。踊り出すイラン人。 (朝からずっとあのテンションのまま!?) 思わず呆然として、ついイラン人への愛しさがこみ上げてくる。
日本人席の左右には、イラン人との無用な接触を避けるため10メートルほどの緩衝地帯が設けられている。両者を隔てる鉄パイプで組まれた柵沿いには、警官が何人も配置されている。警官の目を盗みながら、日本人の女の子に向かって手を振ったり、カメラを向けたり、手を合わせて拝むような仕草でおどけて見せる若者がいる。いつまでこんなに友好的な空気が続くのだろうか、と思っていた矢先、「バコンッ」という音とともに何かが頭上から降ってきた。水の入ったペットボトルが2階席から投げ込まれたのだ。その後も小石や棒切れなどが散発的に落ちてくる。こうした事態を予測していた日本人学校の関係者が、用意していたヘルメットを子供たちに配布する。ほかにも独自でヘルメットを持参した企業や団体も見られた。
18:05、キックオフ。 日本人席は、向かって右半分が青一色に統一された日本からの遠征サポーター、左半分が服装もばらばらな在留邦人という配置だ。在留邦人にも熱烈なサッカーファンはいるが、「せっかくの機会だから」的な見学派が多数を占めるのは否めない。一方で、日本から10数万円も払ってこの試合だけのために遠征してきたサポーターたち。両者の間に温度差があるのは仕方がないことだが、在留邦人側に身を置くわたしとしては、ついひとこと言い訳したくなる。ハンドマイク片手に指揮をとる3人の応援団の1人でも在留邦人側に足を運んでくれたなら、その温度差がもう少し埋まっていたのは確かである、と。
前半25分、イランに先制点を取られてしまった。イラン人たちが必要なとき以外立ち上がらない(さすがに疲れが出はじめているのかもしれない)のに対し、日本人は遠征組も在留組も総立ちで声援を送り続ける。
日本のファインプレーやラフプレーのたびに2階席から物が降ってくるのは困ったものだった。そのうち左右のイラン人観客の挑発に中指を見せつけ睨み返す日本人も出てきた。 後半21分、MF福西が至近距離から左足のボレーシュートを決めると、ゴールの喜びと同時に、わたしたちはハッと頭上後方を振り返る。案の定、ペットボトルやらアイスクリームやら、降ってくる降ってくる。もはや反射神経が作用するまでになってしまった。
しかしその9分後の後半30分、またもやイランFWハシェミアンのヘディングシュートが決まり、イランにリードを許してしまう。一斉に左右のイラン人観客から「ザマミロー!」の罵声の嵐とともに、上から物が……。
グラウンドには時折、韓国戦に使われたあの手製の爆竹が投げ込まれ、10万人の喚声にも劣らない爆音と黄色い噴煙を上げている。日本人席に落とされないことを祈るばかりだ。
日本人観客は90分間総立ちでの応援を続けたが、その願い届かず、イラン1点リードのまま試合終了を迎えた。
イラン人観客は右手でVサイン、左手で人差し指1本を掲げ、2−1で勝利したことを日本人観客に誇示して見せ、「ザマアミロー!」「参ったかコノヤロー!」と目を剥いて挑みかからんばかりである。自分たちの100分の1の人数にすぎない相手に対して、この容赦のなさ……。
帰りの道は大渋滞し、日本人会のバスはしばしば興奮冷めやらぬイラン人たちに取り囲まれた。相変わらず2−1と指で誇示するものもいれば、日本へ帰国するツアーバスと思ってにこやかに手を振ってくれるものもいる。 娯楽の少ないこの国にあって、サッカー観戦は丸一日を費やし日ごろの鬱憤を晴らすお祭りなのかもしれない。だとしたら、きっと最高の祭りになったことだろう。身を切る寒さのなか、帰る足もない彼らは、もうしばらく祭りの余韻に浸っていたいのに違いない。
その晩、空港で報道関係者や日本人サポーターたちの何人かに話を聞いたところ、試合結果はともかく、総合してイランという国に悪い印象を持ったという人には不思議と出会わなかった。もちろん上から物を投げることへの不快感や、柵越しに噛み付くように威嚇してくるイランの若者たちに「怖かった」と漏らす人も多い。しかし、アウエーでの試合やヨーロッパリーグなどの観戦経験のある60代の男性は、「あんなもんだよ。むしろきちんとしてたよ。イデオロギーとか、中国みたいな動員もなく、彼らはサッカーをわかった上でやってることだから、怖いとは思わなかったよ」と好印象を語った。0泊3日の弾丸ツアーではなく個人でやってきた29歳の男性は、「町は思ったより近代的で、空気も景色もきれいだった。バザールとかは正月休みでどこも閉まっていて残念だったけど。イラン人は友好的だったよ。試合前から『3−0』とか『2−0で俺たちが勝つ』とか結構あつかましい連中だなって思ったけど(笑)」。
今回初めてこの国を訪れた日本人たちは、サッカーを純粋に楽しみ、イラン代表選手の強さを冷静に受け止め、かすかに感じ取った異国の空気や手触りを胸に、日本へと戻っていった。カリカリしていたのは、イラン在住ゆえついイラン人に注文をつけてしまいがちなわたしだけだったのかもしれない。
*大村一朗さんは『シルクロード・路上の900日』(出版・めこん)の著者。同社のホームページ(http://www.mekong-publishing.com/ )に「イラン便り」を連載中。
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