【京都27日=三木眞】「事実無根虚偽の事実により報道被害を受けた」として、浅野健一・同志社大学社会学部教授(ジャーナリズム論)が27日、同教授のセクハラ疑惑を報じた「週刊文春」(東京都千代田区)を名誉毀損で京都地裁に提訴した。浅野教授は1億1000万円(1000万円は弁護士費用)の損害賠償と、同誌に謝罪広告と新聞広告欄に謝罪文を掲載するよう求めた。
被告は、法人としての株式会社文藝春秋と鈴木洋嗣編集長と編集部の石垣篤志・名村さえ両記者の計4者。
週刊文春は昨年11月24日号(昨年11月17日発売)で《「人権擁護派」浅野健一同志社大教授 「学内セクハラ」を被害者が告発!》という四頁の記事を掲載した。
訴状はこの記事に少なくとも17項目の虚偽記述があると指摘している。
訴えによると、「セクハラの事実はない。記事においては、同志社大学当局や同大学のセクシュアル・ハラスメント防止に関する委員会(以下、「セクハラ委員会」という)が、あたかも、原告によるセクハラ行為を認定したかのように記載されているが、そのような事実は一切ない。(記事にある)A子とDが2004年1月にセクハラ委員会に申立を行った件について、同委員会は、本件記事掲載時は勿論のこと、現在においてもなお調査中であり、その結論はまだ出ていない」としている。
また、「被告らが、情報提供者(B教授、A子、Dが関係していると思われる)によって提供された情報に対して、本来行われるべき真偽の十分な調査・確認を怠って、本件記事を掲載したということであり、この点でも、本件記事は極めて不当といわなければならない」と記事の虚偽性を指摘している。
今回の提訴では、文春誌上に謝罪文を掲載するよう求めるとともに、「朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞の各全国紙に掲載する「週刊文春」の宣伝広告中に、同広告の4分の1のスペースを使用して、謝罪文を掲載せよ」と請求している。対メディア訴訟で、新聞の雑誌広告欄に謝罪文を求めるのは珍しい。
その理由について、「新聞の見出し広告等記載部分だけでも、それ自体が事実に反し原告の社会的評価を低下させる名誉毀損表現を構成しており、一般読者が実際に(文春の)当該号を手にとって読む以前に、既にこの広告等を目にした時点で、原告の社会的信用が大きく損なわれたという意味で、被害拡大を助長していることなどからすれば、原告の損害回復のためには、本件記事の誤りを伝える謝罪文を文春の広告媒体に掲載することが必要不可欠」と述べている。
代理人の弁護士3人は提訴後、京都地裁にある司法記者会で記者会見した。浅野氏は同席せずコメント(別掲)を配布した。
代理人は「文春記事の中で、学内・学外の学生に対してセクハラ発言・アカハラを行ったと一般読者が受け取るようなことが書かれていたが、そもそもそうしたセクハラ行為自体はない。すべて事実無根である。伝聞や再伝聞が大半の記事で、文春の取材はおざなりで真偽の十分な確認を怠っている」と提訴の趣旨を述べた。
損害賠償の額を「浅野教授の学者・ジャーナリスト・市民活動家としてのこれまでの業績にダメージを与え、将来的な活動に支障をきたし、精神的な苦痛を受けたことを考慮した」と答えた。 代理人はまた、「大見出し、小見出しで、セクハラがあったとか、大学が認定したとあるが、そうした事実は全くないなどと訴状に書いている」と述べた。
記者からの質問は、同志社大学で調査中のセクハラ委員会の審理経過について集中した。
「『文春』誌上に、セクハラ委の“認定文書”が掲載されているが」という質問に関して、弁護団は、「おそらく正式な報告書ではなく、関係者に対して説明するためのプライベートな中間的な文書ではないか。こちらとしては、文書の存在を確認できていない。どちらにしても、正式な文書ではなく、大学当局が認定したという事実はない」「A子さんが委員会に申し立てたことは事実だが、C子さんが委員会に訴えた事実もない」「具体的に、誰がどんな内容を訴えたのかということは、委員会が内容を開示しないので分からない」とコメントした。
文春の取材の経緯に関して、「浅野教授が受けた取材の経緯はどうだったのか」という質問もあり、代理人は「文春の取材は、A子さんの言い分を鵜呑みにした上で、記事の公正さを装うために、浅野教授のコメントを取り上げようとした。だから取材を断った。浅野教授は、理由なく拒否したわけではなく、正当な理由があった」と述べた。
「当事者同士が話し合うのが、こういう件では普通ではないか。(A子さんら)当事者間での話し合いはあったのか」という記者からの質問に対して、代理人は「言われるとおり、本来ならば、セクハラ委員会に出たときに、そこで当事者同士で問題解決をはかるべきだったと思う。(A子さんらが)そうせずに、メディア(文春)を利用した」と述べ、A子さんらが浅野教授を社会的に抹殺する記事を書かせたと批判した。
