・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・人権/反差別/司法
・アジア
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・入管
・地域
・文化
・欧州
・農と食
・市民活動
・検証・メディア
・核・原子力
・環境
・難民
・中東
・中国
・コラム
提携・契約メディア
・AIニュース


・司法
・マニラ新聞

・TUP速報



・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus

・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年03月31日
・2025年03月30日
・2025年03月29日
・2025年03月28日
・2025年03月27日
・2025年03月26日
・2025年03月23日
・2025年03月22日
・2025年03月21日
・2025年03月19日
|
|
2005年06月28日18時54分掲載
無料記事
印刷用
手術で「光」を取り戻した元CIA分析官の人生
目の見えない人が、人生の半ばで視力を取り戻すのは、あまり例がない。しかし、医学の進歩で、それが可能になった。米カリフォルニア州サンフランシスコの実業家マイク・メイさん(50)は、3歳の時、化学薬品の入ったガラス瓶が爆発、ほぼ失明状態になったが、47年ぶりに「光」を取り戻した。米誌アスクワイアーが、一時は米中央情報局(CIA)の盲人分析官でもあったメイさんの波乱に飛んだ半生を活写している。(ベリタ通信=エレナ吉村)
1957年ニューメキシコ州の自宅台所で、皿洗いしていたメイさんの母親は、大きな爆発音に驚いた。自宅のガレージに駆けつけると、外で遊ばせていたメイさんが、血だらけで倒れていた。ガレージに放置されていたガラス瓶に入った化学薬品を、メイさんが誤って水に浸したため、化学反応を起こし爆発したのが原因だった。病院に運ばれたが、医師から助からないと告げられた。
幸い翌日状態は好転したが、医師は左目は失明、右目も大きな損傷を受けたと母親に告げた。右目は、かすかな光が差し込む程度だったが、ほぼ失明状態になった。
しかし、母親は、メイさんが、特殊学級に進むのを拒否。普通校に通わせた。学校では、様々なサッカー、野球などにも参加した。自転車にも乗った。16歳の時は、レスリングや卓球、それにバイクにも乗ったりした。生傷が絶えなかったが、旺盛な好奇心が優っていた。
カリフォルニア大学デービス校で政治学を学び、その後ジョンホプキンズ大学の大学院で国際関係論を学んだ後、CIAに入った。CIA初の盲人分析官としてアフリカのガーナでも働いた。1982年には身障者の国際スキー大会にも参加、優勝している。
▽光を得た後も挑戦の日々
メイさんの人生を大きく転換させたのは今から6年前の1999年。眼科医ダニエル・グッドマン博士との出会いだった。目を診断した博士は、右目の角膜再生・移殖手術を行なえば、視力を回復する可能性があると告げた。その頃、メイさんは、CIAを退職し、盲人のためのGPS(衛星測位システム)を開発する企業のオーナーになっていた。同年にはクリントン米大統領(当時)と会い、盲人支援に技術開発への協力を訴えたりもした。
手術しても成功する確率は5分5分といわれた。また角膜再生・移植手術は、組織の拒否反応や、薬の投与で内臓が悪化する恐れもあった。さらに人生の途中で、視力を回復した人の中には、突然、外界からの情報が大量に飛び込むため、ノイローゼになってしまう人もいる。メイさんもグッドマン博士と手術前、この問題を話し合った。
悩んだ末、手術を決断し、同年11月から二度にわたって右目の手術を受けた。結果は成功し、妻や子どもの顔を初めて見ることができた。
長年光を失った人が、人生の半ばで視力を回復する例は、少ない。最近の報告では、長年失明状態だった人が視力を回復しても、対象物を三次元の形で認識する能力が既に失われているという。メイさんも同じ症状を抱えている。
「光」を得てからの生活は毎日が「挑戦」だ。しかし、こうした問題を乗り越える原動力になっているのは、子どものころに母親から教わった「前向きに生きる」というモットーだという。
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|





|