ジャーナリストの一人として06年元旦の大手メディア6紙の社説を読んだ。その印象は「日米軍事同盟はいつから批判を許さぬ聖域となったのか」である。 元旦の社説は新聞社としての基本的な主張を明示する場でもある。目を皿のようにして繰り返し読んだが、日米安保体制、日米軍事同盟の賛美論に対抗して、批判する主張はついに発見できなかった。 これでは「権力の監視役」としてのメディアの存在感を高めるどころか、維持することすら困難になるのではないか、それを憂慮する。 これからの日本のあるべき針路を真面目に考えるからには、安保体制、日米同盟を避けて通るわけにはいかない。私は「日米同盟の呪縛から脱却しよう」と呼びかけたい。
メディアの論調地図の現状を理解するために、20年も前の私事にかかわる『週刊ポスト』(1984年11月2日号)の記事を以下に紹介したい。
「〈新聞戦争〉が新たな局面を迎えている。そのことは、日本新聞協会の機関誌である『新聞研究』(8月号)で、毎日新聞編集委員兼論説委員・安原和雄氏が次のように書いていることからもわかる。<・・・いうまでもなくサンケイ、日経、読売の3紙が(防衛費1%枠の)見直し派であり、これに対して東京、朝日、毎日の3紙が堅持派とでもいえようか。このように大手新聞のGNP1%枠に関する論調は完全に二分されている・・・>(『防衛費1%枠を守る視点』より)。こうした大新聞の二極化は、防衛費1%枠に限らず、安全保障問題全般、行政改革、中曽根政権支持問題・・・に対する論調など、現在の政治情勢全般にわたって対立的立場を次第に鮮明にしているかにみえる」
当時は中曽根政権時代で米国の要請を受け容れて日本の防衛費を増やし、GNP(国民総生産)比1%枠を突破させるかどうかが焦点となっていた。1%枠堅持派、つまり軍拡反対派は東京、朝日、毎日の3紙で、片や産経、日経、読売の3紙が突破派、つまり軍拡容認派という布陣であった。ただ念のため指摘しておくと、軍拡反対派といえども、同時に必ずしも安保、軍事同盟反対を明示していたわけではない。参考までにいえば、結果として1%枠は1987年度政府予算で突破された。
▽腰が引けてきた軍拡反対派
さて06年元旦の社説から判断すると、上記の3対3の布陣が大きく変化している。結論を急げば、右旋回への流れが見られる。まず6紙の見出しを紹介しよう。
東京新聞「年のはじめに考える 日本の出番なのに・・・」 朝日新聞「2006謹賀新年 武士道をどう生かす」 毎日新聞「ポストXの06年 壮大な破壊後の展望が大事 結果責任負ってこそ名首相」
産経新聞「新たに始まる未知の世界 アジア戦略の根幹は日米同盟」 日本経済新聞「人口減に克つ(1) 成長力を高め魅力ある日本を創ろう」 読売新聞「人口減少時代へ国家的対応を 市場原理主義への歯止めも必要だ」
これらの見出しからは、多様な意見の百貨店、という印象を受けるが、日米安保体制、日米同盟、軍事という共通項を尺度に読み直してみよう。そこから見えてくるものは、かつての軍拡反対派は主張に明確さが欠けて、腰が引けてきており、一方かつての軍拡容認派は日米軍事同盟推進へ一段とのめり込みつつあるという新しい論調地図である。
▽東京新聞、健在なり
東京新聞は次のように指摘している。 「中国の軍事力増強が〈脅威〉という見方もあるが、軍拡競争はおろかである。軍事力行使を抑制する地域の枠組みづくりなど、外交による対応が必要である。反目はお互いの不利益にしかならない」と。 軍拡の愚かさを指摘しているのは東京新聞1紙のみである。「東京新聞、健在なり」と評価したい。
朝日新聞の「武士道をどう生かす」というタイトルの社説はつい読んでみたくなるような魅力がある。 「子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である」という主張は作文としては結構である。しかし「大国らしい仁や品格」とは具体的に何を意味するのか。安保体制、日米軍事同盟下で巨大な在日米軍基地を許容し、イラクへの不当な米国の戦争を支援しているこの現実は「仁や品格」にふさわしいといえるだろうか。そういう指摘はどこにも見出せない。
毎日新聞の場合、不思議といえば不思議な社説である。次のように書いている。 「小泉改革の結果がどうなるか実はすべて不明である。(中略)ポスト自衛隊サマワ派遣の影響が見えない、ポスト米軍再編協力のバランスがわからない、ポスト靖国参拝で日本と中国の関係、アジアにおける日中の力関係が全然見えない」 見えにくい、わかりにくいことを掘り下げてそれなりに解き明かし、主張を展開するのがジャーナリズムの仕事ではないのか。それともこの社説は読者の想像力を試してみたいという意図でもあるのだろうか。こういう論説は署名入りで書いて、責任の所在を明らかにして欲しい。
▽日米同盟推進派の中で突出する読売新聞
日米同盟の積極的肯定論で終始しているのが産経新聞である。以下のように述べている。「日米同盟の死活的重要性もアジア外交の重要性に勝るとも劣らない。いや、アジア外交を進める上でも、根幹にあるのは日米同盟である。(中略)中国が危険な方向へ向かわぬよう抑止力としての日米の戦略的提携・協調はますます重要度を増すだろう」と。 文章中の「同盟の死活的重要性」「抑止力」というアメリカ仕込みの専門的な安全保障用語に出くわすと、すでに10年以上も前に終わったはずの東西冷戦時代に逆戻りしたような錯覚にとらわれる。