「浅野教授はホームページに、セクハラ委員会への申し立てた2人に関していろいろ書いているが、2人は院生なのか学生なのか講師なのか」という質問には、「もちろん誰かと推測はできるが、2人が誰なのかは正確には分からない。委員会が言わないから」と答えた。
また、「訴状の中に、(記事で、2003年度の大学院新聞学専攻教務主任でA子さんの指導教授と記述されている)B教授の意図的な関与をほのめかすような記述はあるのか」という質問には、「そういう記述はない。例えば、B教授が情報を流しているとかそういう言及はない」と答えた。
京都新聞のHPによると、文春編集部は「記事は真実。浅野氏本人が取材拒否のままの提訴は不可解だ」と同紙にコメントしている。
浅野氏が「取材拒否」したことについて、訴状では「2005年11月9日に電子メールで原告に届いた文春記者2人からの文書の内容は、2003年末頃から、報道関係者や研究者らに吹聴されてきたのとほぼ同様の、事実に反する内容の事柄が、関係者の姓名とともに多く含まれていたこと、『ロス疑惑報道』等に見られる被告らの報道「スタイル」から、原告がコメントしても、外観上、記事の『公正さ』を保つために利用されるだけであると考えられたこと、石垣記者らとのやりとりから、原告が取材に応じるか否かにかかわりなく05年11月17日発売号で、本件記事を掲載することを確定していると考えられたこと(なお、本件記事自体の50頁5段目にも「締め切りまでに回答は得られなかった」とされており、原告本人に取材申入れをした時点(=発売8日前=)で、既に被告らが締め切りを設定済みであったことが明白である)、本件がセクハラ委員会で調査中であって、原告が取材に応じることは、同志社大学教員である原告が学内規定に反して、調査内容に関する秘密を漏洩することになること等の理由によるもので、正当な理由に基づくものである」と主張している。
▼浅野健一氏のコメント(要旨)
週刊文春は、私の姓名、役職を入れた大見出しを掲げ、「浅野が院生に対しセクハラを行った」と一般読者が受け取るような記事を掲載しました。この記事の見出しは全国紙二紙(東京本社版)の広告にも載ったほか、ネット上に文春記事の全文または一部が引用のかたちでアップされています。その結果、文集記事を信じて私を誹謗中傷する人たちの記述がHP、ブログ上に飛び交っています。
しかし、文春記事の私に関する記述はすべて事実無根・虚偽であり、私に対する悪意に満ちた名誉毀損です。
「セクハラ」問題では、申立人になった被害者のプライバシーを擁護しなければなりません。しかも、被申立人である私には、学内規定の守秘義務によって、反論が困難な側面があります。文春記事は、そうした事情を知った上で、セクハラ委員会の結論が出る前に“灰色”の状態に描いてしまおうと掲載に踏み切った、そう理解しています。その背後には、「男性が女性を使って、敵意を持つ男性を陥れる」という極めて古典的で卑劣な動きもあったと考えます。
私は1984年1月から文春が展開した「ロス疑惑」報道を最も早く批判した一人であり、それ以降も文春の様々な記事を批判してきました。文春は、私のこうした言論活動を封じ込める意図も持って私を断罪したものと見ています。これは、“文春ジャーナリズム”の歴史の中でも、きわめて悪質な闇討ち報道でした。
本当にセクハラ被害を受けた女性のためにも、事実無根の「セクハラ」を口実に使った誹謗中傷、「セクハラ冤罪」はあってはならないと考えています。
私は文春の報道被害者です。対応はすべて裁判で行う所存です。 本日の記者会見には、セクハラ委員会の調査が続行中であること、関係者のプライバシーを尊重したいことなど、いくつかの事情から出席しないことにしました。今後も報道従事者の皆さんの直接取材には応じません。 代理人には本訴訟の節目、節目において説明するようお願いしています。
なお、人権と報道・連絡会の仲間たちや学生を中心に、私の文春裁判を支えてくれる人たちが東京と京都で「支援の会」を近く立ち上げます。
私は共同通信の現役記者時代から、メディア企業による報道加害について調査研究してきました。今回の裁判を通じ、私は、報道被害者として「人権と報道」に関する新たな視座を獲得できるのではないかとも考えています。本裁判が日本のジャーナリズムを改革する一助となることを願っています。
付記:私は本年1月初めに大学のゼミHPにアップした「新年のごあいさつ」の中で、文春記事について書いていますので参照ください。
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2006/newyearmassage.htm 》
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