日本経済新聞は経済専門紙らしく「人口減に克つ」というテーマで社説での連載が始まった。相変わらず経済成長節を奏でており、安保、軍事同盟の話は皆無だが、元旦前日の社説が「一歩進んだミサイル防衛」(12月31日付)である。 これはミサイル防衛システムの日米共同開発を06年度から着手するもので、日米軍事同盟強化の重要な柱とされている。それを評価するのだから日米同盟の積極的推進派の立場を堅持していることがうかがえる。
日米同盟推進派の中でも突出しているのが読売新聞である。次のように論じている。「政治・軍事面では、中国に国際ルールを守らせるよう、絶えず抑制していかなくてはならない。しかし、それは日本単独で出来る話ではない。日米同盟の重要性はここにもある」と。かつての米国主導の「中国封じ込め政策」を思い起こさせるような主張である。 またこうも指摘している。「日本が国際協力をするに際して、足かせになっているのが、集団的自衛権の<行使>問題である。いつまでも国際的責任から逃げていてはならない、憲法改正を待たず、政府解釈の変更によって対応すべきである」と。
自民党新憲法草案(05年10月28日正式決定)は、改憲によって集団的自衛権(注)を行使できる方向を打ち出している。これに対して読売新聞は改憲などという面倒な手続きは省いて、政府の独断的解釈によって集団的自衛権を行使したらよい、という主張である。超法規的な国家体制でも造り上げようという意図なのか。
(注)集団的自衛権は、日本が軍事的侵攻を受けなくとも、同盟相手国の米国が侵攻に見舞われれば、それを軍事的に支援するもので、従来の政府解釈では現行平和憲法の下では行使できないとされている。ところが集団自衛権行使を容認することになれば、先制攻撃論に基づく米国の世界規模での軍事力行使に日本は付き合うことになりかねない。これは多少の想像力があれば、小学生にも分かる道筋であろう。
▽日米安保体制、日米軍事同盟は「諸悪の根源」
新聞の主張、そして読者の側のその読み方はいろいろあっていい。自由な社会では当然のことである。しかし私は日米安保、軍事同盟を批判する立場にこだわりたい。なぜなのか。日米安保、軍事同盟こそ「諸悪の根源」であり、それを無批判に聖域視することは、自由社会の基本原則を踏み外し、日本の針路を誤らせると認識しているからである。なぜ「諸悪の根源」といえるのか。
いつなんどきあなたの身近で起こるか分からない1つの具体例を挙げたい。 最近「米兵ひき逃げ、釈放 3男児けが <公務中>地位協定で」という大きな見出しで報道されたニュースがあった(毎日新聞、05年12月29日付)。 これは東京都八王子市で米軍厚木基地(神奈川県)所属の女性水兵がひき逃げ(小学生の男児3人が重軽傷を負った)の容疑で警視庁に逮捕されたが、「公務中」を理由に日米地位協定に基づき即日釈放された、という内容である。この種の事故、事件は特に沖縄を中心に日常茶飯事となっている。
問題は日米地位協定なるものは何かである。日米安保条約に基づき在日米軍人・軍属の日本での法的地位を定めた協定(1960年締結)で、米兵の公務執行中の犯罪などは米軍が裁判権を行使する優先権が規定されている。いいかえれば「公務中」を理由にすれば、日本に裁判権はないという不当な協定であり、しかもそれが日米安保体制に基づく不平等協定だということである。 (上記のほか日米安保体制がなぜ「諸悪の根源」なのかについては、「仏教経済塾」に掲載の「平和をつくる4つの構造変革」(05年11月28日付)などを参照)
▽肝心要の所が見えてこない物足りなさ
ここで元旦に届いた賀状のうち2つを紹介したい。 1つは出版経営者からで、「<この国のかたち>はいまだ不透明のままで、時代状況に<危うさ>を感じざるを得ない」とある。憲法改悪を含む小泉改革路線なるものは国民に大きな懸念を抱かせており、日本の望ましい針路、未来の設計図とはいえないという主張と受け止めたい。
もう1つは防衛官僚OBからの賀状で、「ブッシュ政権はトラブル・メーカーである。これに隷属している政府、自衛隊が情けない」と書いてある。同感である。この注釈は不要であろう。
私には2つの賀状から、勝ち組・負け組をつくり出す小泉改革路線、「世界の宝」という評価の高い平和憲法9条(戦力不保持、交戦権の否認)の改悪、さらに戦争基地としての日米安保体制の強化― への「不信・不安の声」が聞こえてくる。
実はこの小泉改革路線、憲法9条の改悪そして日米安保体制強化の3つは三位一体関係にあり、それを全体として認識しなければならない。特に日米同盟への呪縛から脱却しなければならない。そうでなければ日本が<危うさ>そのものの路線へと猛スピードで誘(いざな)われつつあることが見えてこない。 元旦の各紙社説を読んでみて、肝心要の所に的が絞られていないもどかしさ、物足りなさが拭えない。「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」とはこのことだろう。 以上
*「仏教経済塾」のホームページは下記へ。
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
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